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ドラマ『ガラパゴス』は、働くこと、生きること、幸せになることの意味を考えさせられる衝撃作でした

まさにNHKらしい骨太なドラマだった『ガラパゴス』。社会問題にここまでストレートに切り込んでいく姿勢はNHKならではと感じました。

BSで今年の2月に「前編・後編」で放送されたものを、今月地上波で4回に分けて改めて放送されたものを観ました。

脚本は『相棒』『科捜研の女』シリーズでもおなじみの戸田山雅司。実に見事な脚本でした。

とある団地の一室で発見された青年の遺体。自殺と判断されたその死は、実は仕組まれた殺人だった…。

織田裕二演じる捜査一課継続捜査班の刑事・田川は、鑑識課の後輩、桜庭ななみ演じる木幡に頼まれて身元不明の死者リストを調べ始めました。

その捜査の中で「903」と呼ばれた青年の死が、練炭を使った一酸化炭素中毒自殺に見せかけられた青酸化合物による殺人事件だったことを見抜きます。

ここから田川と木幡が青年の死を再捜査するうちに、その青年が沖縄県宮古島出身の満島真之介演じる「派遣労働者」の仲野定文だと突き止めました。

被害者の仲野は高専時代成績優秀な人間だったにもかかわらず、その優しさゆえに友人に「正社員」の道を譲り、自らは上京してから14年間ずっと「派遣労働者」として日本全国を転々としながら働いていました。

田川と木幡は彼の勤務していた自動車部品の下請け工場を訪ね、彼を知る人物たちから彼の働きぶりや人となりを丹念に調べていきます。

「派遣労働者」同士のイジメ、相互監視させる慣習、「正社員」からの差別など…そんな劣悪な労働環境下で働いていたにもかかわらず、仲野は常に明るく振る舞い仲間を励ましていた善人。

そんな仲野がなぜ自殺に見せかけて殺されなければならなかったのか?

このドラマの根底に流れているのは、今の日本における社会問題でもある「非正規雇用」。

私が衝撃を受けたのは、派遣社員は「人件費」ではなく「外注加工費」として扱われていたという点。"人間"ではなく"物"として扱われていたというその現状に、腹立たしさを越えた悲しみを感じ得ずにはいられませんでした。

仲野が登録していた派遣会社ホープネス・ホールディングス森社長と、派遣されていた工場の自動車メーカー・ヒラガモーターズ松崎社長、警察の人間である特殊犯捜査係の伊藤英明演じる鳥居の三人が手を組んで実は大きな"不正隠し"をしていました。それによって引き起こされた交通事故もうまく揉み消し、事なきを得たかに…。

しかし仲野は強度の低い鋼板で作られた車体が存在している不正に気づき、正義感の強かった彼は「ガラパゴスの最前線」という名前でSNSに告発の書き込みをしていました。

「ガラパゴス」とは「アイデアなどが日本独自の機能やサービス、制度などにこだわった結果、海外では受け入れられにくくなっている状態のこと」。

自分が携わっているヒラガモーターズの車もそういう類いの車であったことを、仲野自身が皮肉っていたわけですね。

SNSでの不正の告発に気づいた三人によって、仲野は殺されてしまったわけです。

直接手を下したのは派遣仲間だった長内と清村。彼らは「正社員」という肩書きと引き換えに"殺人"を引き受けた…そんなにも「正社員」という肩書きがほしかったのかと正直打ちのめされました。

でも仲野が殺された現場に最後に残した数字の書かれたメモ…それこそが不正の証拠になり、田川が長内を落とすきっかけにもなりました。

仲野が自分の命をとしてまで残した遺言の数字…この車体番号の前後50台の車は決して世に出してはいけない…。

最終話、田川が鳥居を取り調べるシーンは織田裕二の凄みを感じて非常にシビれました。

鳥居の父親は勤めていた会社の裏金作りに加担し、すべての罪を着せられて最後は自殺。会社のコマとして扱われた父親のように惨めにはならないと、悪事に手を染めてまでものしあがろうとしていた鳥居の悲哀もほんの少しは感じました。

でも、それは仲野のような好青年が殺されなければならなかった理由にはなりません。田川が鳥居に言い放った「仲野さんは自らの仕事に誇りを持って働いていた…それはあなたのお父さんも同じだったんじゃないですか?」という言葉。

警察官でありながらも次々と罪を重ねていった鳥居は、とっくに誇りを忘れてしまった自分自身を哀れむしかなかったんじゃないでしょうか?

実は与党大物代議士、有力警視庁OBまでが出てきて、この事件は「元派遣社員間の金銭トラブル」ということで片づけられてしまい、事件はあっけない幕切れとなりました。

田川は長内の弁護側の裁判の証人として出廷し、仲野の死の真相を明らかにします。「自分のことよりも誰かのことを考える人」であった仲野定文という人間が確かにこの世に存在し、しっかり地に足をつけて生きていたという事実をみんなに知らしめるように…。

死に際に長内に仲野がつぶやいた「貧乏の鎖は僕で最後にして」という言葉。田川はこれは仲野の願いだと。

「差別や貧困は、この国からなくなっていないのかもしれません。その事実から目をそらさずに、たとえどんな小さな一歩でもいいから変えていくことが仲野さんの死をムダにしない唯一のことだと考えています」

『ガラパゴス』最終話より

ドラマのラスト、木幡と田川のセリフが非常に重くズシンと心に響きました。

「人って、幸せになれたらなぁって思いながら仕事をしているんだと思ってました。ただ食べるためじゃなくて、他の誰かと繋がったり、生きがいを感じるために…。

なのにその仕事が差別を生んだり、誰かを傷つけたり、人の人生を狂わせたりするなんて、私は納得できません」

「あぁ…。普通に仕事して、 普通に飯が食えて、普通に家族と過ごす…。そんな当たり前のことが難しくなった世の中って、どこか狂ってないか?」

『ガラパゴス』最終話より

改めて働くこと、生きること、幸せになることの意味をこのドラマを観て深く考えさせられました。

田川のセリフにもある"普通"を手に入れることさえ難しい時代…。

働くことに対してやりがいを感じ、生き生きとした毎日を過ごし、それによって幸せを実感するという理想を叶えたいと思いながらも、なかなかそうはうまく行かずにもがき続けているのが現実だと思います。

人は幸せになるために生まれたきた…なんて言葉はとてもとても軽々しく口にできませんが、少なくともそう感じられるように日々を重ねていきたいと、今強く感じています。

長い文章最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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