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慣れるしかなかったことを笑う、 私と君へ。

帰りの電車が遅延していた。左右に目を動かして早く帰る方法を考えるけど、言葉を読み上げるだけの機械になったようで何も考えられない。体力ゲージも少ない。駅の端っこにいき人混みを避ける。深呼吸して左耳のイヤホンを外す。こんな時は音から逃げることが出来ない。雑音の中からアナウンスを聞いて、頭の中に組み立てる。大丈夫、いつもと同じように冷静に。

電車に乗ってからも、アナウンスを聞いて確認する。大丈夫、いつもと同じ。・・・次の駅で降りるということを確認してから、急に泣きそうになった。怖い、どうして。さっきまで大丈夫だったのに。

そして気づいた。

大丈夫じゃなくても、対処するしか無かったことに。

今日も、昨日も、覚えてないくらい前から ずっと。


ずっと持っていた違和感。

例えば、小学4年生での電車通学。編入した私立への初日、朝。普段通り仕事の用意をする母親をみて、あれ?と思った。
「ママ、何時に出るの?」
「 いつも通り。」
「え?それだと間に合わないよ。」
「1人で行けるでしょ!?××駅で乗り換えて、△△駅で降りるの。スクールバス来るらしいから。」
「・・・分かんない、覚えてないよ。」
「受験の時に行ったでしょ!?」
「・・・うん。」

片道1時間半の通学。受験の時に1度降りただけの知らない駅。初めて乗る時間帯、人の群れ。使ったことのない定期券。私立編入初日。

結果として、乗り換えは出来たし、スクールバスの乗り場も見つけることが出来た。どこに行ったらいいか分からなかったけど、教室にたどり着けた。他の編入生は全部分かってるみたいだった。みんなは オリエンテーションに参加して教えてもらってたと聞いた。知らなかった。泣きそうだった。

ただ、 耐えて 生きる事だけを。

泣いても解決しないことを知ってた。
そして、何一つトラブルなく出来たことは ”当たり前”の事になった。

電気が止まった家で1人耐えた夏のことも、母親が再婚したことも、0歳の妹と2人で長時間の留守番をしたことも、1人で勉強して15歳で高卒認定を取ることも、養父の代わりに稼ぐことも。19歳で精神科に入院して、保護者不在で入院手続きと支払いをしたことも。警察と役所での手続きをしたことも。

押し潰されそうな重圧に「大丈夫です」と言った。心を削りながら「今までもやってきたんで」と笑うようになった。ひとりぼっちの部屋で「慣れてるし出来るから」と俯いた。

抜粋:曖昧な言葉で待つこと 2022/1/31 Sena.

「ずっとそうやって生きてきたんだから。平気なんだから。」そう私に言い聞かせた。

心に麻酔を打った。

もっと強い効果を求めて ”出来ている実績” を積んだ。
麻酔を打ち続ける以外の方法を忘れた。

そうするしかなかった、それだけ。

この記事を書きながら色んな事を考えた。家庭環境を話せるようになってから、沢山の優しい言葉を受け取ってきたことも思い出した。

そうして考えたことと、当時の感情と今の感情を混ぜたり離したり 並べてみたりして、やっと少し納得した。

「私が言わなかったから」とか「出来たから」とか。そうだろう。そうするしか、そう考えるしかなかったのだろう。頑張って褒められる or 出来なくて捨てられる という歪んだ選択肢の中で。

自分を責めて、責めてる自分を責めて、逃れられなくなって。それでも死ねなくて。普通の選択肢を願ってるだけなのに。諦めて笑わなくていい、そんな普通を。

今もそう願う君の話を聞かせて。
灰色に濁ったその言葉を一緒に肯定していこう。

慣れるしかなかったことを笑う、私と君へ。
Sena.

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