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妻に働かずにいてもらう理由<番外編>

これまで記事にしてきたこのシリーズ。今回は、考えるとちょっと寂しく、悲しくもあるけれど、これからの遠い先の日を見据えたときに、妻に今、働かずにいてほしい理由を紹介します。


1.生活費か人間関係か

私と妻は子供を持たない2人だけの家族です。Dinksにとって避けて通れないのが、片方がいなくなったときに、家族がいなくなってしまうこと。もちろん、私の両親や兄弟姉妹も妻のことを大事に思ってくれていますし、仮に私が病気や事故で死んでしまったとしても、変わらず妻を家族として支えてくれると思います。困ったときに親戚として助け合うことなどはできるでしょう。

ただ、それでも、一人で生きていくのは心細いと思います。特に、地方から出てきている妻は、上京している友達や、上京してからできた友達がいるとはいえ、地元のように、どこに行っても知っている人やコミュニティがあるわけではないので、自分が一人だと感じる瞬間が多くなると思っています。少なくとも、今の状態で妻が一人になってしまった場合を想定したらの話ですが。

特に、もとの家族や親戚が全員地元にいるので、なんでも遠慮なく話せる相手や、遠慮せずに関われる相手が遠くにいると意識することは、孤独や心細さを感じるきっかけになりうると思っています。私の実家が困ったときに支えになることはもちろんのことですが、それでも、関わる上で、自分の親、兄弟姉妹と、義理の家族では、リラックスして対峙する、お願いごとをするハードルは違うでしょう。

だから、配偶者までとは言わなくても、私の実家家族とさらに楽に関われるようになることや、何でも話しやすい友人を少しでも多く作ること、そのための機会を作ることが重要だと思っています。そして、こういう生き方をすると、周りにも同じような生き方をしている人が集まってきやすいので、境遇を相談したり、一緒に悩みを乗り越えたりする人もできてくるのかなと考えています。

これが私が今、妻が通信大学や習い事に挑戦することを応援し、その間は、生活のための仕事のことは一切忘れて、今自分がやっていることを楽しんでほしい、そこで獲得する人生の財産を増やすことだけに集中してほしいと思う理由です。

生活費を確保することは、普段の私の賃労働や貯蓄、生活費のやりくりの中でも可能ですが、人生資本の拡張はただ義務に追われて働く中では獲得しにくいと思っています。朝早起きしなくていい安心感、誰かの叱責を受けなくていい安心感、ストレスに追われなくていい安心感が、人生を拡張する余裕を持つことに多かれ少なかれつながると考えているからです。これが、妻に働かずにいてもらう理由のうち、もしものことを考えたときにベースにしているものです。

私がいなくなっても、地方に帰らずに東京にずっといて、ずっと楽しく生きてほしい。それが私の願いです。そして、私がいなくならないように、健康に気をつけています。内視鏡検査を毎年やったり自炊をしているのもそのためでもあります。

2.この先の計画

妻が大学を卒業したり今の習い事を仕事にできるようになったら、夫婦で独立して一緒に活動していこうと考えているところです。妻が自分の好きなことで出会った縁や人間関係を続けながら、東京で生き続けるエネルギーにでき、それが生活の糧になるのであれば、この上ないことですし、そのリターンを大きくするために、私ができることを手伝いたいと思っています。

私自身も、サラリーマンに不向きな性格なので、会社組織に縛られずに働きたいと思っていますし、そのチャンスがあるのであれば、逃したくありません。

妻も、私を労働から開放する!と言ってくれていますので、今は準備期間と初期投資のための労働だと思って続けますが、いずれは、楽しいことで生きていく、妻が見つけたやりたいことと、自分自身がこれからも続けていきたいことを両立するような生活をしていきたいところです。

3.フルタイム共働きじゃだめなのか

こういう疑問も出てくるかと思いますが、個人的にこれではだめだと思っています。妻がフルタイムでバリバリ働きたいのであれば、それを拒む理由はありませんが、これまでのように、生活のために仕方なくきつい仕事をして、しんどそうな顔をしてほしくありません。

何もかも一生懸命というのは、聞こえはいいかもしれませんし、日本文化的な「美談」と捉えられがちですが、私は、余計・余分・怠惰・休息にこそ、余白を彩る余裕をもたらす力があると考えています。今日は何をしようかなと、朝、コーヒーを飲みながら考えることができるからこそ、普段と違うことをしたり、違う食べ物を買ってみたり、新しいことを始めてみることができるのだと。義務を果たすだけの人生では効率やコスパばかり重視して、ゴール以外を観察する余裕を失ってしまいますから。

それに、そういうギリギリの生活をしている人、何もかも100%全力投球している人が、私には幸せそうに見えないんですよね。常に余裕がない、イライラしている、焦っているような、そんな感じがして、息苦しいんですよね。朝、イライラしながら支度する妻よりも、ぐっすりリラックスして寝ている妻のほうが、一緒にいて安心するんですよ。

ちょっとでも所得を増やしていい暮らしをしたほうが望ましいという意見もわかります。それならば、私が我慢して所得効率が高い仕事をして貯金したほうがマシです。私は自分のやりたいことを他人が代わりに経験してシェアしてくれることで、自分の経験に置き換えることができる思考なので、私が余暇でやりたいことを代わりに妻がやってくれるので、時間の分配も問題ありません。極論を言えば、私の代わりに旅行に行ってもらい、写真とお土産話をもらえるだけで、私は旅行に行かなくてもいいやと思えるようなイメージです。

再雇用を受けずに60で退職して余暇を楽しんでいる実家の親を見ていると、自由時間と人間の幸福度が比例することを実感します。すべてにおいて余白は大事で、義務に追われているだけの人生では絶対に見えないもの、やらないものを、生活にもたらしてくれます。私たちは子供を持たないので、ある意味、今から老後のようなもので、自分たちで自発的に日常に彩りをもたらす力が人一倍求められています。だから、その訓練のためにも、受動的な生活を意識的に避けていく必要があると考えています。

4.それぞれの夫婦の形を大切に

もちろん、妻が働きたいといえば、反対する理由はありません。今も自分が面白いと思えるパートには出ていますし、楽しそうなので、本当に良かったと思っています。今後も、こうして、妻が自分でやりたいと思ったことに、時間や労力を使ってほしい、そして、それを楽しそうに話しながら、夕飯を一緒に食べてほしい、そう思います。

いつもご機嫌でいてくれる方が、生活のために苦しんで働いてくれるよりも、数億倍一緒にいて楽しいですよ。いつも妻に感謝です。

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