伊能忠敬と妻は夫婦同苗字

 ネット上では、「夫婦同氏制度は明治から。それまでの日本は別姓だった。」という声をよく聞きます。

 しかし、私はこれまで、明治以前の姓・氏・苗字は別概念で、実際には夫が妻と家の名前である苗字を共有する習慣があり、それが夫婦同氏制度へと繋がった、庶民も公式に名乗れないだけで苗字を持っていたと繰り返し主張してきました。

 そして、歴史上有名な人物にも夫婦同苗字だったことがわかる例が存在します。

 日本地図作成で知られる江戸時代の伊能忠敬も夫婦同苗字だったことが分かります。彼は17歳で伊能家の婿養子かつ当主になります。↓下のリンク参照

 なお、国土交通省地理院によると、伊能忠敬の父も婿養子だったようです。小関家の婿養子になっている間は、妻と同じ苗字を名乗っていたでしょう。↓下のリンク参照

 ちなみに、伊能忠敬は武士ではありません。彼が苗字帯刀を認められたのは、下のリンクによると1783年だそうです。

苗字帯刀は、あくまでも苗字を「公式」に名乗ることを許可されることなので、私称であれば誰でも苗字を名乗っても問題ないわけです。確かに、伊能忠敬について調べていると、武士階級ではない彼と関係のある一族が当たり前のように苗字つきで表されています。当時、庶民でも苗字帯刀が許されていましたが、伊能忠敬がそれを認められたのは婿養子になってからずっと後なので、それ以前から苗字を持っていたことになります。