ギリシャ旅)アテネ)群雄割拠の山岳地帯・世界の「信州」
西欧文明の淵源の地である古代ギリシア。その最盛期には最大で約150の都市国家「ポリス」が栄えました。
実際にアテネを訪れると、そこは山岳地帯。まるで山がちだった戦国時代の信州(現在の長野県)では国衆が並んで統一権力が生まれづらかったように、ポリスが栄えたのには地形的な理由があると発見しました。
群雄割拠の山岳地帯!
アテネを訪れて感じたことは、ギリシャの本土は山がちだということです。火山も多く、山肌は岩でごつごつしています。
道路が山並みの中をすり抜けるように走っていて、その山間の開けた場所に都市が点在しています。
直観的に感じたのは、長野と似たような風景をしているということでした。長野も山がちで、各地で連絡が取りづらく統一権力も生まれにくい構造でした。
武田信玄が南信州に大大名がいないことから侵攻を重ね、北信州の上杉謙信とぶつかる。ただ5回の川中島の合戦をもっても決着がつかない様子を思い出します。
それぞれの土地ごとにポリスが発生して併存できるのも、こうした山岳地帯であったという地勢の影響が大きいと感じました。
こうした火山性の地域では、主食となる小麦が育つのは難しそうです。車窓からはオリーブや果樹が多くみられました。
商品作物を育てざるを得ないからこそ、ほかの地域の人と交流をして、交易が活発になったと考えられます。
チーズや野菜、ヘルシーでおいしい食文化はギリシア正教から
ギリシャ料理はとてもおいしいです。フレッシュチーズがふんだんにつかわれており、玉ねぎやパプリカ、ピーマンにトマトの新鮮な野菜をよく見ます。
これはギリシャ正教の影響だそうです。ギリシャ正教の戒律では肉食を禁じられる期間が1年でも多かったです。そのためたんぱく源をチーズという乳製品に求めたのでしょう。
一方でトルコ料理の雰囲気のある肉の串焼きの料理が多いのも特徴的です。これは現在のトルコがあるアナトリア半島が長らくビザンツ帝国(東ローマ帝国)領であり、またオスマン帝国がギリシャを支配していたことからの文化流入でしょう。
サラミス、コリントス、歴史的な土地もごろごろ
車で旅をすると、歴史的な土地がごろごろ出てくるのがやはりギリシャです。こちらは紀元前480年の第三次ペルシア戦争で、ギリシアとペルシャの海軍同士が激突したサラミス島沖です。
アテネからすぐ近くの外港からよく見えます。ペルシャを思い切りひきつけて、アテネが決戦を挑んだことがよくわかります。
ギリシアの本土とペロポネソス半島をつなぐコリントス地峡です。徳利の首のようにきゅっと狭まっていて、現在では運河も掘られています。
ペルシア戦争ではギリシア側の防衛ラインをどこに引くかで論争がありました。
ペロポネソス半島の雄であるスパルタは、アテネを含んだギリシア本土をあきらめてコリントス地峡をふさぐことで、半島まで侵入させたペルシア軍の閉じ込めを狙う作戦を提案しました。結局取り入れられませんでしたが。
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