第三章 最大の友・信長、最強の敵・武田 〜武田のトラウマ in 長篠〜

『三方ヶ原の戦い』で、家康をボロボロにした信玄ですが、まだまだこうげきを止めません。

そしてついに、武田軍は三河にまでしんこうしてきます。

ヤバイヤバイヤバイ! まだくる! まだくるよおい! 
もうやめて、お願い。たのむ……たのむからどっか行ってくれぇー!!

と、家康がいのった(かどうか知りませんが)そのしゅんかん、武田軍の動きが


ピタァァッ!! 


……と、止まるんです。


ん? なんだ? どした……?


それだけじゃありません。しばらくすると、武田軍がゾロゾロと甲斐にひき返していく。


え、ウソでしょ? ちょっとまって……これ……まさか……!


家康は、「もしかして!」とあることをうたがうんですが、これを読んでるあなたは気づいたでしょうか? 

実はね、信玄さん、


死んでしまったんです。


「なぬ!」って声がでそうな出来事ですが、もともと体調がすぐれなかった信玄さん。
三河に入ったあたりから血をはくようになり、こりゃヤバいと甲斐に帰ろうとしたそのとちゅう、なくなってしまうんです。

元亀(げんき)4年4月(1573年5月)。
家康がもっともおそれた男・武田信玄は、病気でこの世をさったのでした。


とてつもないラッキーです。
いや、人がなくなったことをラッキーとか言っちゃダメなんですが、家康たちにとっては、ただただ幸運。
最大の敵が病気でいなくなるんですから、ついてるとしか言えません。

このキセキをかみしめながら、次にすることは決まってます。

家康&信長「こんどはこっちの番だぁぁーーーーーー!!!」

信玄によってうばわれたものをとりもどし、武田に使ってた力をほかにまわすんですね。

家康は、三河の「奥平(おくだいら)」って武将だったり、「長篠城(ながしのじょう)」ってお城だったりをうばい返します。

信長も、仲の悪くなった将軍・足利義昭を京都から追いだし、ずっと戦っていた浅井・朝倉という大名をついにたおします。

「まってました!」といわんばかりの、家康・信長コンビの完全ふっかつ。
武田さえいなくなれば、2人にこわいものなどありません。

武田さえ……いなくなれば……。

武田勝頼「こんどはこっちの番だぁぁーーーーーー!!!」

武田、いなくなりません。


そうなんです。信玄が死んだからといって、武田がいなくなったわけじゃないんですよ。

信玄には、

武田勝頼(たけだかつより)

というむすこがいて、こんどはこの勝頼との戦いがはじまるんです。

ふたたび動き出した武田騎馬隊は、またもや家康や信長の領地(もっている土地)にこうげきをしかけてきたのでした。

では、武田がふっかつしてすぐにお伝えするのもどうかと思いますが、ここからは

『長篠・設楽原の戦い(ながしの・したらがはらのたたかい』

の話にうつりましょう。


これは、武田がほろびていく話です。


勝頼「おとせおとせおとせぇーー! 次は長篠城だぁーーー!」

信玄パパいじょうのいきおいで、家康のお城をおとしていく勝頼くん。
その勝頼くんが次に目をつけたのは、三河国の

長篠城(ながしのじょう)

ってお城でした。

このとき、長篠城の兵数は500人。
それを取りかこむ武田軍は1万5000人。

長篠城ぜってぇ負けます(兵の数はどちらも諸説(しょせつ。いろんな説)あり)。

これに対し家康は、

「もうこれいじょう、勝頼の好きかってにさせねーぞ!」

と長篠城を助けにいくじゅんびを始め、さらに、

家康「信長さん! また武田と戦うことになります! えん軍をよこしてくれませんか!」

と、信長にも助けをもとめたんです。

すると信長は、
「じゃ、オレ行くわー」
と、みずからが3万の大軍(諸説あり)をひきつれてやってきちゃう。

これでとんでもないことになりました。

1つのお城をすくう戦いが、

織田・徳川連合軍3万8000 VS 武田軍1万5000

のビックイベントに早がわりです。

勝頼「かかれーーーーー!!!!」

武田騎馬隊「ウオォォォーーーー!!!!!」

……パカラッ、パカラッ、パカラッ、パカラッ、パカラッ(馬だよ)………

信長家臣「鉄砲隊(てっぽうたい)かまえ!」

ザザ!……カチャ…

パカラッ、パカラッ、パカラッ、パカラッパカラッパカパカパカパカパカ!!!

信長家臣「はなてーーー!!!」

バババババババーーーーーーーーーン!!!!

武田騎馬隊「ヌゥワァァァーーーーー!!!!」

自まんの騎馬隊でおそいかかってくる武田軍を、かたっぱしからぶっ飛ばしていく鉄砲。

信長はこの戦いに、ハンっ…パない数の鉄砲(1000ちょう〜3000ちょう)を使ったんですが、その戦法(せんぽう)が大あたり。
せまりくる敵をひきつけてひきつけて……バーン! グォー! ヒヒーン! てなぐあいに、武田の騎馬隊をバッタバッタとたおしていったんです。

これで、武田軍はコテンパン中のコテンパン。

『長篠設楽原の戦い』

は、織田・徳川連合軍のあっとうてき勝利におわったのでした。

(こちらの『長篠設楽原の戦い』も、いろんな説がある戦いです。鉄砲の本当の数は何ちょうだったのか、どんなふうに鉄砲隊を使ったのか、武田の「騎馬隊」というけど、"隊"とよべるほど騎馬はいなかったんじゃないのか……。気になったら調べてみてくださいね。)


『長篠設楽原の戦い』は、勝頼と武田家にとってのターニングポイントでした。

武田家は、この戦いをキッカケにどんどん力をうしなっていき、『長篠設楽原の戦い』から7年後、織田信忠(おだのぶただ。信長の長男)が総大将となった軍ぜいにせめこまれ……

武田はほろびます(『甲州征伐(こうしゅうせいばつ』っていいます)。

天正10年3月(1582年4月)。
甲斐の名門(めいもん)・武田家は、織田や徳川の手により、戦国のぶたいからすがたを消したのでした。


つづく。



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