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兄弟別姓を認めるとどうなる?ービザンツ帝国の皇室の例から読み解くー

 先日私は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)では原則子供は父の姓を受け継ぎ、女性は結婚後も父の姓を名乗るので、夫婦別姓だったという話をしました。

 その後、井上浩一氏の「ビザンツ皇妃列伝」(白水社,2009)を読んでいると、面白いことが分かりました。井上氏によると、ビザンツ帝国では、兄弟別姓というケースもあったというのです。

 たとえば、コムネノス家出身のビザンツ皇帝アレクシオス1世とドゥーカス家出身の皇后エイレーネー・ドゥーカイナ(ドゥーカスの女性形)の娘アンナはニケフォロス・ブリュエンニオスと結婚しますが、2人の子供アレクシオスは、母方の祖父の姓コムネノスを名乗り、ヨハネスは母方の祖母の姓ドゥーカスを、エイレーネーも母方の祖母の姓ドゥーカイナを名乗っています。孫が母方の祖父の姓だけでなく、祖母の姓も名乗ることができたというのは興味深いです。

 井上氏によると、皇后エイレーネーと同姓同名の孫は、皇后の一番のお気に入りだったそうです。実際に、祖母エイレーネーは晩年に修道院に入りますが、その修道院を娘のアンナの財産とし、さらに孫娘で自分と同姓同名のエイレーネー・ドゥーカイナが引き継ぐことができるように修道院の規定を変えています。

 兄弟で姓が違うことにより、トラブルはなかったのでしょうか?実は、後継者争いがありました。エイレーネーが同名の孫娘エイレーネーの母で娘のアンナとその夫を皇帝の地位に継がせようとしたからです。しかし、結局うまくいかず、修道院に入ることになります。また、エイレーネーの娘アンナはクーデターを起こして失敗し、娘のエイレーネーと共に修道院に送られます。

 さて、ここで選択的夫婦別姓の話に移ります。選択的夫婦別姓になると、兄弟別氏にすることができるように、と考える人達も中にはいます。夫婦の「平等」という観点から別氏にするのであれば、子供にもそれぞれの氏を引き継がせるべきという話になるはずです。以前私は、それがどれだけ難しいことであるかについて以下の記事に書きました。

 それに加えて、ビザンツ帝国のエイレーネーの例にあったように、兄弟別氏はやはり揉める原因になるのではないでしょうか?1,000年近く前の話で、高貴な地位にある人々が家柄にこだわりトラブルになったというのは当時よくあったでしょうし、現代社会ではなかなかないことではあります。一方で、エイレーネーが同姓同名の孫娘に情が移ったのと同じように、人間として名前や姓が同じ人物に情が移ることが絶対にない、とは言えないのではないでしょうか?当時は親や祖父母の意向が絶対的なものでしたし、身分が高い人が考えることだから、とある程度許してもらえたでしょうが、現代日本で家族の中の特定の人間を親や祖父母が溺愛していたらどう思われるでしょうか?しかも、兄弟別姓にすることができない現行法下でも特定の子供に対して親や祖父母が強い愛情を注ぐことは起こりうるのに、兄弟別姓を認めてしまえばどうなるかということは目に見えています。

*兄弟別姓についてはこちらの記事も↓

 ちなみに、この記事によると、選択的夫婦別氏の案によっては、法改正後の数年間に母方の祖母の旧姓を孫が名乗ることもできそうです。

 選択的夫婦別姓制が導入された場合、現在結婚している夫婦も対象になる。妻や夫が実家の姓を名乗りたいと言い出す。経過措置は1年か3年とされる。その間に子の姓の選び直しも行われる。世代をさかのぼった姓の変更も行われる。
夫婦の両親が姓の選び直しを行う場合、例えば、妻の母が旧姓を称することを希望した際には、連動して妻も母の旧姓を選択できることになる。その場合、夫婦の子も妻の母の旧姓を称することができる。

(上のリンクより引用)

 兄弟別氏が可能で、孫が母方の祖母の氏を名乗ることができるようになる…こんなことが可能になれば、21世紀の日本でビザンツ帝国コムネノス朝のエイレーネーのようなことが起き、家庭内で派閥争いが巻き起こるでしょう。

 したがって、選択的夫婦別氏になったとしても、兄弟別氏はなんとしてでも避けたいところです。しかし、前述のように夫婦の平等という観点から別氏にするのであれば、子供の氏の数(場合によっては孫も)も平等に、という発想になるので、兄弟別氏を否定することはできません。

 やはり理性主義に基づいて名前の仕組みを考えることには限界がありますね。

参考文献

井上浩一氏「ビザンツ皇妃列伝」(白水社,2009)