雑記:長尾一族の史跡

戦国大名として著名な上杉謙信(長尾景虎)の出身氏族である長尾氏は、元来は相模の桓武平氏・鎌倉氏の支流である。

後に御家人となったが、同じ平氏の三浦氏に従属する存在となり、宝治合戦で三浦本宗家が滅亡したのに伴って没落した。

長尾氏の生き残りの一族が南北朝時代に上杉家の被官となり、やがて筆頭家臣となって宗家の鎌倉長尾氏の他、上野・越後など各地に一族が分布し、戦国時代に至るまで勢力を誇った。

JR大船駅に近い鎌倉市植木の久成寺は、戦国時代の開基で比較的新しい寺院であるが、徳川家康から寺領を与えられたと言う格式を持つ。

同時の境内には、長尾定景一族の墓と称される石塔群があり、その中には戦国時代の宝塔が数基含まれている。

長尾定景は鎌倉時代前期の武将で、源実朝を暗殺した公暁を三浦義村の命で討ち取った人物であるが、石塔の年代と定景の時代とは合致しない。

強いて関連を求めるなら、長尾氏の子孫が造立した石塔であろうか(ただし、鎌倉の長尾氏は享徳の乱以降は下野の足利を居城としている)。

鎌倉や横浜など神奈川県内の各地では、戦国時代に小型の宝塔が多く造立されているが、この久成寺の宝塔もそうした戦国期の宝塔の典型的な特徴を持つ石塔である。

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鎌倉長尾氏から分かれた一族で、上野国総社を領有したことから後に総社長尾氏と呼ばれる系統は、室町時代から戦国時代にかけて現在の前橋市元総社町にあった蒼海城を居城とした。

この城は、かつての上野の国府とほぼ同じ場所にあったとされ、現在の宮鍋神社のあたりが本丸であったと伝わり、周辺に土塁の一部も残るが、現在城跡は開発が進んでほとんど遺構は消滅している。

かつて城跡には、総社長尾氏の墓と伝承された石塔があったと言うが、2022年現在行方不明である(2011年までは、蒼海城跡を示す石碑とともに存在が確認されている)。

かつての城の一角には、長尾氏の祖・鎌倉権五郎景政をまつる御霊神社があり(下の写真一枚目)、その社殿の前には近年総社長尾氏初代当主・長尾景房のレリーフが建てられた(下の写真二枚目)。

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