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【作業用】授業でつかえそうな青空文庫 約50選

青空文庫(著作権が消滅した作品や著者が許諾した作品のテキストを公開しているインターネット上の電子図書館)から、歴史総合や日本史探究・世界史探究で使えそうな史料をピックアップしてみました。これら新科目は、ともすれば文字優位となりがちですが、ビジュアル資料と組み合わせたり、適宜言い換えたり、さらに「やさしい日本語」化することも含め、ものは使いよう。一貫性はありませんが、結構いろいろあるぞ、ということで、今後も追記していきます。


1. アルベルト・アインスタイン(石原純・訳)『相対性理論』



2. 芥川 竜之介『上海游記』

最近NHKが映像化しています。

 問。すると君は上海の西洋には、全然興味を感じないのかい?
 答。いや、大いに感じているのだ。上海は君の云う通り、兎に角一面では西洋だからね。善かれ悪あしかれ西洋を見るのは、面白い事に違いないじゃないか? 唯此処の西洋は本場を見ない僕の眼にも、やはり場違いのような気がするのだ。」

3.浅沼稲次郎の三つの代表的演説

「逆コース」の文言が登場します。

一、吉田内閣不信任決議案賛成演説
     一九五三(昭和二十八)年三月十四日 衆議院本会議
第三には、吉田内閣は、占領政策の行き過ぎ是正と称して、わが国民主化に最も必要なる諸制度を廃棄して、戦前及び戦時中の諸制度に還えさんとして、反動逆コースの政治を行わんとしております。われらは、この反動逆コースの政治に断固反対し、その退陣を迫らんとするものであります。およそ占領政策の行き過ぎがあるとすれば、その責任の大半は吉田総理それ自体が負わなければならないのであります。しかも、行き過ぎと称するものは、おおむね進歩的政策であって、是正せんとする方向は、反動と逆コースであります。われらが占領政策の行き過ぎを是正せんとするものは、国会軽視の傾向であり、行政府独善の観念であり、ワン・マンの名によって代表せられたる不合理と独裁の傾向であり、官僚政治の積弊であります。

4.鮎川義介「革命を待つ心―今の實業家、昔の實業家」

鮎川は新興財閥日産コンツェルンの創設者。戦後、『文藝春秋』に寄せた小論より。

 革命には、政治革命もあろうし、産業革命もあると思う。どんな形で革命が來るか、私は知らぬが、革命が來なければ、空氣が一新できないことは事實である。
 早い話が、今の總理大臣がいけない、早く辭めろ、などと言う。しかし誰かにかわつても、今以上のことができるとも思われない。どつこいどつこい――と言つては惡いかも知らぬが、大した効果はないと思う。空氣そのものが變つておらぬからである。
 いくら偉い者でも、その思うところを行い得るには環境というものが要る。運というものが要る。環境と運、これはわれわれが作るものではない。自然に來るものである。
 人が環境を作るということもあるが、これは長くかかる。きよう考えたから明日環境を變える、そんな力はない。變えるには歴史的の時間を要する。こういうことになるのではあるまいか。
 今度來るのは、私は經濟革命であろうと思う。今のようなことをしておつて、日本がうまくゆくとは、私は思わない。ここでよほどの大きな對策を實行しなければ――新聞に論じているようなことでは――とても立つてゆきはせぬ。どうしたら立つてゆけるか。自發的にお互いが發心してやつてゆくような空氣は、今の日本にはない。

初出:「文藝春秋 昭和二十八年十一月號」文藝春秋新社
   1953(昭和28)年11月1日発行


5.石原莞爾『最終戦争論』

来るべき「最終戦争」とは何か、端的な説明の中に、総力戦(石原はそれをも超える最終決戦を証立てようとしていたわけですが)の特徴を読み取ることができます。



第一部 最終戦争論

昭和十五年五月二十九日京都義方会に於ける講演速記で同年八月若干追補した。


「 われわれは第一次欧州大戦以後、戦術から言えば戦闘群の戦術、戦争から言えば持久戦争の時代に呼吸しています。第二次欧州戦争で所々に決戦戦争が行なわれても、時代の本質はまだ持久戦争の時代であることは前に申した通りでありますが、やがて次の決戦戦争の時代に移ることは、今までお話した歴史的観察によって疑いのないところであります。
 その決戦戦争がどんな戦争であるだろうか。これを今までのことから推測して考えましょう。まず兵数を見ますと今日では男という男は全部戦争に参加するのでありますが、この次の戦争では男ばかりではなく女も、更に徹底すれば老若男女全部、戦争に参加することになります
〔中略〕
単位は個人で量は全国民ということは、国民の持っている戦争力を全部最大限に使うことです。そうして、その戦争のやり方は体の戦法即ち空中戦を中心としたものでありましょう。われわれは体以上のもの、即ち四次元の世界は分からないのです。そういうものがあるならば、それは恐らく霊界とか、幽霊などの世界でしょう。われわれ普通の人間には分からないことです。要するに、この次の決戦戦争は戦争発達の極限に達するのであります。
 戦争発達の極限に達するこの次の決戦戦争で戦争が無くなるのです。人間の闘争心は無くなりません。闘争心が無くならなくて戦争が無くなるとは、どういうことか。国家の対立が無くなる――即ち世界がこの次の決戦戦争で一つになるのであります。
 これまでの私の説明は突飛だと思う方があるかも知れませんが、私は理論的に正しいものであることを確信いたします。
〔中略〕
しからばその決戦戦争はどういう形を取るかを想像して見ます。戦争には老若男女全部、参加する。老若男女だけではない。山川草木全部、戦争の渦中に入るのです。しかし女や子供まで全部が満州国やシベリヤ、または南洋に行って戦争をやるのではありません。戦争には二つのことが大事です。
 一つは敵を撃つこと――損害を与えること。もう一つは損害に対して我慢することです。即ち敵に最大の損害を与え、自分の損害に堪え忍ぶことであります。この見地からすると、次の決戦戦争では敵を撃つものは少数の優れた軍隊でありますが、我慢しなければならないものは全国民となるのです。今日の欧州大戦でも空軍による決戦戦争の自信力がありませんから、無防禦の都市は爆撃しない。軍事施設を爆撃したとか言っておりますけれども、いよいよ真の決戦戦争の場合には、忠君愛国の精神で死を決心している軍隊などは有利な目標でありません。最も弱い人々、最も大事な国家の施設が攻撃目標となります。工業都市や政治の中心を徹底的にやるのです。でありますから老若男女、山川草木、豚も鶏も同じにやられるのです。かくて空軍による真に徹底した殲滅戦争となります。
〔中略〕それから破壊の兵器も今度の欧州大戦で使っているようなものでは、まだ問題になりません。もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねはなりません。飛行機は無着陸で世界をクルグル廻る。しかも破壊兵器は最も新鋭なもの、例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代り大阪も、東京も、北京も、上海も、廃墟になっておりましょう。すべてが吹き飛んでしまう……。それぐらいの破壊力のものであろうと思います。そうなると戦争は短期間に終る。それ精神総動員だ、総力戦だなどと騒いでいる間は最終戦争は来ない。そんななまぬるいのは持久戦争時代のことで、決戦戦争では問題にならない。この次の決戦戦争では降ると見て笠取るひまもなくやっつけてしまうのです。このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります。」

[中略]

「それからヨーロッパの組はドイツ、イギリス、それにフランスなど、みな相当なものです。とにかく偉い民族の集まりです。しかし偉くても場所が悪い。確かに偉いけれどもそれが隣り合わせている。いくら運命協同体を作ろう、自由主義連合体を作ろうと言ったところで、考えはよろしいが、どうも喧嘩はヨーロッパが本家本元であります。その本能が何と言っても承知しない、なぐり合いを始める。因業な話で共倒れになるのじゃないか。ヒットラー統率の下に有史以来未曽有の大活躍をしている友邦ドイツに対しては、誠に失礼な言い方と思いますが、何となくこのように考えられます。ヨーロッパ諸民族は特に反省することが肝要と思います。そうなって来ると、どうも、ぐうたらのような東亜のわれわれの組と、それから成金のようでキザだけれども若々しい米州、この二つが大体、決勝に残るのではないか。この両者が太平洋を挟んだ人類の最後の大決戦、極端な大戦争をやります。その戦争は長くは続きません。至短期間でバタバタと片が付く。そうして天皇が世界の天皇で在らせらるべきものか、アメリカの大統領が世界を統制すべきものかという人類の最も重大な運命が決定するであろうと思うのであります。即ち東洋の王道と西洋の覇道の、いずれが世界統一の指導原理たるべきかが決定するのであります。
 悠久の昔から東方道義の道統を伝持遊ばされた天皇が、間もなく東亜連盟の盟主、次いで世界の天皇と仰がれることは、われわれの堅い信仰であります。今日、特に日本人に注意して頂きたいのは、日本の国力が増進するにつれ、国民は特に謙譲の徳を守り、最大の犠牲を甘受して、東亜諸民族が心から天皇の御位置を信仰するに至ることを妨げぬよう心掛けねばならぬことであります。天皇が東亜諸民族から盟主と仰がれる日こそ、即ち東亜連盟が真に完成した日であります。しかし八紘一宇の御精神を拝すれば、天皇が東亜連盟の盟主、世界の天皇と仰がれるに至っても日本国は盟主ではありません。」


6.エレン・ケイ(伊藤野枝・訳)「恋愛と道徳」

青空文庫には、女性の書き手が多く掲載されています。

恋愛のために個人の幸福と社会の安寧とが屡々しばしば衝突する事がある。此の時に現在の義務と云ふ観念が社会に対する個人の絶対無条件の犠牲を要求する。私共はこういふことを屡々耳にする――凡およそ国家として欠くべからざるものは健全なる父母であり、而しかして彼等の確固たる永久の結合はその子孫の教育を安全ならしむるものである。さうして、此要求が個人の幸福に対して干渉する場合には、個人は何時でも犠牲の位置に立たなければならない。この個人が禍を蒙むると云ふことが直ちに結婚の覊絆きはんをゆるめなければならぬといふ理由にはならない。而して両親の大多数が子供と云ふものは家庭に於て最もよく養育せられるものであると云ふ意見を抱いてゐる間はその様な理由は確かに成り立ちはしないのである。であるから国家といふものは結婚制度の変化如何に由て何等の影響をも蒙むるものではない。又離婚を容易ならしむると云ふことが人間の密接なる関係によつて常に生ずる不和合の原因を除去する手段にもならない。仮令たとえ現在の結婚制度が最も進歩発達したる階級にある男女の要求に背くものであつても、かの、少数を利し多数に有害なる革新と、多数を利し少数に禍する現在の制度とを比較選択する場合にあたつては全体として社会を利する現状を認容しなければならない。現代に於て離婚を容易ならしむるは徒いたずらに離散を事とし、結婚制度を極めて放肆ほうしなるものと化し、その結果として、先まづ家庭は破壊せられ次で国民の滅亡を惹き起すに至るのみである。故に幸福を要求する恋愛は国家の安寧秩序を破壊する純然たる叛逆である。幸福は恋愛個人主義によつて遂行せられるといふ理論は歴史と人種誌と自然との等しく加担せぬところである。而して静かなる克己と勇気ある義務の完成とが常に教へられなければならない。子供の出生と共に、その両親の幸福は停止せられなければならない。若もし両親にして自己の幸福を犠牲にしない時は自然はその法則によつて彼等の罪を子供に報ひ、以て彼等の義務の怠慢を罰するであらう。
 斯かくの如きものが所謂いわゆる世俗の義務論である。

7.伊波普猷「進化論より見たる沖縄の廃藩置県」

伊波は「沖縄学の父」とされる言語学者、民俗学者。社会進化論的な立論が垣間見えます。

今日となって考えて見ると、旧琉球王国は確たしかに、営養不良であった。して見ると、半死の琉球王国が破壊されて、琉球民族が蘇生したのは、寧むしろ喜ぶべきことである。我々はこの点に於て廃藩置県を歓迎し、明治政府を謳歌おうかする。とにかく廃藩置県は琉球社会発達史上の一大時期である。自分は今この時期以前の沖縄の社会を生物学上の事実と比較して説明してみよう。


8.ヘンリック・イブセン(島村抱月・訳)『人形の家』



9.植木枝盛「東洋大日本国国憲案」(日本国国憲案)


植木枝盛は土佐藩出身の自由民権思想家。

第一章 国家の大原則

第一条 日本国は、日本国憲法に従って国を築き、保つものとする。
第二条 日本国には、一つの立法院(法律を定める国会)、一つの行政府(政策を実行する政府)、一つの司法庁(法をつかさどる裁判所)を置く。憲法はその規則を設ける。
第二章 国家の権限
第三条 日本の国家は、国家ならびに政府を成り立たせるために必要な物事を手配することができる。
第四条 日本の国家は、外国に対して外交上の付き合いをし、条約を結ぶことができる。
第五条 日本の国家は、日本人ひとりひとりの自由の権利を損なう規則を作って実施することはできない。
第六条 日本の国家は、日本国民ひとりひとりの私的なことに干渉する行いをすることはできない。


9.サッフォ(上田敏・訳)「君のねがひ」 

サッフォーの上田敏訳がありました。

君のねがひ望みたまふもの、
もし道にかなひて尊きことならば、
または、
くちに正しからぬ言葉をたくみたまはずとならば、
いかでか羞はぢは君の眼を蓋おほふべき、
あからさまにいひいでたまふべきに。


10.内村鑑三「基督信徒のなぐさめ」

余は日本人なり、ゆえに日本国と日本人民に関しては余は英国の碩学よりも、米国の博士よりも完全なる思想を有すべきものにして、この国とこの民とを教化せんとするにおいては余は彼等に勝りて確実なる観念を有することは当然たるべきなり、余はアイヌ人の国に到れば余のアイヌ人に勝る学識を有するの故を以てアイヌ人に関するアイヌ人の思想を軽かろんぜざるなり、余は小径こみちを山中に求むる時は余の地理天文に達し居おるが故に樵夫しょうふの指揮を見貶みくださざるなり、余の国と国人とに関して余が外国人の説をことごとく容れざるは必しも余の傲慢なるが故にあらざるなり、日本は余の生国にして余の全身はこの国土に繋がるるものなれば余のこの国に対する感情の他国人に勝るは当然なり、利害の大関係ある余の自国に関する余の観念は他国人のこの国に対する観念よりも健全にして確実なりと信ずるは決して自身を賞揚するのはなはだしきものというべからざるなり、また余の一身の所分についても余は余自身の事に関しては最大最良なる専門学者なり、神の霊ならでは神のことを知るものなし、余の霊のみ余のことを知るなり、余の神に対する信仰また然しかり、余に最も近くかつ余の最も知り易きものは神なり。

11.マルクス、エンゲルス(堺利彦・訳、幸徳秋水訳)『共産黨宣言』

一個の怪物がヨーロッパを徘徊してゐる。すなはち共産主義の怪物である。古いヨーロッパのあらゆる權力は、この怪物を退治するために、神聖同盟を結んでゐる。ローマ法皇もツァールも、メッテルニヒもギゾウも、フランスの急進黨もドイツの探偵も。



12.ジョージ・オーウェル『あなたと原子爆弾』

 私たち全員が五年以内に粉々になってしまう可能性をいかに高めるか。この点から見ると、原子爆弾に関する議論は予想外に盛り上がっていない。新聞には、陽子や中性子の働きに関する、一般人にはさして有用ではない図表がごまんと載っているし、この爆弾は「国際的な管理下に置かれるべきである」という無駄な主張がひたすら繰り返されている。だが不思議にも、誰もが最も気にしている次の疑問点についてはほとんど語られない。とにかく出版はされていない。すなわち:「それを作るのはどれほど困難なのか。」
 私たち――つまり巨大大衆――はこの疑問点についての情報をいささか間接的に受け取っている。トルーマン大統領がソヴィエト連邦に対してある種の機密事項を伝えないという決定をした件からだ。数ヶ月前、原爆がまだ噂に過ぎなかった頃、次のような話が広く信じられていた。曰く、原子の分裂はもっぱら物理学者たちの課題に過ぎず、一旦それが解決されれば、ほとんど誰もが破滅的な新兵器を手にすることができるだろうと。(噂によれば、頭のイカれた孤独な研究者が、いつか打ち上げ花火なみにたやすく文明を粉微塵にするかも、といった具合に。)

新訳はKindle Unlimitedでも読むことができます。



13. ジョージ・オーウェル 『象を撃つ』

私がもっとも好きなエッセイの一つ。オーウェルは、1922年~1927年の期間のおよそ5年間、植民地ビルマ駐在の警察官として植民地に関わった経験を持ちます。

下ビルマのモールメンにいた頃、私は大勢の人たちから憎まれていた――生涯でただ一度、憎悪に足るだけの要職に就くことになったわけだ。町の分署の警官だった私に、無目的で狭量な反欧州的感情はひどく辛かった。彼らに暴動を起こすまでの根性はなかったが、ヨーロッパ人女性が一人でバザールを通りがかろうものなら、たぶんドレスに蒟醤(*1)を噛んだ唾を吐きかけられることになっただろう。警官たる私は明白なターゲットで、やっても大丈夫そうな場合はいつでも苛められていた。はしっこいビルマ人がサッカー場で私を蹴躓かせ、審判(これもまたビルマ人)があらぬ方を見ていた時、群衆は胸糞悪い哄笑でこれを歓迎した。それが一度きりではなかったのだ。私の後を難の及ばぬ距離だけ離れて侮蔑のヤジが付きまとい、そこいら中にいる若者連の黄色い嘲り顔がいたく神経に障るようになった。中でも最悪だったのが仏教の若い僧たちだ。町にはそんなのが何千人もいて、何をしているかと言えばひたすら街角に立ってヨーロッパ人を虚仮にするだけだったのである。
 こういったこと全てが面倒で腹立たしかった。というのも、私はその時にはもう帝国主義は悪事であると認め、さっさと今の職場から足を洗って別のもっと真っ当な仕事につく肚を決めていたのだから。理論の上では――いうまでもなく内密にだが――私はビルマ人の味方なのであり、彼らの圧制者たる英国に反対していた。当時の職について言えば、多分ここで明言できる以上に憎んでいた。あんな商売をしていると、帝国の汚れ仕事を間近く見ることになる。悪臭芬芬たる未決檻中に身を屈める哀れな囚われ人たちだの、長期服役囚の怯えた灰色の顔だの、竹の棒で滅多打ちにされ痣だらけになった尻だの――いずれもが私に耐え難い罪の意識を押し付け憂鬱にさせた。だが私は全てを捉え損ねていた。私は若く、学がなく、自分の問題を誰にも言わずに考え抜かねばならなかった。この無言の行は東洋に住む英国人が一人残らず負うている制裁だ。また、大英帝国が滅びつつあるとも知らず、後釜を狙っている若い帝国どもに比べれば大英帝国の方がまだマシだという点に関してはいっそう無知だった。判っていることといえば、自らが仕えるかの帝国への憎悪と、私の職務を邪魔しようとする邪悪な小獣たちに対する憤怒との間で立ちすくんでいること、それだけだった。心の一部では英国政府によるインド統治は打破し難い虐政であり、平伏する人民の意志を in saecula saeculorumとこしえ に圧壊する弾圧行為であると思っていた。同時に心の別の部分では、仏教の坊主どもの腸はらわたに銃剣をぶちこめるなら、世にこれほど愉快なこともあるまいと思っていた。これらの感覚は帝国主義がもたらす通常の副産物である。誰でもいいからインド在住英国人を非番の時につかまえて聞いてみたまえ。


14.ジョージ・オーウェル「ナショナリズムについての覚書」

「ナショナリストは一人残らず過去は改変可能だという信念に捕われている。彼は人生の一部をファンタジーの世界で生きていて、その世界では全ては起こるべく起こる――アルマダの海戦がスペイン勝利に終わったり、ロシア革命が一九一八年に潰滅したり。そして時あらば常にそのファンタジー世界の断片を歴史書の中に書き込もうとするのだ。我らの時代について書く時、プロパガンダ作成者はあからさまな捏造を積み重ねる。物的証拠は隠され、日付は改められ、引用は元の文脈から剥がされて意味が変わるまで切り刻まれる。起こるべきではなかったことには触れないで済ますか、最終的に否定するかする[*6]。一九二七年、蒋介石は数百人の共産主義者を生きたまま釜茹でにしたのに、十年後には左翼の英雄になっていた。世界の政治情勢が変わったおかげで彼は反ファシスト側に入ることになり、であるからして共産主義者釜茹で事件は「どうでもよく」なり、あるいは実際には起らなかったのではないか、という感じになった。もちろんプロパガンダの主目的は同時代の世論への揺さぶりなのだが、歴史を書き換えている者は、心のどこかで、自分たちは実際に幾つかの事実を過去に押し込んでいると思っている。トロツキーがロシア内戦の中で意味のある役割を果たしたことなどない、と示すべく手の込んだ捏造を試みる人物は、責任者として嘘をついているとはまず感じない。むしろ神の目から見れば自分たちのヴァージョンの方が実際の出来事を記述しているのであり、従って自分たちは正当化されると感じるに違いない。
 世界の一部を残りから切り離してしまえば、実際に何が起きているかを一層把握し難くなり、客観的真実への無関心を促進することができる。ほとんどの巨大事象には疑いがつきものだ。例えば、今次の戦争を原因とする死亡数は何百万いや何千万になるだろうが、計算することができない。日々報道され続けている惨事――戦いくさ、殺戮、飢饉、革命――は、平均的人間には非現実感を惹き起こしがちである。人は事実を検証する術を持たず、人は出来事が本当に起きたという確証を持つことすらできず、人は常に異なるソースから全く異なる解釈を見せつけられる。一九四四年八月のワルシャワ蜂起は正か邪か? ポーランドに有ったというドイツのガス室の件は本当か? ベンガル飢饉で真に責められるべきは誰か? おそらく真実を見つけ出すことはできよう。だが、事実はおよそあらゆる新聞紙上であまりに不正直に提示されるため、一般読者が嘘を鵜呑みにしたりあるいは意見を持てなかったりしても仕方がない程である。実際に何が起きているのかが総じて不明瞭であることで、狂気じみた信条へと容易にすり寄ってしまうのだ。完全に証明されたものも反証されたものもないのであるから、最も疑いようのない事実だって臆面もなく拒否できる。そればかりではない。権力や勝利や敗北や報復のことを絶え間なく思いつめているというのに、ナショナリストは現実世界で起きていることに関してどこか無関心である。彼が欲するのは自分自身の集団が他の集団を出し抜いているという感じなのであって、そのためには事実を検証して自分を支持するか否かを確認するより、敵をやり込める方が容易なのだ。ナショナリストの議論は軒並みディベートクラブのレベルだ。常にそれは全く以って不得要領だ。コンテスト参加者が皆、揃いも揃って自分の勝利を確信しているのだから。ナショナリストのいくたりかは精神分裂病から然程遠くない所にいる。権力と征服という夢幻世界の中で至極幸福に暮らし、物理的・身体的な世界とはなんらの関係も持たない。」


15. ジョージ・オーウェル「ファシズムとは何か」

 あらゆる今日的な未解決問題の中で、最も重要なのはおそらくこれだ:「ファシズムとは何か。」
 先日、米国のとある社会調査機関がこの質問を総勢百名の市民に向けたところ、「純粋な民主主義」から「純粋な悪魔主義」に至る様々な回答を得た。この国で(*1)、平均的な考えをもつ人物にファシズムを定義させたら、ドイツとイタリアの政権がそれだと答えるのが常だ。だがこれは極めて不満足な定義である。なんとなれば主たるファシスト国家の間にも、その構造やイデオロギーにおいて顕著な相違があるからだ。
 一例としてドイツと日本を同じ枠組に押し込むのは容易でないし、ファシストと呼びうる小国の幾つかにとっては、それは一層困難な作業である。例えば通常、ファシズムは生得的に好戦的だということになっており、ヒステリックな戦争熱をまとって脅迫し、専ら戦争準備と他国の征服を通してのみその国の経済的な諸問題を解決することが可能である、ということになっている。だが明らかに、この思い込みはポルトガルや種々の南米独裁政権においては真実ではない。

16.大隈重信「憲政に於ける輿論の勢力」

初出:「憲政ニ於ケル輿論ノ勢力」日本蓄音器商会、1915(大正4)年3月2日

 かくの如く輿論の勢力は大なるものであってだ、ことに憲政の下もとに、全くこの憲政の運用発達は輿論に支配さるるものであるという事は、信じて疑わぬのである。輿論はすべて知識ある階級によって導かるるものである。
 ここに於いて政治家は、国民の指導者となって国民を導く、輿論を導く。ある場合には、輿論を制するという力がなくてはならぬのである。然しかるに憲政の下もとに、政党の人は輿論を指導するべきの働きが起ったか。近来、未だかくの如き政治家を見ないのである。
 然るにこのたびの解散によって、初めて憲法実施以来、解散の理由を明らかにして、反対党の論ずるところと政府の論ずるところを対照して、聡明なる国民の前に訴えたという事はこのたびが初めてである。
 ここに於て、翕然きゅうぜんとして輿論は今起りつつあると信じますのである。これは憲政の発達のために、甚だ悦よろこぶべきことであると思います。

17.大隈重信「東亜の平和を論ず」


底本の親本:「大隈伯演説集」早稲田大学出版部、1907(明治40)年10月22日発行
初出:「外交時報 第八四号」、1904(明治37)年11月

 日本は数万の生命を犠牲にし、数十億万金を費やして得たところの土地であるに拘かかわらず、これを支那に還付するに躊躇しない。しかしこれを還付するに付いては、満州も勿論もちろん、支那全体に充分なる秩序を保ってもらわねばならぬ。これを言い易かえれば、支那皇帝は善政を行いて支那の秩序を確立し、同時に国の文明を進めて制度文物を世界の文明と同化せしめ、列国との生存競争場裡じょうりに立ちて適者として生存するを得るに至るまでの間は、日本は絶東に於ける平和の保護者たる責任として、支那に対し後見者たる地位に立つ必要がある。故に支那皇帝は勿論、すべて支那の大官、地方の総督巡撫に至るまで、日本皇帝及び日本国民の友誼あるこの心を十分に体して、支那を文明に導き善政によりて国を盛んにすることが最も必要である。これを行う上に付いては、日本の力の及ぶ限り友誼的助力を与えるということが日本の義務である。これが即ち満州を還付するについて国民全体の希望である。かくする時は世界列国の商工業者は安全に支那到る所に居住し、到る所に事業を営み、毫ごうも危険を感ぜぬことになる。かくする時は世界列国、ことに支那を侮あなどりこれを苦しめた国民までも、自ずから支那人に相当の尊敬を与えるようになる。而しかして平和は期せずして来るのである。支那の尊厳は期せずして現れ来るのである。これ即ち日本国民がその同種同文の国民に対し、千五百年の友誼ある国民、孔夫子こうふうしの同門者たる国民に対するところの希望である。而しかしてかくの如くにして得られたる泰平の賜物は、引いて世界に及ぶという訳である。

18.ピョートル・アレクセーヴィッチ・クロポトキン(大杉栄・訳)『革命の研究』

 今、マルクスシストや、ポシビリストや、ブランキストや、またブルジョワの革命家等を一瞥して見ると――何故なら今日芽ぐんでいる革命にはこれらのすべてのものが顔を出すであろうから――そして同じような政党が名は違っても同じ特徴を持ってどこの国にもあることを考えて見ると、そしてまた、その根本思想や目的や方法を解剖して見ると、驚くことには、彼等はみんな過去に目をつけていて、誰一人将来を見ようともしないで、そしてその政党がみんなつぎのような一つの思想しか持っていないのだ。すなわち、その思想というのは、政府の力としてははなはだ強い、しかし世界を革命することのできる唯一の思想を生みだすにははなはだ無力な、ルイ・ブランかブランキーか、あるいはロベスピエールかマラーを復活させることなのだ。
 みな独裁を夢みている。「無産階級の独裁」とマルクスはいった。詳しくいえば、その執政官どもの独裁だ。ほかの政党の参謀等は、社会党以外のわが党の独裁だというだろう。が、それはみな帰するところは同じだ。
 みなその敵の合法的虐殺による革命を夢みている。革命裁判、検察官、ギロチン、およびその雇人すなわち死刑執行人と獄吏とを夢みている。
 みな国民をその臣下として、国家の叙任を受けた幾千幾万の官吏によってその臣下を支配しようとする、全知全能の国家の政権獲得を夢みている。ルイ十四世もロベスピエールも、またナポレオンも、ガンベッタも、要するにこういった政府以外のものを夢みてはいなかったのだ。
 みなこの独裁時代の後に革命から生れ出る「建物の冠」として、代議政治を夢みている。みな独裁者の造った法律に対する絶対的服従を教えている。
 みなその権力の首領等と違ったことを考えているものはすべて虐殺するという、公安委員会の夢ばかり見ているのだ。自分自身の意志するままに思索し行為することをあえてする革命家等は殺されなければならない。もっと遠くへ行こうというものは、なおさら殺されなければならない。もしマラーがまだ許されるとすれば、マラー以上の共産主義者や、また「気違い」だと呼ばれているものは殺されなければならない。
 みな何等かの形式の下に、あるいは私有かあるいは国有かの所有権の維持を欲している。財産を使用し濫用する権利の維持を欲している。仕事による報酬、国家によって組織された慈善を欲している。
 みな個人や民衆の発意心を殺すことを夢みている。考えるということは、と彼等はいう、それは科学であり技術であって、民衆には不向きのものである。そしてやがて、民衆に発言することが許されても、それは彼等のために考え彼等のために法律をつくる首領を選ぶために過ぎないだろう。そして思想の指導者によって論ぜられない解決を、自ら求め、自ら試みるためではないだろう。マルクスやブランキーは、ルソーが十九世紀のために十分考えたように、今日の世紀のために十分考えた。そして、首領が先見しなかったことは存在の理由がないことになるのだ。
 これが革命家という名を僭称している百人中九十九人の夢なのだ。
〔中略〕
もし、敵に打ち勝つためには恐怖政治しかないということであったら、革命の将来はどんなに悲しいことであろう。が、幸いに、革命には、それと違った有力な他の方法があるのだ。そしてこの方法はすでに、どんな方法が彼等に勝利を確かめるかということを求めている革命家等の新しい世代の中に芽ざしているのだ。彼等は、それがために、何よりもまず、旧制度の代表者からその圧制の武器を奪い取らねばならないことを知っている。あらゆる都市、あらゆる農村において、あらゆる圧制の主要機関をたちどころに廃止しなければならぬことを知っている。ことにはまた、かくして解放された都会や農村に、住宅や生産機関や運輸の方法や、また食料その他生活に必要ないっさいのものの交換を社会化して、社会生活の新しい型を始めなければならないことを知っている。

19. 岡倉覚三(村岡博・訳)『茶の本』

 岡倉覚三とは明治・大正の美術運動の指導者、岡倉天心(1862〜1913)のことだ。1904年(明治37)には大観と春草を伴ってアメリカに渡り、ボストン美術館で勤務をはじめ、1905年同館の東洋部長となった。『茶の本』をニューヨークで出版したのは1906年のことである。
 ここで岡倉が崩そうとこころみているのは、西洋こそが文明とみる単一的な価値観だ。

西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮さつりくを行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術――について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。
[中略]
東西両大陸が互いに奇警な批評を飛ばすことはやめにして、東西互いに得る利益によって、よし物がわかって来ないとしても、お互いにやわらかい気持ちになろうではないか。お互いに違った方面に向かって発展して来ているが、しかし互いに長短相補わない道理はない。諸君は心の落ちつきを失ってまで膨張発展を遂げた。われわれは侵略に対しては弱い調和を創造した。諸君は信ずることができますか、東洋はある点で西洋にまさっているということを!


20.加藤弘之「進化學より見たる哲學」

 井上博士曰ウント氏も意思に就て論じてスペンサー氏やヘッケル氏の缺陷を示して居る、ウント氏の説は箇樣である、凡そ生存競爭といふことに就ては二つに分けて見ねばならぬ點がある、其第一は境遇例へば自己の屬する國土、時世、周圍の状態等であるが是れは吾々の意思で以て何とも左右することの出來ぬものである、併し是等の境遇なるものを除けば其他は全く自己の意思で生存競爭が定まる、といふので是れが即ち第二になるのであるが、是れは實に尤なる議論である、日本が清露兩國に打勝つたのも日本人の意思が豫め打勝つべき準備をして居たからである、東郷大將が敵艦を全滅せしめたのも大將に壯大なる意思があつたからである、其樣な譯で意思がなければ競爭に打勝つことは決して出來ぬ、ウント氏は殊にショッペンハウエル氏の影響を受けて右樣な説を立てたのであると思ふ、其他パウルゼン氏も矢張同樣に論じて居る、進化論には必ず意思を加へて研究せねばならぬ、左樣にすれば進化論が大に變化して來る云々。

21.龜井勝一郎「君臣相念」

 終戦の御詔勅を畏くもラジオを通して賜つたとき、私は玉音を拝しつゝ夢ではないかと思つた。御親政がいまはじめて実現された、これこそ御親政といふものにちがひないといふ深い直感であつた。国家の最大危機にかくあることは、我らの幸ひといふべきか不幸といふべきか。私の半生の間には、至尊の御姿をはるかに拝し奉つたことは幾度かある。それは狂的とさへ思はるる厳重無比な警戒の垣の間からであつた。至尊の御通りを拝さんとする国民は罪人のやうに扱はれ、警護者の鋭い監視のもとにおかれた。何がこのやうな悲しむべき事態を招いたのか。責任は我々の思想的不逞にもあつたであらうが、おそらく史上に例のない驚くべき事実であり、しかも誰も疑はず黙して従つた。私は日本国民として一生このやうな状態で死ぬのかと悲しくあきらめてゐた。玉音を拝するなど夢想だにしなかつたのである。

22.河合栄治郎「二・二六事件に就て」

 

今や国民は国民の総意か一部の暴力かの、二者択一の分岐点に立ちつつある。此の最先の課題を確立すると共に社会の革新を行うに足る政党と人材とを議会に送ることが急務である。二月二十日の総選挙は、夫それ自身に於ては未だ吾々を満足せしめるに足りないが、日本の黎明れいめいは彼かの総選挙より来るであろう。黎明は突如として捲まき起これる妖雲よううんによって、暫しばらくは閉ざされようとも、吾々の前途の希望は依然として彼処そこに係っている。
 此の時に当たり往々にして知識階級の囁ささやくを聞く、此の〔暴〕力の前にいかに吾々の無力なることよと、だが此の無力感の中には、暗に暴力讃美さんびの危険なる心理が潜んでいる、そして之こそファッシズムを醸成する温床である。暴力は一時世を支配しようとも、暴力自体の自壊作用によりて瓦壊がかいする。真理は一度地に塗まみれようとも、神の永遠の時は真理のものである。此の信念こそ吾々が確守すべき武器であり、之あるによって始めて吾々は暴力の前に屹然きつぜんとして亭立しうるのである。

23.河上肇「小国寡民」


 大国衆民、富国強兵を目標に、軍国主義、侵略主義一点張りで進んで来た我が日本は、大博打の戦争を始めて一敗地にまみれ、明九月二日には、米国、英国、ソヴエット聯邦、中華民国等々の聯合国に対し無条件降伏の条約を結ばうとしてゐる。誰も彼も口惜しい、くやしい、残念だと云つて、悲んだり憤つたりしてゐる最中だが、元来敗戦主義者である私は大喜びに喜んだ。これまでの国家と云ふのは、国民の大多数を抑圧するための、少数の権力階級の弾圧機構に過ぎない。戦争に負けてその弾圧機構が崩壊し去る端を開けば、大衆にとつてこれくらゐ仕合せなことはないのだ。私は、日本国民が之を機会に、老子の謂はゆる小国寡民の意義の極めて深きを悟るに至れば、今後の日本人は従前に比べ却て遙に仕合せになるものと信じてゐる。元来、外、他民族に向つて暴力武力を用ふる国家は、内、国民(被支配階級)に対してもまた暴力的武力的圧制をなすを常とする。他国を侵略することにより主として利益するものは、少数の支配階級権力階級に止まり、それ以外の一般民衆は、たか/″\そのおこぼれに霑うるほふに過ぎず、しかも年百年中、圧制政治の下に窒息してゐなければならぬ。それは決して幸福なものではありえないのだ。今や日本は、敗戦の結果、武力的侵略主義を抛棄することを余儀なくされて来たが、それと同時に、早くも国民の自由は、見る/\うちに伸張されんとしてゐる。有り難いことなのだ。もしそれ更に一歩を進め、こゝ二、三年のうちに国を挙げてソヴエット組織にでも移ることが出来たなら、それから四、五年の内には、戦前の生活水準を回復することが出来、その後はまた非常な速度を以て民衆の福祉は向上の一路を辿ることともならう。
 私はそれについて、今ではソヴエット聯邦の一部となつてゐるコーカサスを思ひ浮べる。このコーカサスは、欧露と小亜細亜とを繋ぐ喉頸のやうなところで、南はトルコとペルシャに境を接し、東はカスピ海、西は黒海に面してゐる四十余万平方キロの土地で、その面積はほゞ日本の本土と同じであるが、(日本の本土は約三十八万平方キロ、戦前の総面積は六十七万五千平方キロであつた、)住民の数は僅に千二百万で、戦前の日本の総人口一億五百万に比ぶれば、殆ど十分の一に過ぎない。しかもそれが若干の自治州と七つの共和国に分れてゐるのである。小国寡民の地と称せざるを得ない。


24. 河口慧海『チベット旅行記』

北清事件の取沙汰 そうすると都は都だけでシナの戦争についての風聞ふうぶんも余程高い。これはシナから帰った商人あきんど、あるいはネパールから来た商人らが持ち来ましたところの風聞であろうと思われる。もちろんチベットからインドへ交易に行く商人も幾分かの風聞を持って帰ったのである。その風聞がなかなか面白い。雲をつかむような話で、あるいはシナの皇帝は位を皇太子に譲ってどこかへ逃げて行っちまったとも言い、なあにそうじゃない、戦争いくさに負けて新安府へ逃げたのである。なぜ戦争に負けたのだろうかと言うと、それは悪い大臣があってシナ皇帝の嫁さんに英国の婦人を貰った。それから騒動が起ってとうとう負けることになって逃げたのであるとか、いや日本という国があるそうだが其国それがなかなか強くって、とうとうペキンを取ってしまったとか、またシナは饑饉ききんでもって何にも喰物くいものが無くなったから人が人を殺して喰って居る。で全く郎苦〔羅刹〕叉鬼シャキの国に変じかけて居るとかいうような、とりとめのない風聞も沢山ありました。その後ラサ府では日本ということについて少し知って来たです。
 これまでは日本という名さえ知らなかったんである。ことに商法人などは事実あった事か無い事か知りませんけれど、日本という国は余程義気に富んで居る国で、戦争いくさに勝ってペキンを取ってしまったけれど、ペキンが饑饉ききんの時分に自分の国から米、麦あるいは着物など沢山船で持って来てそうして幾百万の人を救うた。そういうえらい国であるというようないい評判もある。またある一方には、なあにそんな事をやるのはいい加減にごまかすので、実は日本という国はイギリスと一緒になって戦争をやる位の国だから、やはりイギリスのようによその国ばかり取ることを目的にして居るんである。そんな義気などあったもんじゃない。つまり遣り方が上手なんだ、というようないろいろな風聞があって、どれがどうともとりとめはつかんけれど確かにシナと各国連合との戦争はあったという位の事は確かめられたです。」


ロシア贔屓ひいきの原因 それからロシア贔屓ひいきということが余程盛んになって来たですが、それにはなお他の原因がある。ロシアから輸入されるところの西洋小間物は皆上等の物ばかりである。その上等な物とても売るのでなくって皆人に遣るのです。英領インドから輸入される物は皆安いつまらない物ばかりである。それはその筈でチベットの商隊なり一個人の商業家がインドに出掛けて、高い物を買って来たところがほとんど売ることが出来ない。売れたところで利益を見られんものですから、なるべく安い物を仕入れる。安い物を仕入れなくては運送費が高く掛るからとてもしてみようがない。
 ところがロシアのは売るつもりで持って来るのでなく、始めからただ遣るつもりで持って来るから、どんな良い物を持って来てもよい訳で、そこでチベットでは、どうもイギリスのはじきに毀こわれてしまうけれどもロシアの物はなかなか堅固である。同じ西洋品ではあるけれども余程ロシアの方がよい。これによって見てもロシアの国の確実なることを信ずるに足る、というような議論をして居る人間もある。
露帝の贈物 今より四年程以前の事と思う。時は確かに分らない秘密であったから……。まずそれ位くらい前にロシアの皇帝からチベットの法王に対し、そのツァンニー・ケンボの手によってビショップの法衣ほうえを贈られた。ところがチベットの法王は喜んでその立派なる金色の衣服を受けたそうです。それはただ衣服を受けたというだけでなくって、その衣服を受けるとやはりビショップ(大僧正)の位も受けたことになるのである。余程奇態である。ギリシア教を国教として居る国の皇帝が、そのギリシア教の僧侶の最高官即ちビショップの位をもって、仏教の僧侶たるチベット法王に与えるというのは実に奇態である。

25. マハトマ・ガンジー「日本の全ての方々へ」

 



「自分たちはインドで心から歓迎されるだろうと信じておられるなら、あなた方は悲しいほど幻滅させられるでしょう。この点を決して誤解されないように願います。英国追放運動の目標と狙いはインドを整備することにあります。そのためにあらゆる軍国主義者や帝国主義者の野望に抵抗する自由を得ようとしています。それが大英帝国主義、ドイツのナチズム、あなた方のそれと、いかなる名前で呼ばれようとも。さもなければ、私どもが非暴力の中に軍国主義的精神やその野望に対する唯一の解決策を求めているといくらあなた方が信じようと、私どもは恥ずべき傍観者として世界の軍国主義化を眺めるだけになっていたでしょう。個人的に私は恐れています。インド独立宣言なしには、暴力を宗教的な尊敬の対象に祀り上げる枢軸国に対して、連合国側は抗し得ないのではないかと。あなた方が行っているのと同様の無慈悲で練達した戦争行為を採用しない限り、あなた方やあなた方の同盟者を倒すことはできません。もしも連合国がそのような真似をするなら、民主主義と個人の自由のために世界を救うという彼らの宣言は無に帰さざるを得ないのです。彼らが力を得られる方法は一つだけだという気がします。それはあなた方の冷酷さを模倣しないことであり、今すぐインドの自由を宣言し承認し、嫌がるインドを無理やりに協力させるのではなく、自由なインドの自発的な協力を得られるならばそれが可能なのです。
 私どもは英国と連合国に対し、正義の名において、彼らの宣言の実証として、彼ら自身の利益に沿って抗議の声を上げてきました。あなた方に対しては、人道の名において訴えます。無慈悲な戦争には最終的な勝者がいない、ということが何故あなた方にはわからないのか不思議でなりません。連合国でなくても、疑いなく他の何らかの勢力があなた方の手法をより進め、あなた方の武器によってあなた方を打倒するでしょう。仮にあなた方が勝利を収めたとしても、あなた方の国民が誇りに思えるような遺産を残すことはできないのです。熟達の技たる残虐行為を延々聞かされて誇りを持てる者などいません。仮にあなた方が勝利を収めたとしても、それはあなた方に正義があったことを証明するのではなく、ただあなた方の破壊力の方がより大きかったということを証明するだけです。これと全く同じ話が、インドを直ちに誠意をもって自由にし、隷属せられたアジアやアフリカの全人民を同様に解放すると約束しない限り、連合国側に対しても成立します。」

26.マハトマ・ガンジー「非暴力」

 人が非暴力であると主張する時、彼は自分を傷けた人に對して腹を立てない筈だ。彼はその人が危害を受けることを望まない。彼はその人の幸福を願ふ。彼はその人を罵詈しない。彼はその人の肉體を傷けない。彼は惡を行ふ者の加ふるすべての害惡を耐忍ぶであらう。かくして非暴力は完全に無害である。完全な非暴力は、すべての生物に對して全然惡意を有たぬことだ。だから、それは人間以下の生物をも愛撫し、有害な蟲類や動物までも除外しない。それ等の生物は、吾々の破壞的性癖を滿足させるように作られてゐるのではない。若し吾々が造物主の心を知ることさへ出來たならば、吾々は造物主が彼等を創造した意義を發見するだらう。故に、非暴力はその積極的形式に於ては、すべての生物に對する善意である。それは純粹の愛である。私が印度經の諸聖典や、バイブルや、コーランの中に讀むところのそれだ。



27.菊池寛「マスク」

殊に、ちょうどその頃から、流行性感冒が猛烈な勢いきおいで流行はやりかけて来た。医者の言葉に従えば、自分が流行性感冒に罹かゝることは、即ち死を意味して居た。その上、その頃新聞に頻々ひんぴんと載せられた感冒に就いての、医者の話の中などにも、心臓の強弱が、勝負の別れ目と云ったような、意味のことが、幾度も繰り返されて居た。
[中略]
 三月の終頃まで、自分はマスクを捨てなかった。もう、流行性感冒は、都会の地を離れて、山間僻地さんかんへきちへ行ったと云うような記事が、時々新聞に出た。が、自分はまだマスクを捨てなかった。もう殆ど誰も付けて居る人はなかった。が、偶たまに停留場で待ち合わして居る乗客の中に、一人位黒い布片ぬのきれで、鼻口を掩うて居る人を見出した。自分は、非常に頼もしい気がした。ある種の同志であり、知己であるような気がした。自分は、そう云う人を見付け出すごとに、自分一人マスクを付けて居ると云う、一種のてれくさゝから救われた。自分が、真の意味の衛生家であり、生命を極度に愛惜あいせきする点に於て一個の文明人であると云ったような、誇をさえ感じた。
 四月となり、五月となった。遉さすがの自分も、もうマスクを付けなかった。ところが、四月から五月に移る頃であった。また、流行性感冒が、ぶり返したと云う記事が二三の新聞に現われた。自分は、イヤになった。四月も五月もになって、まだ充分に感冒の脅威から、脱ぬけ切れないと云うことが、堪らなく不愉快だった。
[中略]
それと同時に、自分が、マスクを付けて居るときは、偶たまにマスクを付けて居る人に、逢うことが嬉しかったのに、自分がそれを付けなくなると、マスクを付けて居る人が、不快に見えると云う自己本位的な心持も交って居た。が、そうした心持よりも、更にこんなことを感じた。自分がある男を、不快に思ったのは、強者に対する弱者の反感ではなかったか。あんなに、マスクを付けることに、熱心だった自分迄が、時候の手前、それを付けることが、どうにも気恥しくなって居る時に、勇敢に傲然ごうぜんとマスクを付けて、数千の人々の集まって居る所へ、押し出して行く態度は、可なり徹底した強者の態度ではあるまいか。

28.菊池寛「二千六百年史抄」


日清、日露両役を通じて、明治天皇が、軍国の御政務に御精励遊ばされた御様子は、畏れ多き極みで、幾多の御製を拝してもその一端を拝察することが出来るが、二箇年の歳月を経た日露戦争後には、戦前まで、漆黒であらせられた御頭髪が、半白にならせ給うたとの事で、恐れ多くも、六年後の御大患は、この戦争中の御過労に起因するとも云はれてゐるのである。
 国家の如何なる大事変に際しても、何人なんぴとよりも先に御軫念ごしんねん遊ばされるのが、上御一人であることを思ふとき、我々は三思して日本国民たる多幸を思ひ、奉公の誠を尽くすべきだと思ふ。
 日露戦争に依つて、世界に於ける日本の位置は、確立せられたが、第一次欧洲大戦に際しては、聯合国側に参戦して、東亜の安定勢力たる実力を十二分に発揮した。
 この辺から、日本は世界史の舞台に登場したわけで、ロンドン及びワシントンの軍縮会議などは、日本の涯かぎりなき発展に対する欧米列強の嫉視的工作であると云つてもいゝと思ふ。
 昭和六年の満洲事変は、日本が世界歴史をリードしようとしはじめたことを意味してゐる。満洲の一角に上つた現状打破の波紋は、旧勢力に依る国際聯盟を無力化し、伊太利イタリー、独逸ドイツ等の活躍となり、世界新秩序形成の口火となつたとさへ思はれるのである。
 今や、わが日本は、世界新秩序の一角たる東亜新秩序建設に従事してゐる。「無賠償、無割譲」といふ道義的和平条件を正面に立てて、東亜諸民族の恒久平和の楽土を建設するために戦つてゐるのである。
 その目的は宏遠であると共に、日本始まつて以来の難事業である。しかし、この大業が達成せられるかどうかは、日本の国運をも、左右しかねないのである。
 我々は、先祖以来二千六百年来の皇恩を思ひ、現在日本国民たるの多幸を思はば、一致団結、今次の大業のために、身命を捧げ、以て二千六百年肇国てうこく以来の皇謨くわうぼを扶翼し奉るべきであると思ふ。

29.北一輝「日本改造法案大綱」

卷二 私有財産限度
私有財産限度。日本國民一家ノ所有シ得ベキ財産限度ヲ壹百萬圓トス。
海外ニ財産ヲ有スル日本國民亦同シ。
此ノ限度ヲ破ル目的ヲ以テ財産ヲ血族其他ニ贈與シ又ハ何等カノ手段ニヨリテ他ニ所有セシムルヲ得ズ。
註一。一家トハ父妻子女及ヒ直系ノ尊卑族ヲ一括シテ云フ。


30.清澤洌『暗黒日記』


昭和十七年
  (十二月九日――十二月二十八日迄)
昭和十七年十二月九日(水)
 近ごろのことを書き残したい気持ちから、また日記を書く。
 昨日は大東亞戰爭記念日であった。ラジオは朝の賀屋(興宣)大藏大臣の放送に始って、終始、感情的叫喚であった。夕方は僕は聞かなかったが、米国は鬼畜、英国は惡魔だといった放送で、家人でさえもスウィッチを切った。かくも感情に訴えなければ、戰爭は完遂できぬのか。
 東京でお菓子の格付けをするというので、お役人が集って有名菓子を食ったりしている。役人はいかに暇であることか。
 昨日、陸軍に感謝する会が、木挽町の歌舞伎座であって、超満員だった。

31.陸羯南『近時政論考』

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日本における国民論派の大旨
 世界と国民との関係はなお国家と個人との関係に同じ。個人といえる思想が国家と相容るるに難からざるがごとく、国民的精神は世界すなわち博愛的感情ともとより両立するにあまりあり、個人が国家に対して竭つくすべきの義務あるがごとく、国民といえる高等の団体もまた世界に対して負うべきの任務あり。世界の文明はなお社会の文明のごとく、各種能力の協合および各種勢力の競争によりてもってその発達を致すものたるや疑いなし。国民天賦の任務は世界の文明に力を致すにありとすれば、この任務を竭さんがために国民たるものその固有の勢力とその特有の能力とを勉めて保存しおよび発達せざるべからず。以上は国民論派の第一に抱くところの観念にして、国政上の論旨はすべてこの観念より来る。国民論派はその目的をかかる高尚の点に置くがゆえに、他の政論派のごとく政治一方の局面に向かって運行するものにはあらず、国民論派はすでに国民的特性すなわち歴史上より縁起するところのその能力および勢力の保存および発達を大旨とす。されば或る点よりみれば進歩主義たるべく、また他の点より見れば保守主義たるべく、けっして保守もしくは進歩の名をもってこれに冠することを得べからず。かの立憲政体の設立をもって最終の目的となすところの諸政論派とはもとより同一視すべからず。これすなわち国民論派の特色なり。

32.桑原 隲蔵「蒲寿庚の事蹟」


33.幸徳秋水「ドレフュー大疑獄とエミール・ゾーラ」

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近時世界の耳目を聳動せる仏国ドレフューの大疑獄は軍政が社会人心を腐敗せしむる較著なる例証也。
 見よ其裁判の曖昧なる其処分の乱暴なる、其間に起れる流説の奇怪にして醜悪なる、世人をして殆ど仏国の陸軍部内は唯だ悪人と痴漢とを以て充満せらるるかを疑わしめたり。怪しむ勿き也。軍隊の組織は悪人をして其凶暴を逞しくせしむること、他の社会よりも容易にして正義の人物をして痴漢と同様ならしむるの害や、亦他の社会に比して更に大也、何となれば陸軍部内は××の世界なれば也。威権の世界なれば也、階級の世界なれば也。服従の世界なれば也。道理や徳義の此門内に入るを許さざれば也。

34.河本大作「私が張作霖を殺した」

初出:「文藝春秋」文藝春秋、1954(昭和29)年12月号

 来た。何も知らぬ張作霖一行の乗った列車はクロス点にさしかかった。
 轟然たる爆音とともに、黒煙は二百米メートルも空へ舞い上った。張作霖の骨も、この空に舞い上ったかと思えたが、この凄まじい黒煙と爆音には我ながら驚き、ヒヤヒヤした。薬が利きすぎるとはまったくこのことだ。
 第二の脱線計画も、抜刀隊の斬り込みも今は不必要となった。ただ万一、この爆破をこちらの計画と知って、兵でも差し向けて来た場合は、我が兵力に依らず、これを防ぐために、荒木五郎の組織している、奉天軍中の「模範隊」を荒木が指揮してこれにあたることとし、城内を堅めさせ、関東軍司令部のあった東拓前の中央広場は軍の主力が警備していた。


35. 小林 一三「宝塚生い立ちの記」l

これは裏話になるが、当時ほとんど何もなかった宝塚の地へ、あんな無理なことをやったのは、電車を繁昌させなくてはならないから、何とかしてお客をひっぱろうとしてやったことで、何も宝塚というところがいいからといってやったわけではない。電車事業というものは都会と都会を結ぶからいいので、宝塚線のように、一方に大阪という大都会があっても、一方が山と川ではダメだから、何かやらなくてはならないというわけで、従って宝塚は無理にこしらえた都会である。

36.小林 多喜二『蟹工船』

 丁度帰る日だった。彼等がストオヴの周まわりで、身仕度をしながら話をしていると、ロシア人が四、五人入ってきた。――中に支那人が一人交っていた。――顔が巨おおきくて、赤い、短い鬚ひげの多い、少し猫背の男が、いきなり何か大声で手振りをして話し出した。船頭は、自分達がロシア語は分らないのだという事を知らせるために、眼の前で手を振って見せた。ロシア人が一句切り云うと、その口元を見ていた支那人は日本語をしゃべり出した。それは聞いている方の頭が、かえってごじゃごじゃになってしまうような、順序の狂った日本語だった。言葉と言葉が酔払いのように、散り散りによろめいていた。
「貴方あなた方、金キット持っていない」
「そうだ」
「貴方方、貧乏人」
「そうだ」
「だから、貴方方、プロレタリア。――分る?」
「うん」
 ロシア人が笑いながら、その辺を歩き出した。時々立ち止って、彼等の方を見た。
「金持、貴方方をこれする。(首を締める恰好かっこうをする)金持だんだん大きくなる。(腹のふくれる真似まね)貴方方どうしても駄目、貧乏人になる。――分る? ――日本の国、駄目。働く人、これ(顔をしかめて、病人のような恰好)働かない人、これ。えへん、えへん。(偉張って歩いてみせる)」
 それ等が若い漁夫には面白かった。「そうだ、そうだ!」と云って、笑い出した。
「働く人、これ。働かない人、これ。(前のを繰り返して)そんなの駄目。――働く人、これ。(今度は逆に、胸を張って偉張ってみせる、)働かない人、これ。(年取った乞食のような恰好)これ良ろし。――分かる? ロシアの国、この国。働く人ばかり。働く人ばかり、これ。(偉張る)ロシア、働かない人いない。ずるい人いない。人の首しめる人いない。――分る? ロシアちっとも恐ろしくない国。みんな、みんなウソばかり云って歩く」
 彼等は漠然と、これが「恐ろしい」「赤化」というものではないだろうか、と考えた。が、それが「赤化」なら、馬鹿に「当り前」のことであるような気が一方していた。然し何よりグイ、グイと引きつけられて行った。
「分る、本当、分る!」
 ロシア人同志が二、三人ガヤガヤ何かしゃべり出した。支那人はそれ等らをきいていた。それから又吃どもりのように、日本の言葉を一つ、一つ拾いながら、話した。
「働かないで、お金儲もうける人いる。プロレタリア、いつでも、これ。(首をしめられる恰好)――これ、駄目! プロレタリア、貴方方、一人、二人、三人……百人、千人、五万人、十万人、みんな、みんな、これ(子供のお手々つないで、の真似をしてみせる)強くなる。大丈夫。(腕をたたいて)負けない、誰にも。分る?」
「ん、ん!」
「働かない人、にげる。(一散に逃げる恰好)大丈夫、本当。働く人、プロレタリア、偉張る。(堂々と歩いてみせる)プロレタリア、一番偉い。――プロレタリア居ない。みんな、パン無い。みんな死ぬ。――分る?」
「ん、ん!」
「日本、まだ、まだ駄目。働く人、これ。(腰をかがめて縮こまってみせる)働かない人、これ。(偉張って、相手をなぐり倒す恰好)それ、みんな駄目! 働く人、これ。(形相凄すごく立ち上る、突ッかかって行く恰好。相手をなぐり倒し、フンづける真似)働かない人、これ。(逃げる恰好)――日本、働く人ばかり、いい国。――プロレタリアの国! ――分る?」
「ん、ん、分る!」
 ロシア人が奇声をあげて、ダンスの時のような足ぶみをした。
「日本、働く人、やる。(立ち上って、刃向う恰好)うれしい。ロシア、みんな嬉しい。バンザイ。――貴方方、船へかえる。貴方方の船、働かない人、これ。(偉張る)貴方方、プロレタリア、これ、やる!(拳闘のような真似――それからお手々つないでをやり、又突ッかかって行く恰好)――大丈夫、勝つ! ――分る?」
「分る!」知らないうちに興奮していた若い漁夫が、いきなり支那人の手を握った。「やるよ、キットやるよ!」
 船頭は、これが「赤化」だと思っていた。馬鹿に恐ろしいことをやらせるものだ。これで――この手で、露西亜が日本をマンマと騙だますんだ、と思った。
 ロシア人達は終ると、何か叫声をあげて、彼等の手を力一杯握った。抱きついて、硬い毛の頬をすりつけたりした。面喰めんくらった日本人は、首を後に硬直さして、どうしていいか分らなかった。……。
 皆は、「糞壺」の入口に時々眼をやり、その話をもっともっとうながした。彼等は、それから見てきたロシア人のことを色々話した。そのどれもが、吸取紙に吸われるように、皆の心に入りこんだ。
「おい、もう止よせよ」
 船頭は、皆が変にムキにその話に引き入れられているのを見て、一生懸命しゃべっている若い漁夫の肩を突ッついた。


37.齋藤茂吉「愛國百人一首評釋」


千代へぬる書ふみもしるさず海わだつ國の守りの道は我ひとり見き 林子平
 林子平はやししへいは字は友直、仙臺藩に仕へ、寛政三奇士として、幕末志士として世に有名である。夙に海外の事情に心をそそぎ、海防を唱へ、三國通覽圖説、海國兵談等を著して世の覺醒をうながした。
 世の中の群書は、千年間の數々の群書といへども毫も國家海防の事は論じてない。この海國日本を護る大切な道理方法を論じたものは予一人であり、この海國兵談ひとつである。といふのであつて、海國といふことをワダツクニと大和言葉にして伸べ、またマモリノミチと伸べた。そこに技法上の工夫がある。
 この一首は、自著海國兵談の自讚歌、自慢歌のやうにも取れるけれども、その信念、その熱意が大切なのであつて、『我ひとり見き』といふ自信が、取りも直さず愛國の熱情にほかならぬのである。また、私等は、大東亞戰爭において皇國海軍の無敵大捷を感謝すると共に、子平の『外冦を防ぐは水戰にあり』といふ文を想起すべきである。


38.高群逸枝「女性史研究の立場から」

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 日本歴史の新しい検討ということがもとめられている。女性史の一研究者として、私はこの際若干の感想をのべてみたい。わが国の歴史研究が狭く浅く、政治史にかたよっている点は、すでに多くの人からいわれてきたとおりであるが、敗戦を機会にそれらのことはむろん反省せられねばならない。

39.田中正造「直訴状」

草莽ノ微臣田中正造誠恐誠惶頓首頓首謹テ奏ス。伏テ惟ルニ臣田間ノ匹夫敢テ規ヲ踰エ法ヲ犯シテ
鳳駕ニ近前スル其罪実ニ万死ニ当レリ。而モ甘ジテ之ヲ為ス所以ノモノハ洵ニ国家生民ノ為ニ図リテ一片ノ耿耿竟ニ忍ブ能ハザルモノ有レバナリ。伏テ望ムラクハ
陛下深仁深慈臣ガ[狂→至]愚ヲ憐レミテ少シク乙夜ノ覧ヲ垂レ給ハンコトヲ。


40.ラビンドラナート・タゴール『ギタンジャリ』

41. ダンテ『神曲』


42. 知里幸恵「手紙」



43. 知里幸惠・編訳『アイヌ神謡集』

 序(知里幸惠)
梟の神の自ら歌った謡「銀の滴しずく降る降るまわりに」
狐が自ら歌った謡「トワトワト」
狐が自ら歌った謡「ハイクンテレケ ハイコシテムトリ」
兎が自ら歌った謡「サンパヤ テレケ」
谷地の魔神が自ら歌った謡「ハリツ クンナ」
小狼の神が自ら歌った謡「ホテナオ」
梟の神が自ら歌った謡「コンクワ」
海の神が自ら歌った謡「アトイカ トマトマキ クントテアシ フム フム!」
蛙が自らを歌った謡「トーロロ ハンロク ハンロク!」
小オキキリムイが自ら歌った謡「クツニサ クトンクトン」
小オキキリムイが自ら歌った謡「この砂赤い赤い」
獺かわうそが自ら歌った謡「カッパ レウレウ カッパ」
沼貝が自ら歌った謡「トヌペカ ランラン」


44. 陳寿「魏志倭人伝」



45. 中島 敦「環礁―ミクロネシヤ巡島記抄」

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「秋の終りの最後の薔薇ばらに、思いがけなく大輪の花が咲くことがあるように、この島の最後の娘もあるいは素晴らしく美しく怜悧れいりな子(もちろん島民の標準においてではあるが)ではあるまいかと、甚はなはだ浪漫的な空想を抱いて、私はその女の児を見に行った。そして、すっかり失望した。肥ってこそいたが、うす汚い、愚かしい顔付の、平凡な島民の子である。鈍い目に微かすかに好奇心と怯おびえとを見せて、この島には珍しい内地人たる私の姿に見入っていた。まだ黥いれずみはしていない。大切にされているとは言っても、フランペシヤだけは出来ると見える。腕や脚一面に糜爛びらんした腫物はれものがはびこっていた。自然は私ほどにロマンティストではないらしい。」

46.夏目漱石「從軍行」




戰やまん、吾武揚らん、
      傲る吾讎、茲に亡びん。
東海日出で、高く昇らん、
      天下明か、春風吹かん。
瑞穗の國に、瑞穗の國を、
      守る神あり、八百萬神。
――明治三十七年五月十日『帝國文學』

47.西田幾多郎「世界新秩序の原理」

 今日の世界的道義はキリスト教的なる博愛主義でもなく、又支那古代の所謂王道という如きものでもない。各国家民族が自己を越えて一つの世界的世界を形成すると云うことでなければならない、世界的世界の建築者となると云うことでなければならない。我国体は単に所謂全体主義ではない。皇室は過去未来を包む絶対現在として、皇室が我々の世界の始であり終である。皇室を中心として一つの歴史的世界を形成し来った所に、万世一系の我国体の精華があるのである。我国の皇室は単に一つの民族的国家の中心と云うだけでない。我国の皇道には、八紘為宇の世界形成の原理が含まれて居るのである。



48. オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』


16

今日こそわが青春はめぐって来た!
酒をのもうよ、それがこの身の幸だ。
たとえ苦くても、君、とがめるな。
苦いのが道理、それが自分の命だ。

49.オノレ・ド・バルザック『ゴリオ爺さん』



50. モンテーニュ『随想録』



「こういう彼らの中の三人の者が、こちらの悪風に染まることが他日いかに彼らの平和と幸福とをそこなうかを思わず、我々との交際からやがておのれの破滅が生れようとも知らず、わたしの見るところではその破滅はすでに相当進んでいるのに、あさましいことにただ新しいもの見たさの思いに欺かれ、とうとう、フランス見物のため自分たちの静かな天地をすてて、前の王様シャルル九世がそこにおいでの頃、ルアンの町にやって来た*。王様は長時間彼らとお話をされた。人は彼らに、我々の習慣、我々の儀式、美わしいこの都の有様を見せた。それから後に、誰かが彼らの意見を求めた。そして何に一番感心したかを知ろうとした。彼らは三つのことを答えた。三番目をわたしは忘れてしまって残念であるが、始めの二つはいまだに覚えている。彼らはこう言った。「第一に不思議千万に思うのは、王様のまわりにいる・武装した・髯面の・たくましげな・大勢の・大男たちが(これは近衛のスイス兵のことを言っているらしい)、一人の少年の前に平身低頭すること、そして誰ひとりこれらの大男の中のたれかを選んでその王と戴かないこと、である。第二には(彼らはお互いに他人のことを半分とよびなす習慣を持っているので)、この国では、一方にあらゆる種類の安楽にみちあふれている者があるかと思うと、それらの人たちの半分が貧と飢えとのために痩せ衰えて、彼らの門前に食を乞うていることである。しかもかくまでに窮迫したこれらの半分が、よくそのような不正を堪え忍んで、もう一方の富める人たちの喉のどをしめようとも、その家に火を放とうともしないのが、何とも不思議でならない」と。
* これは一五六二年の出来事で、シャルル九世は当時十二歳の少年であった。」


51.柳宗悦「朝鮮の友に贈る書」

初出:「改造」、1920(大正9)年6月号

 朝鮮は今寂しく苦しんでいる。巴紋ともえもんの旗は高く翻ひるがえらず、春は来るとも李華は永とこしえにその蕾つぼみを封じるようである。固有の文化は日に日に遠く、生れ故郷から消え去ってゆく。幾多の卓越した文明の事跡は、ただ過去の巻にのみ読まれている。往く人々の首はうな垂れ、苦しみや怨うらみがその眉まゆに現れている。話しする声さえ、今はその音が低く、民は日光を厭いとって暗い陰かげに集るようである。如何なる勢いが貴方がたをかくはさせたのであるか。私は貴方がたの心や身が、どんなに暗い気持ちに蔽おおわれているかを、察しないわけにはゆかない。貴方がたにはさぞ血の涙があるであろう。

52.山本実彦「十五年」

 何でも、八時間労働制や、労働組合公認問題が興味がひかれるときで、政治的デモクラシーの声が民衆的に飽きあきされて来つつあったときだ。福田、河上氏らが論壇に大きく崛起して、社会主義的論調が活発溌地にインテリ層に潮の如く浸り込んで行くときで、当時『中央公論』は吉野氏を主盟としておったが、我が誌には新鋭山川、賀川君らがつぎつぎに執筆しておった。また『改造』より二カ月遅れて生誕した『解放』には福田、堺両氏及び帝大新人会の一派が相拠っていたが、このうち福田氏は約一年ののち、『改造』に専ら執筆するようになり、十数年間博大の筆陣を布いて一世の注目を惹いていたのであった。このほか、河上肇氏は個人雑誌『社会問題研究』によって、社会思潮に鮮鋭な解釈と批判とを下だしており、それが学生連の人気となって何でも二万部ぐらいを一時は発行していたという。

53.ビクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』


「時とするとそれらの蚊どものうちには――彼らは自ら蚊と綽名あだなしている――字の読める者もいることがあり、また字の書ける者もいることがある。しかし皆いつも楽書きすることは心得ている。いかなる不思議な相互教育によってかわからないが、彼らは皆公の役に立ち得るあらゆる才能を示す。一八一五年から三〇年までは、七面鳥の鳴き声をまねていたが、一八三〇年から四八年までは、壁の上に梨なしを書きつけて回っていた(訳者注 七面鳥は前の時の国王ルイ十八世の紋章、梨は後の時の国王ルイ・フィリップの紋章)。ある夏の夕方、ルイ・フィリップは徒歩で帰ってきたところが、まだ小さな取るに足らぬ浮浪少年のひとりが、ヌイイー宮殿の鉄門の柱に大きな梨を楽書きせんとして、背伸びをし汗を流してるのを見つけた。王は先祖のアンリ四世からうけついできた心よさをもってその少年の手助けをし、ついに梨なしを書いてしまって、それから彼にルイ金貨を一つ与えながら言った、「これにも梨がついているよ。」また浮浪少年は喧騒けんそうを好むものである。過激な状態は彼を喜ばせる。彼らはまた「司祭輩」をきらう。ある日ユニヴェルシテ街で、一人の小僧がその六十九番地の家の正門に向かってあかんべーをしていた。通行人が彼に尋ねた、「この門に向かってなぜそんなことをしてるんだ?」すると彼は答えた、「司祭がここに住んでるんだ。」実際そこは、法王の特派公使の住居であった。けれども、彼らのヴォルテール主義(訳者注 反教会)が何であろうと、もし歌唱の子供となれるような機会がやってくると、それを承諾することもある。そしてそういう場合には、丁重に弥撒ミサの勤めに従う。それから、タンタルス(訳者注 永久の飢渇に処せられし神話中の人物)のように彼らが望んでいた二つのことがある。彼らはいつもそれを望みながら永久にそれを得ないでいる。すなわち、政府を顛覆てんぷくすることと、ズボンを仕立て直すこと。」


54.寺田寅彦「震災日記より」


 帰宅してみたら焼け出された浅草の親戚のものが十三人避難して来ていた。いずれも何一つ持出すひまもなく、昨夜上野公園で露宿していたら巡査が来て○○人の放火者が徘徊はいかいするから注意しろと云ったそうだ。井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえて来る。こんな場末の町へまでも荒して歩くためには一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾が入いるであろうか、そういう目の子勘定だけからでも自分にはその話は信ぜられなかった。


















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