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煙草「ゴールデンバット」の変化に見る戦時下の雰囲気ー頼りは、やはり間接税

 ゴールデンバットというたばこをご存じでしょうか。1906(明治39)年の発売以来、戦時中も途切れることがなく販売が続き、つい最近まで販売が継続された長生き商品です。このため、特に10本入りの箱のパッケージの変遷を見ることで、戦時下を含めた時代の変化を実感できます。
 そこで、ゴールデンバットのパッケージをできる限り収蔵し、年代を追って並べてみました。なお、できる限り複数の情報源で調査をしているのですが調べきれないものもあり、一部、年代等詳細不明なものもありますので、ご了承ください。今後、調査が進めば内容を更新いたします。

1、ひと箱7銭の時代は1923(大正14)年11月から満州事変を経て1936(昭和11)年11月までです。金色、黒、緑の印刷で、両切りで吸い口が箱の中にセットされていました。

定価7銭。中国への輸出も意識したデザイン

2、1936(昭和11)年11月、1銭値上がりして8銭に。ただ、金色印刷やデザイン、吸い口のセットは変わりませんでした。

1936年、定価8銭に値上げ

3、日中戦争が1937(昭和12)年にはじまった翌年の1938(昭和13)年秋、経費節減、資源節約の狙いで、定価と印刷状態はそのままですが、これまでセットにして販売していた吸い口を別売りに変更し、パッケージがやや細くなりました。

吸い口セット廃止で細目に

 また、この時期は「金、緑、黒」の3色印刷を「黄、緑、黒」の3色印刷に変更することも並行して行われます。金色は銅と亜鉛の合金で表現していたのですが、いずれも軍需資源とあって廃止対象になり、金色の代わりに黄色を使うこととしたため、当時の新聞では「金粉を剥がれてイエローバット」と揶揄されています。箱の小型化、金色の廃止は設備や資材の整ったところから順次進めたもようで、こちらに示した「金色+小型パッケージ」のほか、「黄色+従来パッケージ」も存在しています。
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4、1939(昭和14)年2月22日から発売の商品。この時から、箱の小型化と「黄、緑、黒」塗装が完全に実施された箱のみになっています。

黄色と金色ではかなり印象が変わりました

5、1939(昭和14)年11月16日発売。1銭値上がりして9銭になりました。また、日中戦争の長期化で中国への輸出を意識しなくなったのか、パッケージ側面の「CIGARETTES」の表記がなくなり、両方ともゴールデンバットに。

側面の英語表記はなくなりましたが、正面はそのまま

6、1940(昭和15)年11月1日発売のゴールデンバットは、改名されて「金鵄」となり、正面のデザインが大きく変化しました。長引く日中戦争を受け、国民の精神を統一させる狙いで同年3月から始まった内務省による「外国かぶれ追放」の動きによる変更です。金鵄は神武天皇が敵と戦っていた時に飛来し、天皇の持っていた弓にとまって敵の目をくらませたとされる金のトビで、金鵄と弓の先端が描かれる一方、パッケージ正面の英語も消えて、花のようなデザインとなりました。

コウモリから金鵄に変更

 こうした変化はまず国の関係から進み、この年は陸軍が入学試験で英語を廃止したり、このころ駅の英語の案内表記も外されていきます。また、新聞社は外来語和訳の募集をするなど時流に乗ったようで、フライは「洋天」、サイダーは「噴出水」などと候補があがりましたが、定着したかどうかは不明です。
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7、金鵄に変更してからまだ半年程度の1941(昭和16)年5月16日から発売したパッケージ。神武天皇の弓を描いた箱が捨てられて踏まれたりするのは「不敬」だとする声が出て、金のトビだけのデザインになったとされています。

半年ほどで弓のないデザインへ変更

8、1941(昭和16)年11月1日発売。1銭値上がりして10銭に。

デザイン変更はなし

9、太平洋戦争開戦後の1941(昭和16)年12月30日発売分は、従来の3色印刷から黄色と黒線がなくなり緑の1色印刷に。そして、その緑も全体的に薄くなりました。印刷物資の節約とみられます。

薄い緑一色に

10、1943(昭和18年1月17日。一気に5銭値上げして15銭となります。このときは間接税大増収を狙ってほかのたばこも軒並み値上がりし「金鵄上がって15銭、栄えある光30銭…」などと、盛んに替え歌が歌われました。

一気に1・5倍の価格に!

11、1943(昭和18)年6月、議会で政府はたばこの値上げ負担増の衝撃をやわらげる狙いとして戦時負担額を表記すると明らかにしました。具体的には「平時定価8銭 戦時負担額7銭」とし、値上げ分は戦争に役立てていると強調しています。文献や当時の報道によると、月末までにはこの形で発売するとしていました。

戦時負担額が、どのたばこにも表記されます

12、1943(昭和18)年6月30日、緑色の網点の印刷をやめ、緑の線描のみに。印刷資材の節約はここまできました。

色の節約もここまで来ました

13、1943(昭和18)年7月発売。価格のさらなる値上げで、前回を上回る8銭値上げの23銭に。

あくまで値上げは戦時負担額、と納得させられたか。

14、1944(昭和19)年3月28日発売。デザインがより簡素になり、印刷資材節約の極限まで来ました。なお、できる限り続けてこられたたばこの自由販売も限界となり、同年11月1日からは、たばこも配給制(有料)になっています。

省略デザインの限界に

15、1945(昭和20)年3月1日。12銭の大幅値上げで35銭に。7銭時代のゴールデンバット5箱分です。これで終戦までいくことになります。

あくまで、戦時負担額の増額だからね、と

 このほか、たばこの大衆性を生かして1939(昭和14)年6月15日には、パッケージ正面に標語を入れたものも登場しました。写真のものは「胸に愛国 手に国債」と戦時国債の奨めです。合わせて4種類ありました。

日中戦争下の標語付きパッケージ

 こちらに上げた価格は、いずれも決められた公定価格でした。しかし、供給力の不足や配給制導入となると、当然、闇値が発生したでしょう。一方、太平洋戦争後半の価格の急激な上昇は、それだけでも戦局の悪化を示しているように感じられます。たばこ一つでも、時代相をよく表してくれています。

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