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映画『サムサッカー』/不良にもマザコンにもなれない、男の子たちに捧ぐ。

 映画『サムサッカー』(2005)(原題:Thumbsucker)を観たぞ!!以下あらすじです。Wikiより引用。

アメリカ・オレゴン州に住む17歳のジャスティンは、内向的な少年で、親指をしゃぶる癖が未だに治らない。両親の心配も手伝って、行き着けの歯医者の先生ペリーにその悩みを相談すると、彼はジャスティンに催眠術をかけその癖を治してくれた。しかし親指しゃぶりができなくなったことに段々と不安が募り、自制心がきかなくなったジャスティンは、ADHD(注意欠陥多動性障害)との診断を受け抗うつ剤を処方される。薬の効き目はすぐに表れ、以前とは比べものにならないほど活動的になったジャスティンであったが…。

Wikipedia

 そもそもタイトルである「サムサッカー」ちゅうのは、英語で"Thumbsucker"、つまり「親指吸ってる奴」という意味なんですわ。

 親指を吸ってる高校生は正直、ちょっと変。それはやっぱり親指を吸うのは普通は赤ん坊がやることだから。

 だから主人公のジャスティンもそれをやめたい…というのは無理な話だったんです。だって彼は赤ん坊特有の素質をまだ持っていたから。


 それは母親への執着。その傾向は随所でみられる。

 彼の母親、オードリーはとある俳優を好んでいて、シリアルの景品であるその俳優との「デート権」に応募するために、わざわざ新しい服まで買ってその応募写真を撮ろうとするほど。それにジャスティンは強い嫌悪感を抱く。たしかに男の子の多くは、自分の母親が「一人の女性」であることを認めるのは少し辛いものがあるかもしれない。ただほとんどの人はそれについて触れないか、その場で受け流してしまうでしょ。ただジャスティンは劇中それをずーーーっと引きずる。その俳優がドラッグ中毒で病院に入れられたというニュースを見てほくそ笑むし、母親のカバンを勝手に漁ってその俳優との関係性を探ろうとする。ここから彼の母親への強い愛情が見て取れる。それに自分の母親のことをファーストネームで呼ぶってのもね。これはオードリー自身が「若く見えるから」っていう理由で呼ばせてたみたいだけど、逆に「ママ」って呼ばせないところが変な逆張りっていうかね。そういうのを感じるよね。

 それにオードリーの新しい職場が芸能人も入る施設だと聞いて、それについて詳しく教えようとしないオードリーに対して不満を抱いてた。間違いなくその俳優と母親が不倫するだろうと考えての反応だと思う。

 それに母親の再婚相手のマイクにも強く当たる。母親の再婚相手といえば、自分が生まれてから新たに恋愛して結婚した相手。生まれの父親に対するものとは違う感情を抱いて当然だと思う。


 それでは本題の「指しゃぶり」に戻るけども、「指しゃぶり」とは、劇中でキアヌ・リーブスが指摘していたけど、「乳房を吸う」という行為にすごく近いものがある。つまり「母親との繋がり」である。

 ジャスティンは指を吸うことで、自分の寂しさ、物足りなさを満たそうとしていた。一番ほしかったのは愛情だというのに。彼は劇中、レベッカという女の子といい感じになる。レベッカは「そういうルール」と題して、彼に目隠しをして、自分の胸を触らせる。ジャスティンにとっては、「乳房=安心材料」であるから、それをなんとしても見たいと感じる。もちろん性欲もあるとは思うんだけど。だからこそ、レベッカが自分のことを「練習台」としてしか捉えてなかったことについて強いショックを受ける。今まで自分が愛情だと思っていたものは、単なるまやかしだったわけだから。

https://www.virtual-history.com/movie/film/21886/thumbsucker

 ここからは個人的な感想になるけど、ジャスティンが母親に対して疑惑を抱いて、かつ自分の学生生活がうまくいかない、かつ自分は薬がないと生きていけないのか?みたいなアイデンティティクライシスにぶつかって、みたいなそういう「青春あるある」にぶつかっているときに、「なんかマリファナでも吸ってみっか~」みたいな青臭いノリがめちゃくちゃ刺さったな~

 もちろん僕はマリファナなんて吸ったことないけど、「もう大人なんか…全員クソッタレだ…」みたいな気分になって、夜中に家を飛び出してみたりとかよくわかるな~というか、そういうノリができるのってやっぱり実家に住んでる奴だけだからね。ジャスティンの可愛いところってグレたりしてみるんだけど、絶対に家出はしないんだよね不良にもなれないけど、マザコンにもなりきれないから無意識に親指しゃぶっちゃうみたいなところが、すっごく共感した。


 あと義理の父親のマイクも憎めない奴だったな~あの人、マイクの親指の癖を強引にやめさせようとしたり、割とジャスティンに対して強権的なのかしら、と思いきや、オードリーのカバンに入ってた彼女がお気に入りの俳優のサイン入り写真を見て、「あ~、俺、浮気されてますわ」みたいな。いや、アメリカ人だったら別に恋愛感情なくても「愛をこめて」ぐらいなにも考えずに書くって!そういうトンチンカンさも嫌いになれない。

 それにジャスティンがNYに行くことになったときも、「さぁ!行ってこい!」とかじゃなくて、「やっと仲良くなれてきたと思ったんだけどな…」みたいにねちっこいところも、男のダメな部分がにじみ出てて決して嫌いになれない存在。

https://www.nziff.co.nz/2005/archive-4/thumbsucker/

 そしてこの映画の一番いいポイントといったら、最後のジャスティンとキアヌ・リーブス演じるペリーの会話でしょうね。

決して、自分が正解などと思うな。
それは幻想だ。大切なのは、答えなしに生きる力だ。
そう思う。
・・・
たぶんね。

 このセリフ、一生残るレベルで素晴らしい。ジャスティンは「答え」ばかりを追い求めていたんだよね。ディベートでは相手を言い負かすことがすべてで、それを日常生活でも用いて大人を怒らせたり。母親の浮気を疑って、夜勤の職場まで行ってみたり。そうやって自分が納得する答えを追い求めてみると、自分の世界が「自分にとっての正解」まみれになっていって、何が本当かわからなくなってしまう。

 ジャスティンはNY大学の願書で、「僕は真実を伝えたい。両親にもそうしてきたように」という理由で、ジャーナリズムを専攻していた。しかし、彼が求める「真実」というものは、彼自身を傷つけていたのである。

 彼は自分を「治す」ための「真実」ばかり追い求めて、薬に走ってしまっていた。ペリーのここでのセリフはジャスティンにある種の「救済」を与えたと思うんだよ。「なんでも正解を求めることはない。僕らができるのは、考え、努力し、そして望むことだけ」って。

https://m.imdb.com/title/tt0318761/mediaviewer/rm2873572352/


 最後に、この映画の監督、マイク・ミルズ氏はあの『20センチュリーウーマン』の監督でもあるらしい。「母親と息子」を2度も描いていたんだな~マザコンなんかな~いいよね、マザコン。人類皆、マザコンなのかもしれないね。

 また明日!

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