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【エッセイ】 風味を保っているココア

 正直にいっちゃうと、私は50代後半になっている。
 勤めている職場は定年延長なんていう話になっていて、今年60歳で定年となるはずだった同僚は、あと1年働くことになった。職場でそれに近い年齢が集まると、この話題になることも多い。「人生設計が変わった」とか、「もう疲れた」「もういい」「気力、体力が追いつかない」とか、60歳を過ぎると給与が下がるのだが「給料が下がってまで働かされるのか」と不満が収まらない。
 私の定年も64歳となり、「人生設計」が多少ずれた感はあるが、同僚が漏らす不満や失望に共感していない。まあ、その場の人間関係もあるので、黙ってうなずいてはいるけれど…
 そんなにのんびりしたいのかぁ…?
 年末年始や盆のお休みも、1週間もするとやり場のない退屈の方が増してくる。他界した両親を見ていても、それといってやることなく、同じ話題の繰り返しみたいなテレビの情報番組を見ている毎日は苦痛でしかないように思う。
 私が客観的にどう見えているか分からないが、自分では“きゃぴきゃぴ”しているつもり。さすがに20代のころより興味のアンテナは鈍ってきたように思うこともあるけど、まだまだ、いろいろなことを知りたいし、体験したい。雑誌で新しいスポットが紹介されていると、すぐに行ってみたくなる。『Hanako』が創刊されて間もなく、『Hanako』は首都圏だけの発売で、地元の本屋さんでは売っていなかったので、大学生協の本屋さんに定期購読を申し込んで取り寄せてもらった。そして新しい話題を追いかけた。そんな熱は、少しぬるくなってはいるが、今もまだ風味を保って味わえるココア程度でいるつもりだ。
 体力でも「疲れた」と思うことはない。悪玉コレステロール値は少々高いがそれは若いころからで、人間ドックの医師からは「これは体質だから心配ない」といわれる。肥満もなく体形の変化もない。歩くことも嫌いじゃないから、日に十数km歩くことがよくある。
 私は勤めのほかにクリエーターをしている。カッコよくいうと「アーティスト」なんていえるかな?
 若いころから、60代、70代の先生や先輩を見てきたからだと思う。私たちの世界では定年はなく、その年代でも、「今日はどこの教室で弟子の指導がある」とか、大阪に拠点のある先生が「今日からしばらく展覧会の審査で東京だ」とか忙しくスケジュールをこなしながら、自分の制作も同時になさっていたりがあたり前にある。その制作は気持ちを張り詰めた渾身のものだ。そして、その前提として芸術への興味や情熱は枯れることはない。逝去直前の作品が遺作として展覧会に展示されたりする。
 わたしも次の作品はどうしようなんていつも頭の隅にあるし、弟子の成長も楽しみ。
 60歳でゴールなんて、絶対にありえない。

(2024年 2月 7日)


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