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歴史総合入門(12)3つ目のしくみ:グローバル化 1970年代〜

■1970年代の地殻変動

 高度経済成長をむかえた先進国とは反対に、途上国ではなかなか思うように経済成長がはじまりませんでした。

 どうしてそうなってしまうのか?
 それは途上国から先進国が富を吸い取っているからじゃないか?
 そんな問題意識から、途上国が団結して、先進国を中心とする世界のしくみを変えていこうという動きが生まれます。

 この動きが盛り上がるきっかけとなったのは、1970年代の石油危機
 石油を産出する産油国が欧米諸国に反旗をひるがえし、先進国の高度成長をストップさせたのです。


 先進国が、国民に対して充実した福祉を実現させることができたのは、安い資源を、たとえば石油メジャーを通して途上国から仕入れることができたからこそでした。
 窮地に立たされた先進国の首脳たちは、1975年に第1回サミットを開催します。

 
これを契機に、先進各国は難局をのりきるために世界各地の国境の壁を低くし、モノ、カネ、ヒトをグローバルに移動できるようなしくみをつくることを構想していきました。


 この動きが「経済のグローバル化」です。

 たとえば、国内にあった工場を、途上国へと移転する。そのほうが人件費は安いですからね。

 でも、そんなことしたら、国内の労働者は仕事を失ってしまいます。
 ――「それは、しかたがない」「競争がなければ、危機はのりきれない」
 じゃあ、失業した人を、国は助けてくれるんですよね?
 ――「そんなことはできない。自己責任です。まずは自分からすすんで義務を果たし、生き残る努力をしなさい」

 こういった考え方が、先進国でとられるようになるんですね。
 これを新自由主義といいます。

『ウィメンズ・オウン』誌インタビューでのサッチャー発言(1987年10月3日)

あまりにも多くの子どもや大人たちが、もし自分たちに問題があれば、それに対処するのは政府の仕事だと思いこまされた時代を過ごしてきたように思います。「私は困っている。援助金が得られるだろう!」「私はホームレスである。援助金が得られるだろう!」「私はホームレスである。政府は私に家をさがさなければならない!」こうして、彼らは自分たちの問題を社会に転嫁しています。でも社会とは誰のことをさすのでしょうか。社会などというものは存在しないのです。存在するのは、個々の男と女ですし、家族です。そして、最初に人びとが自分たちの面倒をみようとしないかぎりは、どんな政府だって何もできはしないのです。自分で自分の世話をするのは私たちの義務です。それから、自分たちの隣人の面倒をみようとするものも同じように義務です。人生は互恵的な営みであるにもかかわらず、人びとは、義務も果たさずに、あまりにも権利のことばかりを念頭においてきました。最初に義務を果たさないならば、権利などというものは存在しないのです。(後略)(出典:高田実・訳『世界史史料11』352-353頁)

 
 「大衆化」の時代にあって、総力戦を戦い抜き、さらに経済成長を実現するためにうみだされた福祉国家の制度において、これまでは国が国民のためにさまざまな保障をしてくれました。
 むしろ、保障してくれるからこそ、国民はいやとはいわずに動員されたわけです。

 戦後日本に「一億総中流」という言葉があったように、みんなが同じくらいの生活水準にあって、欲しいものも大抵おなじ。そんな大衆消費社会が発達し、車や家のローンを組むために、男性はひとつの会社に定年まで務め、女性は夫や子どもを支えることが理想とされる。そんな時代がありました。

 しかし、世界全体を見渡せば、そのような社会のしくみがどのような条件のおかげで成り立っていたのか。そして、石油危機をきっかけに、なぜ崩れていったのか。それがみえてくるわけです。



■新興国の台頭、東アジアの奇跡、アフリカの貧困


 「経済のグローバル化」によって恩恵を受けた途上国・地域は、アメリカ陣営に組み込まれていた国が中心です。
 香港、韓国、シンガポール、台湾が代表ですね。
 欧米諸国の企業を誘致し、安い労働力を武器に輸出品を生産し、経済をさかんにしていきます。
 特に、東アジア(東南アジアも含む言い方です)に経済発展を果たした国々が多いので、のちに世界銀行によって「東アジアの奇跡」と呼ばれるようになりました。
 聞き慣れない言葉かもしれませんが、ラテンアメリカやアフリカ、南アジアなどと異なり、世界全体のなかで東アジアだけが、地域全体として突出した経済成長をしたことから、近年重視されている呼び名です。
 大きく見れば日本の高度経済成長も含まれ、先述したように、そのルーツは19世紀のアジア間貿易やそれ以前から続く地域内の密接な結び付きにさかのぼることができます。


 産油国も1970年代の資源価格の高騰の恩恵を受けました。ただし1980年代には先進国も独自の資源開発をすすめていきましたから、資源高が長くつづいたわけではありません。アラブ首長国連邦やサウジアラビアなどは、石油をアメリカに売ってもうけたドルを、ヨーロッパ諸国に貸し付け、金利でもうけるようになります。ユーロダラーとよばれるお金の流れです。これが現在のドバイやカタールなど、中東の産油国の発展のルーツです。

 

ヨーロッパ諸国はこうして得たお金を、アフリカやラテンアメリカに貸し付けました。これにより1980年代には借金漬けに苦しむ途上国が多発。これを途上国の経済の仕組みが悪いと決めつけ、IMFや世界銀行が「構造調整プログラム」と称して、経済のしくみをグローバル化に対応したものにしようとし、社会福祉の予算を減らしたために、貧困や格差がいっそう深刻になる途上国も続出しました。

 こうしてアフリカ、とくにサハラ以南のアフリカ諸国、ラテンアメリカ諸国、南アジアの国々は、依然として貧困に苦しむこととなりました。



■冷戦の終結後の世界

 冷戦が終わると、ソ連陣営がほぼ消滅し、文字通り経済が「グローバル化」していきます。
 どの地域でも、自由なビジネスができるようになる。

 しかし、これに対して「反グローバル化」の動きが強まります。テロリズムや紛争の背景にも、たいていグローバル化、経済の自由化のもたらした社会の不安定化が背景にあったりします。



 グローバル・スタンダードに対する反感は、1970年代以降台頭していった、旧社会主義圏にも広がっています。
 2000年代以降台頭した中国やロシアは、新たなIT技術を活用した経済の主導権をにぎろうとし、特に2010年代以降はアメリカとの対立が激しくなっていきます。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊