マガジンのカバー画像

雑記

147
運営しているクリエイター

#石塔

雑記:弘憲寺の生駒親正五輪塔

JR高松駅から西方に歩いて数分の所にある弘憲寺は、戦国時代末期に高松城主であった生駒親正の…

綾
6か月前
1

雑記:磨墨の墓

群馬県前橋市西善町の祝昌寺は、戦国時代の永正年間に厩橋(後の前橋)城主の長野氏によって開…

綾
1年前
2

雑記:地四郎大明神

馬庭念流を生んだ群馬県高崎市吉井町馬庭は、高崎市の市街地から旧吉井町の中心部に至る途中に…

綾
1年前
3

雑記:上越市内の上杉謙信関連史跡と石塔

「越後の龍」、ないしは「越後の虎」などの異名で知られる戦国武将の上杉謙信は、武田信玄と並…

綾
1年前
2

雑記:松代

長野県長野市松代町は、江戸初期に真田信之が上田から転封となって以降、幕末まで真田家十万石…

綾
1年前

雑記:戦国期の赤松氏

室町時代に播磨・美作・備前の守護となった赤松氏は、嘉吉の乱によって一時没落するものの、応…

綾
1年前
5

雑記:山城の国一揆の舞台

JR上狛駅周辺は、山城国一揆の中心となった国人・狛山城守の屋敷跡とされ、現在も上狛環濠集落と呼ばれるこの地域は、周囲を堀で囲まれ中世の面影を残している。 集落の中にある西福寺は、狛氏の菩提寺であり、境内には狛氏の墓所とされる石塔群(下の写真二枚目)がある。 その中には、戦国時代末期の当主で、織田信長に味方した狛秀綱の墓(下の写真三枚目)もあり、狛秀綱の没年である天正十二年銘を刻む陽刻五輪塔碑である。 上狛の松尾神社は、慶長年間造立の社殿のある神社であり、また境内は山城の

雑記:奥州白河

奥州の入口と言うべき福島県白河市の白坂三輪台には、金売吉次兄弟の墓と伝承される石塔がある…

綾
1年前
2

雑記:長尾一族の史跡

戦国大名として著名な上杉謙信(長尾景虎)の出身氏族である長尾氏は、元来は相模の桓武平氏・…

綾
1年前
1

雑記:二代将軍と堀越公方の寺

静岡県三島市にある宝鏡院は、室町幕府二代将軍である足利義詮が開いたとされる寺院で、「宝鏡…

綾
2年前
1

雑記:鬼日向の墓所

水野勝成は三河刈谷の出身で、徳川家康の従弟(家康の生母の甥)に当たる人物であり、後に家康…

綾
2年前
2

雑記:木之本周辺

滋賀県長浜市木之本町の黒田は、黒田如水・長政父子で著名な福岡藩主黒田氏発祥の地と伝承され…

綾
2年前
1

雑記:西の京山口

山口県の山口市は、室町時代から戦国時代にかけて大内氏の城下町として栄えた場所で、その城下…

綾
2年前
1

雑記:吉次が墓

栃木県鹿沼市にある東武鉄道樅山駅北方の踏切の手前に、「吉次が墓」と呼ばれている石塔がある。 この石塔は、かつて踏切で奇妙な現象が起こったために周囲を調べた所、発見されたとのことで、その後に現在の場所にまつられたと言う。 現在、この石塔の伝承を示す説明板などは全くなく、石塔の傍らにある木に立てかけてある古びた木標に、かろうじて「吉次が墓」と書いてあるのが読めるくらいである。 石塔は、一見すると宝塔のように思えるが、よく見ると宝塔の笠と思しい部分は五輪塔の火輪で、塔身も宝塔