無題

「好き」を極めれば「仕事」にできる。内面の美しさを引き出すジュエリーでよい循環を生み出す礼花さんってどんなひと?

こんにちは、Life Plus*編集部です。つくるひとシリーズでは衣食住を彩るイイもの・ことを創り出す人々をご紹介。日々の生活の中でクリエイティビティを発揮する人ってどんなひと?
今回はスピリチュアルジュエリーデザイナーの中野礼花(なかの あやか)さんをご紹介します!

中野 礼花

出身:静岡県
現在の職業:スピリチュアルジュエリーデザイナー
すきなこと:ファッション、何かを極めること、没頭すること

個々人が持つ内面の美しさを引き出すための
世界にただ1つだけのオーダーメイドジュエリー

礼花さんのお仕事について教えてください。

フリーのジュエリーデザイナーとして活動しています。
もともと8年ほど翻訳業界一筋で活動していましたが覚悟を決めて思い切って転身しました。英語が好きなので翻訳自体は継続しつつも、日々ジュエリー制作を通してお客さまと向き合っています。今までに制作してきたジュエリーは様々ですが、自分の中で確実にブレない軸が3つあります。

1つ目は自分が創り出すジュエリーはお客さまの内面の美しさを引き出すためのものである、ということ。

2つ目は制作の際は必ずお客さまの心のなかにある理想の未来像や願いをくみ取るようにすること。そして、その未来像を手に入れた時に、お客さま本人が身に着けているだろうジュエリーを自分の感性でデザインに落とし込むこと。

最後に、落とし込むデザインは普遍的な美しさを持ち、永続的にジュエリーとして美しさを保てるようにすることです。


使う素材はプラスチックやメッキではなく、シルバーやゴールド、天然石を使います。行きつけの石屋で石を調達する際は必ず、買おうとしている石はどのような過程を経て今に至っているのかを確認してから買うようにしています。ジュエリーをデザインするときは奇抜すぎずなるべくシンプルに。流行に左右されずに永く愛用してもらえるように心がけています。

「やりたい仕事」と思い込んで頑張ってきた翻訳家としての8年間のキャリア

ジュエリーデザイナーの前はどのようなことをしていましたか?

翻訳家としてキャリアを積んでいました。私は大学を4年で卒業後に院に進学したのですが、当時お世話になっていた教授から誘いを受け、はじめはアルバイト感覚で翻訳家としてのキャリアをスタートさせました。自分が実際に興味関心をもって学んでいた分野の翻訳だったので自身のさらなる知識取得に繋がりました。教授のためにも、自分の糧にもなっていることを実感し、非常にやりがいを感じていました。

「自分のやりたいことは翻訳なのかもしれない」

教授の手伝いをしたことをきっかけに、最終的には大学院を卒業してからのキャリアとして翻訳家を選択することにしました。

翻訳者はただ言語を訳すだけではなく、読み手に伝わりやすく仕上げるために元の情報を正確に理解し、整理することが必要です。予習や復習は常に欠かせません。社会人になってからの翻訳業は自分の研究していた専門分野の内容とも大きく異なり非常に苦労しました。いわゆる激務でしたが、自分が希望して選んだキャリアだと信じ、必死に食らいついていました。その結果、会社では一定の成果を上げられるようになりました。そしてその評価と比例して任される仕事の量も質もさらに上がっていきました。

英語が好きだし、翻訳は素敵な仕事だなと思っているので現在もしているのですが、当時は仕事に打ち込めば打ち込むほど、気力、体力がすり減っていく感覚に悩んだこともありました。

「好きなこと」に没頭する時間を作ることで心のバランス調整を。

翻訳家として日々忙しく過ごされていましたが、何がきっかけでジュエリーを制作するようになったのですか?

「好きなことで稼ごう、自由になろう」ブームに乗ってみました。笑

違和感をぬぐい去ろうと無理をしながら仕事をした結果、心と体のバランスが崩れてしまいました。そこで、メンテナンスのために関心のあったスピリチュアルの考え方を取り入れるようになりました。

知見を深めていく中で、人は自身が好きなことをしているときは、「良い波動やオーラ」があり、良いものを引き寄せやすくなっているということを知りました。
また、当時は世間的に「好きなことで稼ごう、自由になろう」という考え方がちょっとしたブームになっており、関連書籍が立て続けに出版されたりしていました。世間的なブームや自分の志向が重なり、昔から好きだったファッション、その中で特にジュエリーの制作を本格的に始めてみることにしたのです。

実際にジュエリー作家と翻訳家の二足の草鞋生活をスタートさせてみると、物事がうまく回り始めていく感覚がありました。ジュエリー制作をすることで心も体もふわっと軽くなったのです。また、自分が制作したジュエリーを喜んでくれ、身に着けることでさらに輝きを増した人々を見て、生きている実感を一層強く感じるようになりました。

はじめは身近な友人や同僚からの制作依頼がほとんどでしたが、徐々にその輪が広がっていき、自分とは直接関わりの無い方からも制作依頼のお話をいただけるようになっていきました。気が付けば約3年、翻訳家とジュエリー作家を両立させて働いていたことになります。

「フワフワ、楽しい」だけではない。ネガティブな感情に耐えられず、一時活動休止したことも

翻訳家と作家の2軸で活動していた頃は、ジュエリー制作のご依頼いただく機会が増えれば増えるほど、「楽しい、うれしい、わくわくする」といったような前向きな気持ちが大きくなり、ゆくゆくはジュエリーデザイナーとして活動していきたいと強く思うようになりました。

しかし、その一方で焦りや不安の気持ちも無視できない状況になっていきました。ジュエリー制作で一定の手ごたえを感じられるようになってきたからこそ、もし独立して生計を立ていくならばもっと稼がなければならない、という焦りを感じるようになったのです。

また、その焦りがさらなるマイナな考えを呼び、自分が制作しているジュエリーに対する周りからの評価や、自分の描いていた理想の未来像に対して自信を失ってしまいました。結果的にプレッシャーやネガティブな思考により、制作活動を休止せざるを得ない状況にまで追い詰められてしまいました。

活動を休止してからは心のバランスの調整をしようと、再びスピリチュアルの考え方を意識的に取り入れるようにしました。丁度そのタイミングで現在メンターとの出会いもあり、徐々に心のバランスは整っていきました。心が落ち着いていくにつれ、再び自分の心の中に制作意欲が沸き上がってくるのを感じました。

創作意欲が大きくなればなるほど、自分が翻訳家として活動している現状に対し、いてもたってもいられなくなってきました。24時間のうち8時間以上を翻訳に費やしている。しかし、その翻訳自体は自分が本当に心の底からやりいたいと思えているものではない、という状況に耐えられなくなってきたのです。

そしてついに「ジュエリーを作りたい!」という気持ちが「ジュエリーデザイナーとしてやっていけるのだろうか。。。」という不安を持つもう1人の自分を超え翻訳家としてのキャリアに終止符を打つことに決めました。

フリーで頑張っていく。そのために意識している「人間関係の築き方と考え方。

会社に勤めていたころはお給料や福利厚生、従業員同士のコミュニティなど安定した基盤があり、その恩恵を存分にうけていました。しかし独立するとその「あって当たり前の基盤」を自らの力で補う必要があり、会社員だったころには想像もできなかった壁にぶつかることがあります。実家を離れてひとりで東京で頑張ってきたこともあり、心のよりどころの必要性を強く感じたこともありました。

しかし、今の私には尊敬するメンターや、サポートしてくれる友人がまわりにいてくれているので前進することができます。自分の味方になってくれる人たちのありがたみを独立してからさらに、実感するようになりました。離れて暮らしているとはいえ、家族も自分にとってはかけがえのない存在です。家族1人ひとりが持っている価値観や世界観は違っていたとしても、私がジュエリーデザイナーとしての道を歩むことを尊重し、応援してくれているのはとても有難いことで、家族は制作活動に対するパワーの源になっています。

一方で、家族も含め、自分の周りにいてくれる人が必ずしも全員味方である必要も無いと考えています。人それぞれに対して心地よい距離感があり、その距離感は絶えず変動するものだからです。味方か、そうではないかの「0か100か」の考え方よりも、互いにとって心地よい距離感を保ち、関係を維持することが大切だと思います。

人間関係に限らず全てにおいて「〇〇するべき、〇〇でなければならない」という固定観念から結論を出してしまうと自分を時に苦しめることがあります。自分は何を思い、どうしたいのか、さらに自分はどうありたいのか、と冷静になって客観的に自分を見つめること。すると自ずと答えは見えてきます。

ジュエリーデザイナーとして、その人に合ったジュエリーを制作し、お届けする。

ジュエリーを身に着けてくれる人の人生の中で、より多くの「良い連鎖」がうまれるようにこの先も尽力したいと思います。

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