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仕事辞めると夫が言い出した

「この9月で仕事を辞めようと思う」

と、マッサージ機を首にあてながら夫が言った。

「ふーん…いいんじゃない」

と、ソファに寝そべりながら私が答える。

令和元年5月1日のお昼前、窓の外がやけに眩しかったのを覚えている。

夫の決断を聞いて、「やっぱりな」と内心、私は思った。夫に限界が来ているのは、以前から気づいていた。なんらかの形でカタストロフィが訪れるだろうと予想していたが、一方でこのままなんとなくやっていける気もしていた。

しかしその間、夫は着々と退職の意志を固めていたのだ。

夫の体と心が壊れてしまうよりはずっといい、そう思い、私は「いいんじゃない」と言った。当面、具体的な転職先は考えていないとのことだが、少しの充電期間を経て、何かしら仕事を見つけてくれるだろう。多少、いや、かなり収入が下がっても…。

結婚して10年、私たちは共働きでやってきた。二人の子どもの出産、育児休暇を経て、私は現在時短勤務をしている。それぞれの稼ぎは多くはないものの、二人足せば、細かい支出は気にせずやっていけていた。

しかし、しばらくは私が稼ぎ頭になる。しばらく、はどれくらいなのか。夫はまともな仕事、今までのようなブラックではない、夏は日の明るいうちに帰ることができ、子どもたちと夕食を囲めるような仕事を見つけることができるのだろうか。見つけることができたとして、どれくらい収入が下がるのだろう…。

夜、こどもたちを寝かしつけた後、自分も布団に横になったが、眠れなかった。これまで家計について、ちゃんと考えたことがなかった。考えなくてもやっていけていたし、多少のことはお金で解決する、時間はお金で買うような生活だったからだ。

寝返りを打てば打つほど目が冴えて、私はたまらず起き上がり、パソコンの電源をつける。

私の収入はどれくらいなのか、ローンは、マンションの管理費は、学費と習い事の費用は、食費は…。

途中、去年行ったディズニーランドの写真を見て、泣きそうになる。

気軽にちょっとした旅行には行けない、なんでもない日に花を買ったりケーキを買ったりもできない、気分転換に外食にも行けない、スーパーで値段をにらめっこしなければならない…それでも、私の稼ぎだけでは一年も持たないだろう。家計について、大きく見直さなければならない。

これまでも大した生活を送ってきた訳ではないが、生活のレベルを少し落とすということが、想像しただけでこんなにつらいものとは思わなかった。子どもたちにはなんて言おう、今までよりがまんさせちゃうんだろうな、と思うと息が苦しくなる。

それに、私自身、そこまでバリバリ働きたい訳ではない。これまで仕事を続けてきた中でも、何回か挫折を感じたことがあった。精神的に追い詰められて、もうダメかもしれないというときもあった。それでもなんとか持ちこたえたのは、どうしてもイヤならいつでも辞めてやるという気持ちがあったからだ。社畜にはならない、その矜持があったからこそやってこれた。しかし、もうそれは捨てなければならない。

「いつでも辞めてやる」を手放して、私はこの先やっていけるのか。私が将来、今の夫のような状況になったときはどこに逃げられるのだろう。湿度を持った夜の闇がじわじわと肌にまとわりついて、ひどく重く感じる。それはこれまで夫がひとりで背負ってきた責任感の重さなのだろう。

それでも、夫が壊れるよりははるかにましなのだ、と私は自分に言い聞かせる。夫はぎりぎりまともな精神で、決断を下した。それで夫は人間らしい生活を取り戻すことができる。それに夫は、私一人に責任をかぶせて、のうのうと生活をするような性格ではない。大丈夫だ、きっと私たち家族が路頭に迷わない方法を、冷静に考えていてくれるに違いない。

正直、今の会社で楽な部署に転属されて、夫が落ち着いてくれればそれに越したことはないと思う自分がいる。

しかし、本当にあてもなく退職してもそのときはそのとき。夫を信じるしかない。私に収入がある限りは、なんとかなるのだ。

病めるときも健やかなるときも、10年前の誓いはとりあえず守ろうと思う。

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