雑記:二代将軍と堀越公方の寺

静岡県三島市にある宝鏡院は、室町幕府二代将軍である足利義詮が開いたとされる寺院で、「宝鏡院」と言う名も、漢字こそ異なるが義詮の院号「 宝筐院」に由来するものであろう。

境内の墓地には、中世石塔が集められている一角があり、その中には義詮の墓と伝承される五輪塔がある(下の写真)。

五輪塔は地輪が欠損し、おそらく別の五輪塔の火輪で代用している。

戦国時代末期か江戸時代初期のもので、義詮の墓とするには時代が合わず、後世の伝承か、強いて寺伝に合わせれば義詮ゆかりの寺院のために造立された後世の供養塔であろう。

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室町時代中期に足利義政によって関東公方として派遣された足利政知(義政の異母兄)は、結局関東に入部することが出来ず伊豆の堀越にとどまったため、「堀越公方」と通称されたのはよく知られた話であるが、彼が葬られたのがこの宝鏡院とされる。

前述の義詮の墓と同じ場所に政知の墓もあると言うが、義詮の墓と背中合わせの場所にある石塔群(下の写真一枚目)のどれが政知の墓塔に当たるのかは、特段案内があるわけではないのでよくわからない。

いづれも戦国時代末期の乱積みの石塔であるが、強いて目星をつければ一番高所にある宝篋印塔(下の写真二枚目)が政知の墓であろうか(ただしすべてのパーツが別物である)。

なお、私は宝鏡院を訪れたのは二十年近く前のことであり、この記事を書くに当たって墓所の現状を調べたが、現在は真新しい五輪塔が義詮・政知の合葬墓として建てられているようである。

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