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  • 正信偈講座(月2回更新)

    詳しくは「正信偈講座 概略」をお読みください。

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正信偈14「弥陀仏本願念仏 邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯」

正信偈 14 弥陀仏本願念仏 邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯 凡夫が助かることよりも難しいことはこの世にありません。凡夫とはあなたです。私です。邪見(ジャケン)・驕慢(キョウマン)の悪衆生、ただの衆生ではありません。悪の衆生。文字面だけでもう恐ろしいですね。「邪見」とは、独りよがりなモノの見方です。あみだの仏さまが助けると言っているのにそれを疑う、自分の道理をもって疑う、素直に受け入れることのできないことが邪見です。日常生活でもどうでしょうか。それぞ

    • 法話: 仏心(ぶっしん)、親心 [8分]

      法話

      • 正信偈講座13 「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願仏言広大勝解者 是人名分陀利華」

        正信偈 13 一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華 南無阿弥陀仏を言うことは、南無阿弥陀仏を聞くことです。自分の口で言いながら、そのまま自分の耳に入ってくる。自分の声を聞きながら、あみだの仏さまのはたらきを聞く。言い換えれば、あみだの仏さまが私の声を通して、そのはたらきを聞かせてくださっている。南無阿弥陀仏と自分で言っているように思いますが、その実はあみだの仏さまが言っているのですね。自分で南無阿弥陀仏と言おうとしたときには、既にあみだの仏さ

        • 正信偈12 「獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣」

          正信偈12 獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣 私たちが日々、迷いの世界を巡っていることを輪廻(リンネ)と言います。六道輪廻(ロクドウリンネ)と言ったときには六道、つまり、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の6つの世界を表し、五悪趣(ゴアクシュ)と言ったときには六道から修羅を抜いた、地獄、餓鬼、畜生、人、天の5つの世界のことを指します。この世界は全て迷いの世界です。未来に、死後に行く世界ではありません。今いる世界です。今この瞬間、これらの世界を巡ることを輪廻と言います。

        正信偈14「弥陀仏本願念仏 邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯」

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          正信偈11 「摂取心光常照護 已能雖破無明闇貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」

          正信偈 11 摂取心光常照護 已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 あみだの仏さまの光は私たちを照らしたり照らさなかったりする光ではありません。いつ照らすかというと、まさに今、そしてこれからもずっとです。オンオフせずに常に照らし続ける光です。この光が届いたからこそ、私たちはお助けされます。他のどの仏にも助けられなかった、永遠の闇に安住していたあなたに差し込んだ光があみだの仏さまの光です。その光によって、永遠の闇は破られました。

          正信偈11 「摂取心光常照護 已能雖破無明闇貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」

          正信偈10 「凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味」

          正信偈 10 凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味 川の流れは様々です。急いで海に向かわんとするがごとく流れの速い川、穏やかにゆったりと流れる川、何度も湾曲を繰り返し遠回りするかのような川、まっすぐ海に向かう川、どの川も、その最後には海にたどり着きます。どんな川でも受け入れてしまうのが海であります。川のときには真に交わることのなかった川同士も、ひとたび海に入れば同じ海となります。仏は海です。私たちは川です。私たちの流れゆくその先は仏の海に繋がっており、ひとたび海に入れば、大

          正信偈10 「凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味」

          正信偈9 「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」

          正信偈 9 能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 心というのは、目に見えるものではありません。ですから、信心といっても、目には見えません。信心があるとかないとか言いますが、ちゃんと考えたいならば、信心とはいったい何か、心の状態のことなのか、そもそも心とは何か、初めから考えていかねばなりません。 「信心がある」というのは、一種の状態をあらわす言葉です。例えば、私たちは普段から「いのちがある」という言い方をしますが、「いのち」というものの実体は無いですね。「生命活動をしてい

          正信偈9 「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」

          正信偈8 「如来所以興出世 唯説弥陀本願海五濁悪時群生海 応信如来如実言」

          正信偈 8 如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言 仏教は、約2500年前に、今のインド・ネパールの辺りで、お釈迦(オシャカ)さまから始まりました。お釈迦さまも、ゴーダマシッタールダ・釈尊・釈迦如来など、いろいろな名前があります。正しく言えば、お釈迦さまがお生まれになる以前から、仏の教え・真実の悟りというのは存在していましたが、人間の姿で初めて仏教を世に知らしめたのがお釈迦さまということです。人間の発生より前から空気中に酸素はあったはずです

          正信偈8 「如来所以興出世 唯説弥陀本願海五濁悪時群生海 応信如来如実言」

          正信偈7 「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」

          正信偈 7 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就 浄土に往生する人は仏となります。煩悩を抱えた人間のままでは浄土へ往きません。あみだの仏さまにお助けされて、自分もまた、極悪人を助ける仏となるのが親鸞聖人のお示しです。あなたの親しかった方も、今は仏となって、あなたを導いているってことですね。 仏となることを「さとりを開く」とも言いますが、さとりのことを、等覚(トウガク)だったり大涅槃(ダイネハン)だったり色々な呼び方をします。私たちが浄土でさとりを開いて仏となることは

          正信偈7 「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」

          輪廻転生流しそうめん あみださんの前で流れて掴み取られて

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          正信偈講座6 「本願名号正定業 至心信楽願為因」

          正信偈 6 本願名号正定業 至心信楽願為因 法蔵菩薩が仏になるにあたって建てた48個の約束を四十八願と言いました。その中でも、18番目、第十八願と呼ばれるものが、法蔵菩薩の最も大切な願いです。これを本願と言います。 「(十八)わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗(ソシ)るものだけは除かれます。

          正信偈講座6 「本願名号正定業 至心信楽願為因」

          正信偈講座5 「普放無量無辺光 無碍無対光炎王 清浄歓喜智慧光 不断難思無称光 超日月光照塵刹 一切群生蒙光照」

          正信偈 5 普放無量無辺光 無碍無対光炎王 清浄歓喜智慧光 不断難思無称光 超日月光照塵刹 一切群生蒙光照 あみだの仏さまにはいくつも名前がありますが、その中でも、光にちなんだ名前が多くあります。無量光・無辺光・無礙光・無対光・炎王光・清浄光・歓喜光・智慧光・不断光・難思光・無称光・超日月光という名前を十二光(ジュウニコウ)と言います。「名は体をあらわす」という言葉がありますが、あみだの仏さまは名前がそのまま体、本体である仏さまです。理屈で考えても理解しがたいことで

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          正信偈講座4 「五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方」

          正信偈4 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方 極悪人を必ず助けると誓いを起こした法蔵菩薩は、非常に長い時間、考えごとをしました。必ず助けようと誓ったが、一体どのようにすれば極悪人を助けられるのか、簡単に答えが出なかったからです。この考えごとをした時間を五劫(ゴコウ)と言います。劫と言うのは時間の単位です。時とか分とか秒とかと同じ単位ですが、劫は私たちの考えが及ばないくらい長い時間です。 お経の中に例え話があります。この世界のどんな山よりも大きい岩山が1つあります。1

          正信偈講座4 「五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方」

          正信偈講座3 「覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪建立無上殊勝願 超発希有大弘誓」

          正信偈3 2023年10月26日 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪 建立無上殊勝願 超発希有大弘誓 法蔵菩薩は、師匠である世自在王仏のもとで、それまでの仏さまがたの浄土がどうやってできたか、その浄土にはどんな人がいるのかをよくよくご覧になられました。そうすると、今までの浄土では、助からない人たちがいることが分かります。極悪人の行くところが無いのです。そして、この極悪人とは、あなたのことです。あなたが行ける浄土はどこを探してもありません。 そこで、法蔵菩薩は願いを建て

          正信偈講座3 「覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪建立無上殊勝願 超発希有大弘誓」

          正信偈講座2 「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所]

          正信偈2 2023年10月12日 法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 阿弥陀如来、あみだの仏さまは、初めから仏だったわけではありません。仏というのは位(くらい)でありまして、順序を経て仏となるのです。分かりやすく言えば、仏の階段のようなものがあるとして、修行をして、悟りというものを完成させながら、順に階段をのぼります。一番上まで行けば、悟りが完成して仏になります。この、言わば、「悟りの階段」は、52段あります。修行をしていない私たちを0段目として、52段目が仏の位、その1

          正信偈講座2 「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所]

          正信偈講座1 「帰命無量寿如来 南無不可思議光」

          正信偈1 2023年9月28日 「帰命無量寿如来」「南無不可思議光」「南無阿弥陀仏」、この3つはどれも同じ意味です。 お経はインドから中東・中国・韓国を通じて日本に伝わりました。ですので、元々を考えると、漢字で書いてあったわけではありません。昔のインドの言葉(サンスクリッド語)で書かれたお経が最初にあります。 その中で、「namo(ナーモ)」という言葉は、「自分自身を誰かに任せていく」という意味です。これを音のままに訳したのが「南無(なも)」、意味から訳したのが「帰命

          正信偈講座1 「帰命無量寿如来 南無不可思議光」