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戦国時代の能登半島 ~支配者が変わる動乱期~

戦国時代の能登半島は、他の地域と同じように戦乱に巻き込まれていました。
室町時代以降の支配者の権威が落ち、内乱や外敵の脅威にさらされることになります。
能登半島がどう戦国時代を過ごし、変化していったのか?
今回は戦国時代の能登半島に、焦点を当てたいと思います。


戦国時代の能登国の範囲

戦国時代において能登国の範囲は現在の石川県北部、つまり能登半島のことです。
金沢など石川県南部は加賀国でした。
今回は能登半島の出来事に絞って、話を進めていきます。

能登の支配者たち

能登半島を支配した大名は主に2つの家。
前半が「能登畠山家」で、後半が「前田家」です。
短期間支配した大名は他にも存在しますが、大きな影響を与えたのはこの2つの家です。
詳しく解説します。

能登畠山家

能登畠山家は能登の発展に大きく貢献した大名家です。
室町幕府以降、能登半島を治めました。

5代目「慶致」のころに七尾城を拠点にしたことで、七尾の町が大きく発展。
7代目「義総」のころに最盛期を迎えます。
七尾の町は「小京都」と呼ばれ、京都から公家や文化人が多く訪れ発展しました。

能登畠山家は、今につながる能登の基礎を築いたと言えるでしょう。

しかし能登畠山家の統治に陰りが見え始めます。
8代目から10代目は重臣たちと関係悪化。
実権が当主と重臣集団「畠山七人衆」の間で、奪い合いになります。
どちらが実権を握っているか定かでない中、11代目の「義隆」が13歳で当主になります。

この先は二つの説があります。
11代目「義隆」が生きている説
11代目「義隆」が家臣に暗殺されている説。

今回は暗殺された説で話を進めます。

家督は幼い「畠山春王丸」が継ぎますが、家臣たちの操り人形でした。
さらにこのころ、上杉謙信が能登に侵攻。
堅ろうな七尾城で1年以上籠城します。(七尾城の戦い)
しかし場内で疫病がまん延。
わずか5歳の当主・畠山春王丸も病死します。
最終的に家臣の一部が裏切り落城。
能登畠山家は滅亡します。

ちなみに11代目「義隆」が生きている説では義隆が病死。
春王丸は謙信の養子になっています。

その後能登は、上杉家の支配下になります。
しかし能登畠山家の旧臣が反逆し上杉家追放。
織田信長の支配下に入る道を選び、前田利家が統治することになります。

能登畠山家の家紋

前田家

前田家は能登畠山家が滅亡後、江戸時代にかけて能登を統治しました。
加賀国と越前国と合わせ、現在の北陸地方の発展に貢献しました。

前田利家は織田信長から能登を与えられると、最初は七尾城を拠点とします。
しかしより海に近い小丸山城築城し、拠点を移します。

このころ本能寺の変が発生。
織田家中は分裂し、羽柴秀吉と柴田勝家と対立につながります。

利家は当初、恩のある柴田側についていました。
しかしのちに羽柴側にくら替え。
この判断もあり羽柴秀吉が勝利したため、前田家は加賀二郡が加増されます。
加増にともない利家は金沢城に拠点を移し、七尾城は兄の「安勝」が城主となります。

これで能登に平和が訪れたかと思いますが、そうはいきません。
越中(現在の富山県)を治めていた、佐々成政が能登に侵攻。
「末森城の戦い」が起きます。
この戦いに勝利した利家はその後、上杉・豊臣の協力で佐々家降伏させます。
能登を守り切った利家は、その後加賀・越前・能登の三国を支配。
北陸地方の繁栄に貢献しました。

前田家の家紋

能登半島の城 七尾城

七尾城は能登畠山家が築城した城です。
上杉謙信の侵攻を1年も耐えたことで、堅ろうな城として有名。

JR七尾駅から車で15分。
標高約300mの山頂にあり、現在は石垣が残るのみです。
七尾の地名由来になった、七つの尾根筋を中心に多数の曲があったとされています。
本丸跡からは市街地と七尾湾が良く見えるそうです。

令和6年能登半島地震で被災し、石垣が崩落。
現在は立ち入り禁止です。(2024年3/19日時点)

七尾城跡

能登半島で起こった戦

能登半島で起こった戦で有名なものは2つ。
「七尾城の戦い」と「末森城の戦い」です。
ここではこの2つの戦いを、簡単に紹介します。

七尾城の戦い

七尾城の戦いは、畠山春王丸VS上杉謙信の戦いです。(春王丸は傀儡ですが……)

戦いが起きる前から、能登の情勢は不安定でした。
能登畠山家の当主が「畠山七人衆」と呼ばれる、重臣たちの操り人形となっていたためです。
さらに隣の加賀国では一向一揆が、織田信長と戦をしていました。
織田家に苦戦した一向一揆は、越後(現在の新潟県)の上杉謙信に助けを求めます。

これに応じた謙信が出陣。
越中(現在の富山県)を平定し能登に近づきます。
これに対しどう対処するか、能登畠山家の内部は意見がまとまりません。

能登畠山家を無視できない謙信が、能登に侵攻開始。
なぜなら能登畠山家を無視すると、最悪な状況になる可能性があるためです。
能登畠山家を無視して加賀に侵攻した場合、能登畠山家が敵になると背後から攻められ逃げ場がなくなるのです。

能登畠山家は七尾城に籠城します。
苦戦を強いられますが、上杉家が関東で侵攻を受けたという情報が入ります。
この対応のため、謙信は撤退。
しかし家臣の軍は残っており、能登畠山家は奪われた支城の奪還にかかります。

数か月後、謙信が再び出陣。
能登畠山家はまたも籠城しか手がなくなります。(謙信が強すぎるため)
しかし城内で疫病がまん延。
当主の春王丸も病死します。
これに耐え切れなくなった一部の家臣の裏切りにより、七尾城は落城します。

WIN:上杉謙信 LOSE:能登畠山家

「末森城の戦い」

末森城の戦いは、前田利家VS佐々成政の戦いです。
秀吉に従っていた利家が遠征中に、越中の佐々成政が侵攻。
成政は能登の要所である「末森城」を包囲。

この危機を知った利家は、金沢城に戻り2,500人と共に能登へ出陣します。
佐々軍15,000人を背後から奇襲し、勝利します。

WIN:前田利家 LOSE:佐々成政 

まとめ

能登半島は戦国時代に大きな変化がありました。
それまで治めていた能登畠山家が滅び、前田家が治めるようになったためです。
動乱に巻き込まれた能登半島。
その後、江戸時代に入ると大きな繁栄を遂げます。
動乱を乗り越える力が、能登半島にはあるのです。

参考:七尾市ホームページ 国指定史跡 七尾城跡
参考:七尾市ホームページ 史跡七尾城跡


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