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日中戦争開始で皮革利用制限が導入され「靴の代わりに下駄を履け」と言ったところ、同調圧力強すぎて(´・ω・`)

 お正月で、和服で着飾った女性がきれいな駒下駄などを履いているのをみかけますが、さて、1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまり、当初見込みと違って中国が徹底抗戦を叫んで長期化し始めたことから、1938(昭和13)年6月、政府は軍需物資確保のため「物資動員計画」を発表。国の資源を戦争に集中させる狙いで、さまざまな素材の使用を制限し、皮革も対象になりました。

 これを受けた動きを当時の信濃毎日新聞から拾うと、長野県内の中等学校では革靴使用の服装を改め、下駄の利用を許可する動きが活発になったようです。記事を一つ紹介しますと
 女学生の登校に下駄履きを決定 上田高女率先実施=1938(昭和13)年6月24日付朝刊
 「上田高等女学校では早くも軍需資源としての皮革製品使用制限の国策に準じて女学生の登校には下駄使用を認める事に方針を決定した(以下略)」
とありました。

 さて、これで活気づいたのが、下駄の産地である長野県西筑摩郡(現・木曽郡)木祖村です。
 ねずこ下駄当たる 靴代用で注文殺到=1938(昭和13)年7月3日付朝刊
 「木曽五木の『ねずこ材』を原料として独特の着色を施して都会向きの下駄を製作してヒットした木祖村下駄加工農事実行組合は(中略)昨年から東京の松屋と一手販売の契約を結び来ったが、更に今回の皮革管理で機を見るに敏な松屋から突然中学生用の通学下駄十種類並びに海浜用サンダル等、制限なしに注文が舞い込み、組合では既設能力では応じきれぬため急きょ拡張計画を立て準備に悩殺されている(以下略)」

 同じ年の12月の松屋通販カタログを見ますと、写真入りでありました。

ねずこの下駄
「古代履・ネヅコ材に蒔絵の優雅なぢか履」と宣伝

 また、三越でも成人の普段履き用に「モダン履」と称した下駄を、同じ1938(昭和13)年、防空用品なども並んだ10月1日発行の通販カタログで紹介しています。

防空用品も掲載された三越の通販カタログ
男子用モダン履、女性向けのシューズ型モダン履、などを駒下駄と並べて売り込み

 1938年の下駄需要の急増に、国は大慌て。次のように、熱気を押さえようとします。
 今度は“下駄履き”ご法度 宣伝が利き過ぎて木材消費が多すぎる=1938(昭和13)年8月14日付朝刊
 「文部省が出した『下駄履け』通牒が利き過ぎて全国の小学校や中学校はほとんど全員下駄登校という有様となり、現在持っている靴を捨てて顧みず『それ下駄を買え―』となったため下駄の値段が暴騰。かえって重要物資たる木材の消費節約の国策に反する結果となったので、商工省ではこうした行き過ぎを是正して本来の軌道に載せる為、まず国民に『手持ちの靴を履け!』という宣伝を行うことになり(中略)生活改善委員会にも下駄を履け宣伝の中止方を申し入れることになった」

 同調圧力お役所仕事は、今も変わらないようですが…
 みんな、落ち着いて考えようよ(泣)
           ◇
 
ちなみに、下駄の需要は政府の呼び掛けにかかわらず、1941(昭和16)年まで右肩上がりで伸びていきます。が、これは民需用の革靴が次第に姿を消していって、今度は本当に下駄しか履けなくなり、ついに下駄も底をついてきたという、悲しい現象なのでしょう。履物もままならないまま、太平洋戦争に突入していくのです。

 関係ないですが、ねずこの下駄は、本当に良い色合いでお奨めです。

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