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目の前は赤

怒る時、手が震えるというのは本当だったんだなと、ついこの前知った。

私はどちらかと言うと短気で苛つきやすい質で、すれ違う見知らぬ人に対してすら敵意を持つこともざらにある。みんな私のことが嫌いで、私もみんなのことが嫌いなのだと思うからだ。他人は常に敵で、決して私の味方ではなく、だから私は弱い所を見せてはいけないのだと、そう思っているのかもしれない。
弱さにつけ込まれるのを恐れて、私はずっと怒っている。そうして自分自身を緊張させていないといざと言う時に自分を守れない。私を守れるのは私だけなのだ。

けれど、そんなふうに心の中では苛立っていても、表に出して激怒するようなことは滅多にない。
そもそもそういう状況を避けているというのもあるし、声を荒らげたくなるような出来事になんて普段は出会わなくて当然だろう。
だから私がヒステリーを起こしたのは大分久々のことだった。

手が震え、耳は遠くなり、顔は熱く、頭は真っ白で、それなのに私は半分金切り声を上げて怒っていた。相手に言い募る自分の声が、平素の数倍大きく、甲高く、早口で、私は頭の中からそんな私自身を見つめながら絶望した。いま思い返しても、喋ったことのほとんどは覚えていない。なにかもう、別の人格が出てきたのかと思うくらい必死になって感情を吐き出していた。
けれどそうやって怒鳴る自分の声がうるさくて、感情的になっている自分が突然惨めに思えて、私は荒い息をつきながら、気を緩めると開きそうになる喉を抑え込んだ。高い声を出すとそれにつられて感情が昂りそうだったから、できる限り声を低くして冷静になることを自分に言い聞かせた。
手はしばらくずっと震えていた。

私は結局彼を許した。許さざるを得ない状況だった。
嫌だったけれど、強く強請られたから仕方なく、数日後には会いもした。けれどさすがに、別れ際まだ一緒にいたいと言うのは拒んで帰宅した。とても顔を見ていたくなかった。
いつも、どうして私だけが許さなくてはいけないのだろうと考える。例えそれが2割は彼のせいではないとしても、その2割のためにどうして私だけが我儘を聞いてあげなくてはいけないのだろう。仕方ないと諦めなければいけないのだろう。
「ごめんね」と言われても腹が立つだけだった。私の「いいよ」「気にしないで」という許しが聞きたいのだろうが、言う気にはならない。許せないからだ。
彼は、謝罪の言葉こそあれ、本心では「しょうがないじゃん許してよ」と思っているように感じる。本当に申し訳ないと思っているなら、私が嫌だと言っているのに「元気が出ないから会いたい」などという我儘を突き通すものだろうか。なんだか今更、会ったことを後悔している。
夏に抱いた不信感は消えていない。そしてまた積み重なった。

「不安になる」と彼は時々言う。私はいつも、それは死にたくなるくらいの不安なのか?、と思う。私はあなたに何度も「死にたい」と思わされてきたのだよ、と詰りたくなる。
実際、言えばよかったのかもしれない。あの、理性が途切れて怒りに手が震えた時に。
理性を取り戻す前に、言うべきだったのかもしれない。激しい怒りのない今は、もう言えないから。
良くも悪くも、私はひとを傷付ける言葉を口にするのが苦手だ。

思い出していたらなんだかつらくなってしまったのでここでやめます。


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