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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#17 九日目 2021年3月28(日)

帰宅

エピローグ

帰宅日の朝も、近鉄志摩線、鵜方駅前のビジネスホテルで目が覚めた。このホテルにも三連泊したことになる。

<6時起床 7時出発 13時30分自宅着>。帰宅日のことで、まず思い浮かぶことは、<伊勢神宮>前の道路を通過したときのことだ。ふと、寄ってみようかな、と思った。そう思っただけで、結局は寄らなかったが、千載一遇の機会なのに、なぜ寄らなかったのか?帰宅することに気が急いていたからだろう。べつに早く帰っても、待っているのは、骨壺の中のニャンコだけだが、ともかく、観光気分にはなれなかった。それと、<伊勢神宮>に限らず、神社仏閣を見学することが、いまいち億劫な気がしている。要するに、つまらないのだ。

旅の最後のメモ書きにも、行間には<つまらない>という心情が流れていた。懐疑的な言葉が書きなぐられているのだ。<・・・従来通りの<旅日誌>を書くことに懐疑的 ・・・変更(して)<灯台のある風景>として、スナップを入れることにする。・・・ホテル到着後のモニター、灯台写真もスナップも枚数だけ多くてロクなものはない。・・・あるいは<大王埼灯台物語><安乗埼灯台物語>として、日誌風のエッセー(にしようか、しかし)物語は大げさだろう>。<旅日誌>を書くことを、この時点で、ほぼ断念していたようだ。で、結局、この<灯台紀行 旅日誌 紀伊半島編>は、帰宅後には書かれなかった。流石に、撮影画像の選択、補正はしたけれどね。

話しを帰宅日のことに戻そう。<伊勢神宮>には寄らぬまでも、道路沿いの<赤福>の立派な店舗を見て、お土産に買っていこうか、とも思った。だが、まだ時間がはやくて、店は閉まっているようだった。そのあとの記憶は、ほとんどない。スナップ写真も一枚もない。思いだそうとしても、思い出せない。

ただ、かなりの蓋然性をもって言えることは、高速に乗ってからは、ほぼ一時間おきにトイレ休憩をした、ということだ。高速走行に関して、一時間走ったらトイレ休憩、と自分の中で決めていたからだ。それから、そうだ、眠気に襲われることもなかったし、極端な疲労感もなかった。東名から圏央道に入った時には、もう一息だ、と思ったような気もする。そして、最寄りの圏央道のインターで降りて、見慣れた一般道に入った時には、ほっとしたにちがいない。

たしか、比較的明るい曇りの日だった。駐車場に車を入れて、荷物や機材を一階のアトリエに運び入れた。紀伊半島から、意外に早く戻ってこられたし、身も蓋もないほどには疲れていなかった。やるべきことを終え、手荷物だけ持って、階段を登り、二階の自室のドアを開けた。その際、誰にというわけではないが、いわば、虚空のニャンコに、ただいま、とやさしい声でつぶやいた。そのあとは、とにもかくにも、昼寝だ。旅の気分を一掃して、日常に戻るのだ。

・・・自分としては、八泊九日の旅は、これまでで最長かもしれない。二、三日は、何もしないでぼうっとしていた、と言いたいところだが、この男の性質上、そうもしていられない。翌日から、撮影画像の選択と、補正の作業を始めた。なにしろ、期間が長かった分、撮影枚数も多い。1000枚は軽く越えていたと思う。かなりしんどかった。

それでも、<旅日誌>を書くことは断念していたので、その分、気は楽だった。なにしろ、画像の選択、補正の作業は、かなり慣れていて、なかば自動的にできるようになっていたからだ。多少、語弊はあるが、頭をそれほど使わなくても済む作業で、そのかわり、集中力と判断力、それに忍耐力とが求められる。ま、短期決戦ならば、頭を使う作業よりは得意かもしれない。

ともかく、この作業は、二、三週間くらいで完了したと思う。先が見えてきた段階で、心は早くも、次なる灯台旅へと向かっていた。飛行機で出雲まで行って、そのあとはレンタカー、日本一高い<出雲日御碕岬灯台>へ行く計画だ。島根県は、埼玉から陸路で行くには、あまりに遠すぎる。

ただ、画像編集の作業を終えた後に、ふと、何か物足りないような、もの忘れをしたような気分になった。若い頃に勉強した心理学の用語を借りれば、<超自我>が疼いている感じだ。やるべきことをやらずに、遊び呆けている時に、どこからともなく滲出してくるものだ。たいていの場合、そんなものは無視して、<自我>に身をゆだねて、<快>に流れてしまう。それで済んでしまえばいいのだが、往々にして、自分の場合、そうはいかないようだ。

というのは、精神力というか、気力がないので、長文の<旅日誌>は書けないが、メモ書きにちょっと毛が生えたくらいのものなら書けるだろう。旅の記録として、そのくらいは残しておこうかと思ったのだ。そして、実際に、すこしだけ書いてみた。しかしながら、これとて、多少の精神力は必要で、一度弛緩した神経細胞を復元するのは容易なことではない。すぐに頓挫してしまった。<もの>を書く、という精神状態からは、程遠い所に居たわけで、気持ちが<内>ではなく、<外>へと向かっていた。内省よりは行動だ。いわば<物狂い>の状態が<超自我>を圧倒していた。

で、結局は、<旅日誌>どころか、<旅の記録>もろくに記述しないまま、一か月後には、いそいそと<出雲旅>へと出かけてしまった。比較的楽な、画像の選択補正という作業だけは終わらせて、最低限のことはやったのだと、自分に言い聞かせたのだ。<自己欺瞞>というには、言葉が大仰すぎる。だが、<なにか>に言い訳して、べつの<なにか>に身を委ねたような気がする。これだけは確かだ。

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編 #1~#17 終了。

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