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【3分で読める世界史】イギリス国教会の成立

場所は変わって今度はイギリスの宗教改革です。

ただ今回の宗教改革は、王が離婚したいからという個人的な理由によるもので、信仰の厳格化を旨としたこれまでとはだいぶ違います。


■離婚騒動

ルターの宗教改革を批判する論文を発表し、「信仰の擁護者」とも言われていたイギリスのヘンリ8世

王妃にキャサリン妃を迎えますが、男子の跡継ぎが生まれず、ヘンリ8世は侍女のアン=ブーリンと関係を持ち、キャサリンと離婚しようとします。

しかしここで待ったをかけたのが、ローマ教皇でした。

カトリックの強国で、名門ハプスブルク家のスペイン王室出身だったキャサリンとの離婚は認められないとしました。

さらにキャサリンはルターと戦っている神聖ローマ皇帝カール5世の叔母だったので、なおさらです。


■イギリス国教会の成立

対してヘンリ8世は「それならローマカトリック教会とは断絶する」と、1534年、議会の賛同を得て、国王至上法(首長法)を定めます。

そしてイギリス国王を頂点とするイギリス国教会を成立させ、ローマ教皇と絶縁しました。

こうしてヘンリ8世は、アン=ブーリンと結婚。離婚に反対するものは処刑します。

その中には、大法官で著書『ユートピア』で知られるトマス=モアも含まれていました。


■イギリス国内への影響

ヘンリ8世はイギリス国教会を成立させると、国中の修道院を解散させ、土地や財産を没収。

これを王領地とすることで、王権がさらに強化されました。

この土地はのちに国民に売却され、地主(ジェントリ)が台頭しました。

国を巻き込む騒動になったヘンリ8世の離婚劇でしたが、結局アン=ブーリンも処刑してしまい、生涯で6人もの王妃を迎えることになりました。


■編集後記

時の国王の諸事により、国の宗教体制まで変えてしまう結果となるのは驚くばかりですね。

同じ宗教改革でもルターと違ってヘンリ8世は尊敬できませんが笑

次回もお楽しみに!


参考文献


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