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優しい先生って、ダメなの?小児精神科医との出会いを通して、「子どもの心を守る」ケア的な関わりのできる先生に変容したベテラン教員の今

大分県別府市の公立小学校で教員をしている松永さんは、その道一筋で子どもたちに向き合ってきたベテラン教員だ。

教員歴35年のキャリアを振り返ると、子どもたちが言うことを聞かない状態に対応できず、自身の心の健康を崩してしまったことや、職場における「先生とはこうあるべき」という価値観ギャップに悩み、葛藤する苦しい日々もあった。

それでもなお教員を続けてこられたのは、精神医学の「心を守る」理論に出会えたからだ。多様性あふれる中で、どの子も安心して学校に来られる教室を目指し実践することの難しさと、手ごたえを感じている。そして、そのことが自身の成長にもつながっているという。

学びの場作りに日々挑んでいる松永さんの、教育現場との向き合い方や、子どもを取り巻くさまざまな課題に対して精神医学の視点から学んできた軌跡について、話を聞いた。


卒業式で流した、あの苦しい涙を忘れない

——松永さんは、教員をしながら、子どもの個性に寄り添う関係者の会「ひとりからの会」の代表として長年活動されているそうですね。「ひとりからの会」は、どのような活動なのでしょうか?

「ひとりからの会」は、子どもを取り巻くさまざまな問題を理解するために、文字通り私が1人で始めたものです。

「子どもの心を守り、大人の心も守る」というコンセプトに共鳴してくださった小児精神科医の三ケ田智弘ドクターをスーパーバイザーとしてお迎えできるようになって、活動が本格的になりました。

2012年から、「子どもの個性に寄り添う教育関係者の会」として年3回ほど勉強会をしています。そこでは、参加者が現場で感じているさまざまな問題について質問し、それをまとめて、精神医学の見地からアドバイスをいただいたり、脳科学やトラウマなどの知識や理論、そして実践的なスキルを教えていただいたりしています。参加者の全員が深く学び合えるこの場は、お陰様で2022年に10周年を迎えました。

——「ひとりからの会」を立ち上げられた背景は何だったのでしょうか?

真面目で頑張っている先生ほど、心の元気がなくなってしまいがちな状況を残念に思い、なんとかしたいと思ったからです。これには、私自身の経験が大きく影響しています。

私の教員としてのキャリアは、中学校の美術科教諭からスタートしました。担任として中学2年生と、そのまま持ちあがりの3年生を受け持ちました。2年目のクラスはかなり元気の良い生徒が多く、彼らときちんと向き合うことができず、理解することもできませんでした。

前に立ってはいるものの、トップダウンで指示を伝えるだけ。当然生徒も距離を置きますよね。今振り返ると、あのときの状況を言語化できるのですが、その渦中にいた当時の自分はどうしてよいのかまるで分からない、本当に苦悩の連続でした。経験も浅く、学級運営も何もかも、うまくいっていなかったです。生徒の声を聞く余裕なんてまるでありませんでした。

私はいわゆる「優しい先生」だったので、職場の先輩からは「松永さんは優しいから子どもたちになめられる、それで収拾がつかない状態になってしまうんですよ」と言われることが多々ありました。

うまく場を収めるには、私ももっと叱る先生になるべきなのだろうか?そう思いながらも、一方では「 優しくすることはなぜいけないのだろうか?一方的な接し方で果たしてよいのだろうか?」という疑問が、ずっと心の奥底にありました。

一番良くないと感じたのは、子どもが何も話さなくなったことです。雑談も含め、ほとんど子どもたちが本音で話さない教室になってしまいました。

30人もいれば、いろんなハプニングが起こるのは当然なのですが、その時は、ハプニングを良しとできなかったというか、はみ出す子どもたちをどう解釈していいのか分からなかったんですね。それならば、まずは勉強することから始めようと思い、立ち上げたのが「ひとりからの会」です。

子どもたちとまっすぐ向き合う松永さんの授業の様子

——周囲から求められる教員像と、自分が大切にしたい教員像に乖離があったのですね。

あの頃は鎧を着ていたような感じでしたね。素の自分を出せなくてとても苦しかったです。

中学校勤務の最後の年、私は26歳で、受験を控えた3年生を担任していました。校則もそれなりに厳しい学校だったので、きちんとさせないといけない、それには優しくあってはいけない。そんな思いに駆られて、1年間を通して毎日毎日子どもたちをたくさん怒っていました。私は「怖い先生」になったんです。

でも、そうして迎えた卒業式の日。私は息もできないくらいに涙が止まらなくなってしまいました。なぜなら、その1年間を振り返ってみると、生徒たちを怒ったことしか思い出せなかったからです。子どもの笑顔をもらえない別れって何なんだろう、私は何をやってきたんだろうと思いましたね。それが辛かったです。

卒業式の最後に、生徒が花束とドッグフードをプレゼントしてくれました。なぜドッグフードかというと、卒業間近に教室の外に子犬が捨てられていて、しばらくは給食を子どもたちが食べさせながら飼っていたのですが、最終的に私が引き取ったという経緯があったからです。

私が犬を引き取ることを決めたとき、生徒たちが「この犬、松永先生にやられるぞ」と言っていました。それぐらい、私が怖かったということなんです(苦笑)。いつの間にか私は、全く笑わない先生になっていました。

最後にもらったドッグフードには、「先生、かわいい子犬を大事に育ててくださいね」というシンプルなメッセージが託されていました。

当時の私は、強い上司に求められるまま、必死に厳格な先生になろうとしていました。テストの点数を上げるとか、制服に関する校則は絶対に守らせるとか、受験に必ず合格するようになどの指導は徹底してやりましたけれど、雑談したり、笑ったり、失敗をゆるしたりする余裕をすっかり失くしていました。人間として大事なのは、そうしたことなのに...。

そのことに、子どもたちから気づかされた卒業式でした。

涙が止まらなかったあのときの思いを、もう二度としたくない。生徒たちと、普通にいろんな話をしたい。笑顔で関わりたいと強く思ったんですね。胸を張って自然に子どもと接することができるようになるまでにはかなりの時間がかかりました。

この当たり前に至るまでに、私の場合、苦い経験と試行錯誤と知識の習得が必要だったのだろうと思います。

精神医学とファシリテーションを掛け合わせたアプローチ

——子どもたちの個性に向き合うにあたり、精神医学に着眼点を置いたのはどうしてですか?

市の教職員向けの研修会で出会った小児精神科医・三ケ田ドクターの「日本の学校は、アカデミックな教育は行うけれど、幸せになる方法は教えてくれない」という一言に衝撃を受けたことがきっかけでした。

もっと話をお聞きしたいと思って連絡し、ご縁もあって「ひとりからの会」のスーパーバイザーをお引き受けいただきました。

精神医学の視点からいろいろな事象を見てみると、全てのことがすーっとつながる感覚がありました。三ケ田ドクターからは、こんな言葉をいただきました。

例えば、

・言葉には心を込めないと、その意味は伝わりません
・問題を解決する方法を教えましょう
・一緒によい時間をつくりましょう
・許すことの美しさを伝えましょう
・「まぁいっか」を覚えましょう

などです。

行き渋り・不登校・ひきこもりになる手前の子どもたちとの関わり方についての問題を、小児精神科医の視点からアドバイスしていただいたのです。

子どもの心を大切に守る関わり方は、どれもシンプルでごく当たり前のようなことなのですが、医療現場で実際に使われている知識であると聞くと、ずっしり腹落ちします。

医療者も学校の先生も親も、皆同じ、子どもに関わる大人ですから、「子どもの心を守る」関わりは、誰もが意識していいことですよね。医療現場の方々がしているように、私たち教育関係者も日々子どもの心と関わっているというプロ意識を持つ、このスタンスを広げたいなと思っているのです。

小児精神科医の視点から、教室で生かせる
具体的なアドバイスや知識が得られる「ひとりからの会」

——教育現場を小学校に移してからも、子どもたちの多様な個性に四苦八苦したご経験があったとか?

最近受け持った学級も、とにかく皆元気が良くてドラマの多い学級でした。新年度が始まったばかりの頃は、子どもたちの大人に対する不信感が強く、何か敵対視されているように感じました。

苦しい日々が続きましたが、今回はホワイトボードミーティング®︎のファシリテーションスキルを活用してみようと思いました。

ファシリテーションとは、その場にいる全員で対話しながら合意形成を進めるスキルです。このスキルは聞き上手になることが原点にあるので、とにかく徹底して子どもたちの声を聞こうと決めました。

何か問題があればすぐに子どもたちに「どうしたのかな?」と話を聞き、「どうなったらいいと思う?先生にしてもらいたいことは?」と問いかけ、子どもたち自身に考えてもらいながら、一緒に問題を解決していく。それを、毎日毎日積み重ねていきました。

5ヶ月ほど経った頃から「この先生は敵じゃないんだな」という雰囲気に変わり、3学期には素直に対話できる、子ども同士も真面目に話し合えるといった健全なエネルギーが満ちていました。

子どもたち同士が多様性を認め合えるようになっていったことが、本当にうれしかったですね。

——これまで、何度も難しい学級を担任され、その度に真摯に子どもたちと向き合ってきた松永さんですが、心が折れそうになったことはありませんでしたか?

私自身は、根はポジティブで物事をあまり悲観的に感じないタイプなんです。いろんな物事に対して楽観的で、心も元気な方だと思います。学校でも何かトラブルが発生したら、その問題をプロジェクト化して乗り越えようとします。何があっても、「よし何とかするぞ!」と。そこで「どうしたらいいんだろう」としぶとく考えてよく工夫するようになりました。

子どもたちと向き合って、どんなに難しい状況でもハッピーエンドをつくると強く決めるんですね。そうして作戦を立て、日々努力し実践を積み重ねて子どもたちとゴールに向かっていくんです。日々の学びがあって、成長の実感があれば、最後には幸福感や感謝の気持ちに包まれます。

むしろそれよりも苦しかったのは、「こうじゃないといけない」というような価値観です。厳しくすることを求められることは今もよくあります。けれど、よくよく考えて、子どもを責めても何の解決にもならないだろうと思い返すのです。

子どもたちと戦うために学校の先生になったわけではなく、子どもが好きで学校の先生になったのだから、必要以上に怒りたくないんですよね。 優しいことは、悪いことではありませんよね。

文科省が示す生徒指導の基本書・生徒指導提要が新しくなり、教職員に必要な能力としてファシリテーション力が掲げられるようになりました。今なら、「優しさは絶対に大事だ」と胸を張って言えます。

優しくするというのは、言い換えると、ケア的な関わりをするということです。学校現場も、子どもたちのトラウマや攻撃性と向き合うために、子どもたちの声を聞きケア的な関わりをした方が効果的だという風潮に変わってきています。

大人の心も子どもの心も守る。双方共が健全な状態にある。それが、教室の善し悪しを判断する基準ではないでしょうか。

糸電話を作って遊んでいるときの様子
子どもたち同士が心を通わせていく姿を見るのがうれしいと語る松永さん

教室で子どもたちの笑顔を見ることが、私の幸せ

——子どもたちと対話して、しっかりコミュニケーションを取って、信頼関係を築いていくスタイルを大切にしていることが伝わってきます。松永さんが、子どもたちと対話をする上で一番大切にしていることは何ですか?

対話する上で大切にしていることは、「人間皆同じ」というスタンスです。

2018年に教育視察に行ったデンマークでは、大人が子どもの上に立っていない。対等な人間として、子どもに意見を聞き、選択してもらっていました。

宿題はなく、ランク付けも禁止の国なので、日本の真逆です。ここから幸せな学校の在り方について学ぶ価値はあると思います。

私と子どもたちは、40歳以上も歳が離れています。でも同じ人間として、子どもとどれだけ真正面から真剣に話すことができるのかが一番大切だと思っています。

それができると、子どもたちが見ている世界を知れるようになるんですね。大人の私が見る世界が絶対正しいわけではありません。予測不可能な現代社会においては、子どもが見る世界を大人が学ばないといけないこともたくさんありますよね。

ときどき、悪ふざけし過ぎている子どもたちにきつく注意したときなどは、子どもたちが書く振り返り日誌に「先生、怒りすぎですよ。子どもなんだから、悪いことをするときだってあります」と訴えてきたり、「どうしたらいいか、一緒に考えましょう」と提案してくる子がいたりします。

子どもは嘘のないフィードバックをくれるありがたい存在です。

——とてもいい関係ですね。

子どもたちとのそんな日々が、やっぱり楽しいのだと思います。結局、子どもが好きで先生になったので、単純にその気持ちを忘れないでいたいです。

今は「子どもたちにとって不快でない授業」を目指して努力しています。人数が少なくても、前に立つというのは、場を支配することになるので、その任された空間を少しでも嫌じゃない時間にしたいなと思っています。

「今、私がしていることは、幸せな時間を提供することにつながっているだろうか?」ということはよく考えます。

失敗することもあるけれど、子どもたちが楽しそうに集中して活動している光景を見ると、ほっとします。それが私の幸せにつながっているんですね。そんな幸せな時間を作るために、努力して準備しています。実際は毎日時間がなくて、苦しんでいますが。

——最後に、これからどんなことに取り組んでいきたいかお聞かせください。

ちょうど今、学校現場には「主体的対話的な学び」や「ファシリテーション」といったアプローチがどんどん入ってきています。

国が進めようとしている令和の日本型学校教育のビジョンは、私が高校の頃からずっと学んできているファシリテーションと、「ひとりからの会」で得た精神医学の理論と重なります。

退職までの残り7年の間で、学校現場に子どもが学びの主体となるファシリテーション文化を広げ、子どもと教員が安心して学べる教室づくりを、試行錯誤して追究していきたいと思っています。

子どもと大人・子ども同士の対話がちゃんと成り立っていることがとても大事。子どもたちがお互いに仲良くなって、安心して楽しく過ごすこともできるし、真面目な対話もできるのは最高レベルの教室なのではないでしょうか。

そのためにも、まずは私自身を幸せに。自分のコンディションを整える最低限の努力は続けないといけないと感じています。持続可能な心のエネルギーの循環を生み出せる教室が作れるように、これからも楽しく工夫していきたいと思います。