関根デッカオ

1989年、和歌山市生まれ。取材執筆業。散歩愛好家。よそのロン毛が怖いロン毛。野田・西…

関根デッカオ

1989年、和歌山市生まれ。取材執筆業。散歩愛好家。よそのロン毛が怖いロン毛。野田・西九条界隈を拠点に散歩と飲酒を両立させ、街の重箱の隅をつつくことをライフワークとしている。その風貌や行動パターンに反して、職務質問を受けたことがないのが自慢。

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関根デッカオとは何者か

ごあいさつ怪しいロン毛ではないことを証明すべく、筆を執っております。大阪で取材執筆業を営むとともに、散歩愛好家、よそのロン毛が怖いロン毛を称する関根デッカオです。顔がでかいことから、デッカオを名乗っています。南船場のカレー屋・デッカオとは無関係ですが、いずれあいさつに出向きたい次第です。 話がそれました。ライター稼業は2015年に開始。以来、ウェブニュース、大学や企業のオウンドメディア、観光情報誌、コーポレートサイト等々の取材・執筆・編集活動に励んできました。以下にこれまで

    • しゃっくりがせこすぎて '23〜'24

      昨年の終盤から、断続的にしゃっくりが襲ってくるようになった。100回続くと死ぬというようなことはさらさらなく、一度始まると3〜4時間は長引く状況で、いっそ殺してくれる方が楽ではと思えるほどの責め苦を味わうことになった。理由は判然としない。妊婦もかくやという貧血で精密検査が必要と判断され、胃カメラを飲んで以降の出来事ということくらいしか思い当たるフシがない。 しゃっくりに関する表現手法は否が応にも向上した。通常の「ヒック」を1単位、すなわちシングルと表現するならば、「ヒックヒ

      • ごみ袋パンパン試論

        ごみ袋には、パンパンに内容物を詰め込まないと気が済まない。まずは大物を放り込んだうえであえて緩めに口を結わえ、そこに生ずる間隙から細々したごみを挿入する。パンパン欲を満たしたいがために、自宅にいくつか置いてあるごみ箱の中身をいそいそ合流させることもままある。贈答品の過剰包装を消費に先んじて捨ててしまうことも珍しくない。加えて内容物が散乱しないよう、鼻紙やら薬の個包装やらを使用済みのラップ、あるいはキッチンペーパーなどでくるむようなこともしばしばである。余剰スペースは可能な限り

        • 日暮里

          日暮里の駅を北へ出ると、長い跨線橋の橋上にぶち当たる。左手から見て山手線、京浜東北線、高崎線、東北本線、上野東京ライン、常磐線、その右手には成田方面から京成線が流れてくる。うわっ、スカイライナーや。やっぱ先代の方がリトラクタブル式のヘッドライト(というらしい。使用時以外は引っ込められるやつ)でよろしかったな――そんなことを思えば、上野方の地下からは北海道、東北、新潟、北陸へと向かう新幹線が僕がにゅるっと姿を現す。僕がもっとも東京を体感する景色である。忙しい。実に忙しい。 学

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          ハンバーガーを思う夜、そしてこれから

          ある夜、ハンバーガーに自らの食指が動かない理由を考えねておかねばなるまいとの衝動に駆られた。結論は、思いのほか早々に出た。完食に至るまでのひと口の回数が極度に少ないのだ。食事の満足度は箸を口に運んだ回数に比例する。そもそも摂食にあたり箸を必要としないハンバーガーに、出る幕などないのであった。その晩はすぐに寝たと思う。 また何日かが経った夜、ハンバーガーがポテトフライとともに供されることに関して、疑義を呈する向きが少なすぎるのではないかと考えることがあった。同じく炭水化物と炭

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          恋と喫茶とおっさんと

          昨晩、喫茶店に関する話を聞いていて、そういえば僕も意識的に喫茶店通いを始めてからだいぶになるなと気づかされた。もうゆうに10年は経っている。記録用に使っている食べログで「行った店」を確認してみると、「喫茶店」は491軒、「カフェ」は265軒と出てきたが、これには我ながらのけぞらざるをえない。この間、芦田愛菜ちゃんは少女から大人の女性に、清水富美加ちゃんは千眼美子ちゃんになった。喫茶店を取り巻く状況も、ずいぶん様相が変わってきたように思われる。 僕の喫茶店趣味を決定づけたのは

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          シャワーなしバランス釜物件体験記

          シャワーなしバランス釜物件に住むようになり、早いもので2年近くが過ぎようとしている。老害マウントを取るつもりはないし、なるべくそういう生きざまとは無縁でいたいが、平時の会話においてバランス釜について言及しても伝わらないケースは少なくない。それだけ、時代に淘汰されつつある入浴機構であるというわけだ。参考までにリンクを貼りつけておく。 要は古式ゆかしい団地にあるような、風呂桶(「バスタブ」という言葉はそぐわない)に張った水を循環させ、温めたうえで入浴するという代物である。あるい

          シャワーなしバランス釜物件体験記

          街歩き連載が始まった

          明けましておめでとうございます。確かに生きている関根です。わざわざ生存報告などせずとも、僕のツイッターをご覧の甲斐甲斐しいみなさんなら、何かのタイミングで発作的につぶやきが増えまくるロン毛を目にしていたはずなので、余計な心配などなかったのではないでしょうか――自意識をくすぶらせるのもええ加減にせなあきませんね。反省します。 この手のお知らせは、前置きが長くなっては肝心の中身が読んでもらえません。本題に入ります。去る2022年12月より、時代を蛇行する超生命体マガジン「ヘンと

          街歩き連載が始まった

          半熟玉子は人類に最大公約数的な幸福をもたらすか

          アレルギーの総合商社たる僕は、日常のどこにリスク因子が潜んでいるか、それなりにビクビクしながら生活を送っている。いつぞやの血液検査では犬の毛、猫の毛、ほこり、あんな植物やこんな植物の花粉、全部あかんとの結果が出たこともある。必ずしも数値通りの反応が出るわけではないし、犬や猫とも問題なく渡り合っているが、全体評価が平均500くらいのところ、8000くらいの数値を叩き出したのを目の当たりしたときは、「でしょうね」という感想が浮かぶばかりだった(正確な数字はうろ覚え)。 つい先日

          半熟玉子は人類に最大公約数的な幸福をもたらすか

          十三は情操教育の街である

          大学進学に伴い、ひとり暮らしを始めたのも早いもので15年前の話になった。およそ進学校とはいえない高校で『蛍雪時代』とは無縁の堕落した3年間を過ごしたことから、主要な大学やその周辺環境について極めて無知だった僕は、安直にキャンパスから徒歩10分ほどの下宿の世話になった。郊外住宅地と学生街とがごっちゃになった千里の丘で、和歌山の田舎に生まれ育った大学生は持ち前の社会性の欠如をいっそう加速させた。要はろくに友人をつくることができず、ただれた大学生活を送るでもなく、卒業のその日を迎え

          十三は情操教育の街である

          バキューム物語(デジタルリマスター)

          はじめに 先日、小学校以来の友人で、バンド活動をともにしたこともある岡田くん(@OKDskaterskater)から驚くべき知らせがもたらされた。小学6年生当時、彼と僕とが共作したし尿くみ取りSF巨編『バキューム物語』が、20年越しに発掘されたというのだ。顔を合わせるたび、幾度となく話題に上がることはあったものの、どこに消えたのか判然とせず、記憶の奥底に葬り去られようとしていたところ、岡田くんの実家から偶然に見つかったのだという。思いがけない報に接し、僕はビビった。 急ぎ

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          舟は編まないし、トイレでは泣かない

          たとえブラックな労働環境に身を置くことになったとしても、甘んじて受け入れるべき。なぜなら、それが業界のデファクトスタンダードなのだから――そんな言説に直面する機会があった。正直なところ、喫驚を禁じえなかった。それも使用者の立場からではなく、被雇用者の側から発せられた言葉とあって、喫驚はほどなく混乱に姿を変え、やがて恐怖感に置き換わった。 聞けば「自分は理不尽な扱いを受けてトイレで泣いた」「曲がりなりにもクリエイティブな業界の風土なのだから、かような通過儀礼を経ることで評価を

          舟は編まないし、トイレでは泣かない

          ラバーカップ問題(Reprise)

          大学時代、清廉潔白の無所属(ただサークルにも部活にも参加していないだけ)などと吹聴し、ろくに友人がいなかった僕は、365日欠かさず1000文字以上のブログを書くというミッションを自らに課していた。誰に期待されるわけでもなくリライトを繰り返し、やはり誰に期待されるはずもなくのちに非公開とした。とはいえ、現在の進路選択をするうえでそれなりの練習になったのは確かだ。そういう次第なので(どういう次第だ)、お蔵入りになった雑文を原文ママで再掲したい。以下、2010年9月20日の記事「ラ

          ラバーカップ問題(Reprise)

          私的スパイスカレー問答

          外食産業において、スパイスカレーがひとつのジャンルをなすようになって久しい。ただこの際、その定義に関する仔細な引用などは控えたい(単純にめんどくさい)。が、要はインドないしその周辺国のオーセンティックなカレーとは異なる、つくり手の創作性を前面に出した、さらには和食など他のジャンルの要素も織り交ぜた、より自由奔放なスパイスの使い方を提示する食べ物である――僕の理解はこういう感じなのだが、まあおおむね間違ってはいないと思う。 いまをさかのぼること7、8年前であろうか。僕もわりと

          私的スパイスカレー問答

          2022お楽しみ高松ツアー

          連休の最終盤、四国は高松に行ってきた。短いながらも居住した高松から大阪に戻ってちょうど1年ほどだ。三宮での痛飲こと寝酒を経て、午前1時発のジャンボフェリーは5時過ぎに高松東港に入港。総歩行距離30キロ以上におよぶ旅が始まった。 シャトルバスで高松駅に到着、そこから徒歩で県庁裏のさか枝に向かう。商店街はいくらか空き店舗が増えた様相だ。オール明けと思しき若者に恐れをなしつつアーケードを出て、菊池寛通りを西へ。ここぞとばかりに丹下健三建築の県庁舎を見やりながら店に着くと、見事に不

          2022お楽しみ高松ツアー

          いちびるラーメン、いちびらないラーメン

          かねてラーメンが苦手だという方向で自己プロデュースを図ってきた。仕事先の人と食事をする流れになり、不本意にもラーメンを食べることを避ける、いわばリスクヘッジである。 カメラアシスタントをやっていたとき、取材先でのランチとなると、どうしても記者やカメラマンの意向が優先されるものだった。厳然たるヒエラルキーのもと、何度も望まぬラーメンを胃に流し込んできた。ジェル状のスープが麺にまとわりつく、もっともいやなタイプのラーメンを食べることもあった。過去のトラウマは、次第にお昼どうしよ

          いちびるラーメン、いちびらないラーメン