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専業主夫の49歳が精神科病院に入院したときの話(8)マシンガンに敗れる

専業主夫の薄衣(うすい)です。


こちらでは、私が精神科病院に入院したときの話を綴っています。

初めて精神科に行った日、その日が入院日になりました。

前回の入院日記はこちら。


この部屋に移ったとき、先生から許可を得てペンとノートを購入。

初めの頃は解錠時間が1日2時間程度だったので、多くの時間を病室で過ごしました。本などの持ち込みもまだ出来なかったので、病室にいるときは日記のような備忘録的な記録をつけたり、自分自身を振り返ってそれを書いたりしていました。


今を知る

主治医の先生に、
10日後に控えた息子の健診に
立ち会えるかどうか聞いてみました。
答えはもちろんNO。

焦らず、ゆっくりやっていきましょう
とのこと。

私としては別に焦っているつもりもなく、
もしかしたらと思って聞いてみたのですが
無理でした。

今まで何度か書いていますが、
私は勝手に数日で退院できると
思っていたのです。

それが日が経つにつれ、
雲行きが怪しくなってきていました。
先が見えなくなっていたのだと思います。


先のことを考えると、
この頃は希望よりも不安の圧勝です。

しかもこの時の私は、
出来ないことばかりを考えて
不安を募らせていました。

なので私は、

今に集中する」ことにしました。

今の自分の状態、
身体に起きていることを知ること。
それを受け入れること。

まず

今の己を知る】

ことから始めようと思ったのです。

それまでの私は、
何をしていてもすぐに次のことを考え、
今に集中する」のが苦手でした。
本を読んでいても、家事をしていても、
仕事の時もそうでした。

今、目の前にあることではなく、
終わったら次どうしよう
みたいなことをよく考えていたような。

全然今に集中してこなかったんだと、
入院中思い知りました。


そんな時、病棟のロビーで
私に声をかけてきた方がいました。

私の隣室の患者さん、
丸さん(ニックネームで仮名)です。


今と先のせめぎ合い

丸さんはとにかく世話好きな元看護師
隔離から出てきたばかりの私に、
色々と教えてくれようとします。

紙とペンを持ってきて、
「これに書いてなんでも説明してあげる」
と言われたものの、
私は知りたいことが何も無かったので
ご厚意は感謝しつつも正直困りました。

「これからのこと、何か心配は無い?」

とも聞かれましたが、
精神科受診経験もないまま入院した私は、
この先何があるのかも分かりません。

また、今に集中することにしていたので
「特にありません」
と答えたのですが、
それが彼女を心配させたらしく、
結局丸さんご自身の話、
病棟内のことなんかを
とっても長~い時間話されました。

疲れたら言ってと言われたのですが、
私が口を挟む余地がありませんでした。
マシンガントークですね。

病棟内には様々な病気の方がいること、
知的障害を持つ方もいること、
看護師や患者間のトラブルのことなど、
概ねあまりいい話ではなかったので、
疲れました

週刊誌を読み聞かせ

されているような
病棟内のややこしい話でした。

なんであの人は
あんなことまで知ってたんだろう、
と今でも思います。


また、この先退院までの道のりについて。
病室の解錠時間が増えていき、
いずれ24時間フリーになり、
病棟から一定時間外出できるようになり、
個室から多床室に移ってから
退院となること。

その前に医師、看護師、ケアマネージャー、
居住地の役所の担当者等が入るケア会議を行うことなど、
こと細かに教えて貰いました。


ただ、
この時の私には情報量と刺激が多すぎ、
消化しきれませんでした。

マシンガンで蜂の巣になり、
繰り返しますが疲れました


先のことを教えて頂いたことで、
かえって私は不安を募らせます。

疲労困憊で部屋に戻り、
解錠時間が短いことに感謝しました。


聞いていると、
丸さん自身がとてつもない不安を
持っていると感じました。

この先のこと。今のこと。

だから改めて、

今の自分に出来ることは今に集中すること

だと思った次第です。

丸さんのご教示タイム。
ご親切には感謝なのですが、
この時の私には強すぎました。



振り返ると

今思えば、
数日で退院できるはずのない状態でした。
看護師や患者さん達と少し話しただけ、
たったそれだけで
ドキドキしたり汗が出てきたり
していたのです。

この頃から、感情が剥き出しと言いますか、
チョットした刺激が
心臓のバクバクだったり汗だったり
という症状に直結してきます。
そしてそれを自分自身で気がつくようになっていました。

そもそも、
精神科というものを
私は全然知りませんでした。

予備知識も受診経験も無かったからです。
初めて家族が連れて行ってくれた日に、
即入院。

良い意味でも、悪い意味でも無知でしたね。
だからすぐに退院できると
思っていたわけですが、
うつ病の治療は
そういうものではなかったようです。

病棟内の皆さん、
本当におひとりおひとりの
キャラが立っていました。
今回登場した丸さん、上記はその片鱗です。
この方のパンチはなかなかでした。


ほかにも、みんなが集うロビーに行くと
親切に声をかけてくださる方、
無言だけどいつも近くに来る方、
食事の時しか見ない方、
いつも歩き回っている方など。
思い起こすと懐かしくもあります。


この頃は、ロビーに出て刺激を受けつつ
施錠時間に部屋に戻ってリラックス。
これを繰り返して
自分の身体の反応をチェックする毎日でした。

独房にいた数日間、
あらゆる刺激を取り除かれていました。
そこから出て、
ほんの少しコミュニケーションを
とっただけなのですが、
私には強い刺激だったのだと思います。


今回も最後までお読みくださり
ありがとうございました。

続きます。


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