見出し画像

「あんな風に生きられたらなぁ」と「あぁはなりたくねぇなぁ」の間

こじんまりとしたお茶屋さんで
水出し緑茶用の茶葉を買った。

お店のレジは1台のみで…

嫌な予感


わたしがレジに向かった時点では行列はできてなくて、オバサマが1人レジでお会計中。

レジカウンターに財布の中身をバサーっと出してるのが見えて、少しだけ嫌な予感はした。

どうやらポイントカードを探しているらしい。
財布どころかカバンの中身もカウンターに広げてらっしゃった。

「持ってるハズやねんけどなぁ」
「え?ポイント後付けダメなん?」
「電話番号で調べられるやろ?」

そうこうしているうちに、わたしの後に4組がレジ待ちの列に続いていた。

オバサマはそんな列を一瞥することもない。

やっとのことで「お待たせ致しました」の合図とともにわたしの順番が回ってきた時には
6分経っていた。

6分


この6分って
待ってる環境とか
生活の忙しさとか
その日の予定とか
疲れ具合によって


「たかが6分じゃないの」な時と
「6分も待たされた」な時

どちらもありえる数字だよなぁと思った。

この狭い空間に充満した小さなイライラ
自分のものなのか後ろの人たちのものなのか
はたまたMIXされたものなのか

どれだったとしても健康によくない。

そんでそのオバサマ、店の入り口のとこで待ってた連れのオバサマには謝ってたんだよね。

「お待たせしてごめんなぁ」って。

お手数おかけした店員さんや
列に並んで待たされたみなさんにじゃなくて。

NIGATENAKOTO


頭ではわかってるんだけど
一定時間以上
HDP(Highly Donkan Person)と同じ空間にいると、なんだか酸素濃度が激減したような感覚に陥って疲れてしまう。

そんな時少し息苦しく感じるのは
こんな風に周りを気にすることなく生きられたらなぁと思う自分とこうはなりたくねぇなって思う自分がわたしの中に共存してるからなのかもしれない。

#多様性を考える

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?