No.45 遅いって。いつも今しかないからね

前回の続き。

父との約束を守れず、私は家族とアメリカに帰省をした。


日本に帰国したらしたで、時差ボケからの回復に親子で一週間。
そのあとは直ぐに新学期だった。
山梨の私の実家に顔を出す余裕はない。
九月の秋祭りに帰省をすることになっているから、その時に直接父に謝ろう。そう思いながらひと月過ごした。

そして秋祭り。父は忙しかった。
お祭りの運営に関わっていて、ご近所さんたちと過ごす時間が多く、
なかなか家には帰ってこなかった。
合間合間に子供たちの顔を見に来るけれど、ゆっくり話をするような機会はない。
夜に帰宅した父は、お酒が入ってご機嫌で、そのうちに寝てしまった。
ああ……
結局一泊二日の滞在中、父に夏休みのことを謝ることはできなかった。
私たちが帰る時に玄関の外まで出てきて
「また来いよ。しょっちゅう来いよ」
そう言って見送ってくれた父の顔を今でも覚えている。
「うん、また来るね。直ぐに来るよ」
これからはもっと顔を見せに来よう。顔を見に来よう。
子供たちも小三と年長と大きくなって、家族での移動も随分楽になった。
日帰りでもいいからもっと来よう。
そう思い、そう決めた。
帰り間際になったけれど、父と話せて少しホッとした。

翌週の火曜日の夕方、夕食にミートソースを作っていた。
母からの着信にでてみると
「お父さんが亡くなった……」
と声を詰まらせた母の声が聞こえた。

どういうこと? この間の金曜日に見送ってくれたばかりではないか。
亡くなったってどういうこと?
全くピンとこないというか、とても信じられなかった。
それでも、声を詰まらせたまま言葉にならない母の小さな嗚咽が、
それが事実なのだと伝えてきた。事故だった。

「わかった。直ぐに帰るね」

私が実家に着いてかなりたってから、父が病院から帰宅した。
弟の車で帰って来た父は、四日前に「また来いよ」と声をかけてくれた時のように、何かを言うことはなかった。
父なのに、もうそこに父はいなかった。

父が突然亡くなったことも、あの夏休みのことも、
私の中ではまだ終わっていなくて、ずっと後悔していくしかない。
どれだけ時間が経っても、こうして思い出すと、あの時と同じ痛みと苦しさの感覚が戻ってくる。

父がいなくなり、実家の片付けと父の遺品の整理に、毎週末山梨に通った。一人になった母のことが気がかりだった。
父は身の周りをきれいにしておく人で、持ち物はそんなに多くはない。
書類を仕訳ながら一冊のノートを開いてみると、そこには懐かしい父の筆跡で、家業の日誌のようなもの記されていた。
パラパラとページをめくり、あるところで目が止まった。
他のページとは違う。

心情を書きつけたような短い言葉。
家族への愛の言葉。
父は余命宣告を受けていたのではないか。そう感じた。
家族に打ち明けることができない。そう書いてあった。

あんなに毎日のように電話をかけてきたのは
遊びに来いよと何度も言ったのは
そういうことだったの……
時間がなかったのか……

あの年、私自身があれほどアメリカ行きを受け入れられなかったのは、
行きたくない、行きたくない、と思い続けていたのは
虫の知らせだったのかもしれないと思うことがある。

頭で考えずに、感じたままを大切にするというのは
時に本当に難しいと思う。
もう一度同じ状況になったとしたら、私はアメリカには行かないと
夫に言えるかどうかわからない。
いやでも、あの時、私が父との約束通り、夏休みを実家で過ごしても
夫の両親には何事もなかったのだ。
やはり、自分の感覚だけが私の全てを知っているのだと思う。

「考えるな。感じろ」って。

今日も幸せな一日でありますように。

Love & Peace,





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