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日本の名前の歴史①氏姓(うぢ・かばね)制度の時代

「日本の伝統」というけれど……

自分の名前を自分で選ぶ権利――自己命名権について考える上で、歴史的な経緯は避けられません。ところが、現代の名前システムのように固定化されたのは明治維新以降、わずか1.5世紀程度のことです。
「日本の伝統的な名前システム」は、1000年以上の期間にわたって何度も変化してきました。ですから、「日本の伝統を守れ」という人は、いつの時代まで遡るのかをはっきりと述べる必要があります。
もし、現行の1.5世紀程度の「伝統」のみを絶対的な「日本の伝統」とし、それ以前の千数百年の「伝統」を無視するなら、それは本当に日本の伝統を守ったことになるのでしょうか。
「生まれた時に付けられた名前を一生変えられない」「夫婦は同じ名字を名乗るよう強制される」のも明治以降の「新伝統」です。その短期的な伝統に反対するとしても、別に日本の伝統を破壊するわけではない(むしろ明治新政府が日本の伝統を破壊した)ことは明らかです。

古代氏姓制度 《氏・姓・名》

飛鳥時代、日本では「氏(うぢ)」「姓(かばね)」の制度がありました。今は「夫婦別姓」とか「夫婦同氏」といったように氏=姓のように使われることが多いのですが、古代にはまったく別のシステムでした。なお、この項での読み仮名は旧仮名遣いを使います(「うぢ」の「ぢ」のように)。

氏(うぢ)は氏族のなまえ

「氏(うぢ)」は氏族ごとの名前です。蘇我氏、物部氏、大伴氏、藤原氏、橘氏などなど。
この氏族というのは、たとえば地方の王権の血筋とその集団を表す場合(出雲氏など)もあれば、朝廷内の役職を担当した集団(物部氏など)もあります。服部(はっとり)さんは今も多いですが、もとは朝廷の服飾担当部門である「機織部」(はたおりべ)⇒はとりべ⇒はっとり⇒「服部」となったものです。また、大王(天皇)から与えられた氏(源、平、藤原、橘……)もあります。

姓(かばね)は氏族の称号

「姓(かばね)」は氏族ごとの称号です。その集団がどういう性質をもつものなのかをあらわしています。ですから、氏(うぢ)と姓(かばね)は、セットで用いられるものですが、まったく異なるものといえます。

姓(かばね)にはもともと、以下のようなものがありました。ほかにも合わせて30ほどあったとされています。

  • 臣(おみ):大王家から分かれた氏族、大王家に妃を出している氏族など

  • 連(むらじ):大王家とは別の古代からの氏族

  • 造(みやつこ):部民(べのたみ=役職担当集団)に多い

  • 君(きみ):比較的新しく大王家から分かれた氏族や、地方豪族

  • 直(あたへ):地方豪族

  • 別(わけ):大王家から分かれた地方豪族

  • 首(おびと):地方の中小豪族

  • 国造(くにのみやつこ):古代の「国」の長官をつとめた血筋(後の令制国より狭い範囲)

  • 県主(あがたぬし):古代の「県(あがた)」を治めた血筋。

  • 村主(すぐり):朝鮮系帰化人の子孫。特に漢人(あやひと)系の氏族。

これを組み合わせて、たとえば、
蘇我(=氏)大臣(=姓)馬子(=名)➡そが の おおおみ うまこ
物部(=氏)大連(=姓)守屋(=名)➡もののべ の おおむらじ もりや
などと呼んでいたわけです。姓(かばね)は、現代なら伯爵、公爵のような爵位に近いイメージかもしれません。

八色の姓

天武天皇の時代(684年)に、新しく「八色の姓(やくさのかばね)」の制度が制定され、旧来の姓(かばね)は廃止されました。

  • 真人(まひと):継体天皇以後の天皇の子孫

  • 朝臣(あそみ・あそん):天皇家から分かれた有力氏族、のちに渡来系や源氏・平氏にも与えられた

  • 宿禰(すくね):有力な臣(おみ)・連(むらじ)に与えられた

  • 忌寸(いみき):もとの連・直・造・首や渡来人系氏族に与えられた

  • 道師(みちのし):(具体的な実例が見つかっていない)

  • 臣(おみ):もとの臣のうち、朝臣・宿禰を与えられなかった氏族

  • 連(むらじ):もとの連のうち、朝臣・宿禰を与えられなかった氏族

  • 稲置(いなぎ):もとの稲置姓(小区域の首長)

これらの制度は奈良時代から平安時代初期までは機能していましたが、やがて、藤原氏が政権を握り続けるようになると、あまり意味のないものになっていきます。さらに平安時代後期から名字が生まれ始めると、実質的な「姓」の意味がなくなっていきました。

鎌倉時代初期には、すでに「氏」と「姓」は混同して用いられることも多くなっていたようで、「源・平・藤原・橘」の四つの「氏」をまとめて「四姓」と呼ぶこともあったようです。

それでも、形としては長く残ります。
織田信長の名前をすべて書くと「平朝臣織田上総介三郎信長」となるわけですが、「平」が氏、「朝臣」が姓(八色の姓の第2位)、そのあとに名字・官職・仮名・諱と並んでいます。つまり、伝統的な日本の名前のシステムでは、名前のパーツがやたらと多かったということになります(「日本の伝統を守れ」という人の中に、ここまで戻せという人がいないのが不思議ですが、これこそ「伝統的」な命名法です。明治以降~終戦までのわずかな時期にすぎない「伝統」だけが守られるべき日本の伝統だというのはいかがなものかと思います)。

さて、こうして「氏(うぢ)姓(かばね)」制度が作られたわけですが、藤原氏のように権勢を誇った氏族はやたらと子孫が多くなり、分家も多くなります。そうなると、ほとんどみんな「藤原」、たまに「菅原」とか「源」とか「平」とかがいる、というようなことになり、誰が誰やらわからなくなってしまいます。

そこで、同じ氏(うぢ)でも区別するために、「名字」が生まれていきます。以下、次回。




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