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歴史総合入門(9)2つ目のしくみ:世界恐慌と第二次世界大戦

■世界恐慌と「大きな政府」


 このように第一次世界大戦は、国際秩序を大きく転換させましたが、1929年に世界経済の中心地に躍り出ていたアメリカで世界恐慌という史上最悪の不景気が勃発すると、世界各地で不穏な空気が立ち込めます。
 
 中学校でも習うように、植民地などの勢力圏をたくさん持っていた国(持てる国)は、比較的はやく立ち直っていきました。けれども持っていない国(持たざる国)の状況はなかなか苦しい。
 「こんなひどい状況になったのは、第一次世界大戦の戦勝国のせいだ」「みんな外国勢力やユダヤ人のせいだ」といった敵意をあおる動きが、特にひどい状況となったドイツやイタリアで盛んになっていきます。
 日本は、通貨を切り下げたり、産業の合理化をすすめたりすることで乗り越えようとし、なんとか立ち直りますが、その後1930年代にかけて景気の悪い状況が続き、東北をはじめとする農村の状況は悲惨なものとなっていきました。

 いずれの国においても、大切なことは、来たるべき次の「総力戦」を勝ち抜くことです。
 不景気が続けば、もしかすると革命が起きてしまうかもしれない。外国勢力にすきを突かれ、領土をとられてしまうかもしれない。
 食うか食われるか、そんなムードがひろがっていきました。


 そこで、いずれの国においても進んでいったのは、国が強い権力を発揮し、難局をのりきろうとする動きです。

 たとえば、アメリカ合衆国では、これまでは「民間の問題だから…」「自己責任だから…」とノータッチだったような問題にまで首をつっこみ、不景気をたてなおそうとする政策がとられます。フランクリン・ルーズベルトによるニューディール政策です。


 ソ連でも、国が向こう5年の生産・流通・消費の品目や量をあらかじめ計算し、理想の経済をつくりだそうとする計画経済が本格化。タテマエとしてはソ連のなかのすべての民族は平等とされていましたが、たとえば小麦の産地のウクライナのように、作物のきびしい徴発により大量の餓死者を出す地域もあらわれます。そのほかにも、1924年に最高権力者となったスターリンのもとで、体制に異論をとなえるものは、きびしく粛清されました。


 また、イタリアやドイツでも、問題の原因を外国や特定の民族におしつけ、個人の自由を奪い、すべてを国のために動員しようとする全体主義体制(ファシズム)が出現します。

 このように、世界恐慌を機に、第一次世界大戦にたいする反省ムードは途絶え、欧米諸国や日本が、自分の国の存続を第一に考えるようになっていったわけです。




■第二次世界大戦

 
 第二次世界大戦は大きな視点でみると、ヨーロッパの戦争とアジアの戦争が結びついていくことによって展開していきます。

 「人々の自発的な参加を求める力」はより巧みになり、世界のどの地域においても、人々の選択の自由は制限されていきました。植民地の人々も例外ではなく、将来の自治や独立の約束とひきかえに、戦争に動員されていきました。

 世界は、ドイツ・イタリア・日本の枢軸国陣営と、それに対する連合国陣営に二分されます。
 ソ連は当初、第一次世界大戦後の戦後秩序を破壊しようと、ドイツと照を組んで、ヨーロッパ中央部の侵略を開始します。
 ドイツの掲げた大義は「ドイツ人の生存圏の確保」でした。その背景にあったのは、第一次世界大戦時に、イギリスにより海上ルートを閉鎖されたことによって引き起こされた深刻な飢餓の記憶です。
 やがてソ連はドイツから離反し、ドイツとの間に独ソ戦を繰り広げます。
 途方もない数の死者が生み出されました。その背景にあったのは、個々の国民の人生が、国全体の生存とむすびつけられ、国の存続のための資源として動員する総力戦の論理です。



 日本にとっての第二次世界大戦は、前半の満洲国の建国と日中戦争と、後半の太平洋戦争(大東亜戦争)の2つの時期にわけて理解する必要がありますが、2つの時期の境目はしばしば曖昧にあつかわれます。

 とくに日中戦争の後に、どうして太平洋戦争(大東亜戦争)に突き進んでいったのかという点が重要です。戦争目的も途中から「アジアのヨーロッパ諸国からの解放」にあるということになり、それを知識人も「世界史の転換点だ」と後押ししました。また、国内ではたとえば陸軍と海軍のあいだの対立があったように、天皇を頂点とする政策決定のプロセスは曖昧かつ複雑なものでした。
 映画《この世界の片隅に》が描き出したように、戦前の人々も、私たちとおなじような日常を送っていたように見えます。私たちと戦前の人々は、どの程度同じで、どのくらい違うといえるのでしょうか


 ドイツやイタリアと異なり、国内が統一的な組織のもとでコントロールされていたわけではないにもかかわらず、人々はときに強制的に、ときに自発的に、揺れ動く情勢のなかで戦争に協力しました。まさにこの、「人々の自発的な参加を求める力」の正体をときあかす必要があると思います。

 また、犠牲者にもさまざまな人々がいます。植民地下にあった台湾と朝鮮、東南アジア各地や太平洋で命を落とした人々。こうした加害と被害は、複雑に折り重なる関係にあります。米軍による空襲や原爆投下により亡くなった一般市民も被害者ですし、日本軍が空襲した国外の一般市民も被害者です。
 南米の日系移民コミュニティにとっての戦争。満蒙開拓のために大陸にわたった人々にとっての戦争。欧米の植民地から独立しようとする、アジア、アフリカの民族運動家にとっての戦争。視点をどこに置くか、それらがどのように記憶・継承されているかに注目すると、見方も多様なものとなります。



 これらを「昔あったこと」として突き放してとらえるのではなく、今後おなじような状況が到来したときに、どのようなことが起きうるのか。そのことを、たった1つのストーリーとしてではなく、多様な形で考えておく必要があると思います。



このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊