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中途半端な絶望とか

14.3mmの真っ黒なカラーコンタクトと1cmのアイライン。

こんな世の中だから、他人に見せる顔のパーツなんて目元だけなのに、嘘みたいに綺麗な肌をファンデーションで必死に作り込んで、チークまで乗せた。
マスクの下にそんな努力を隠して、数時間後には全て崩れてしまうのに、儀式のように鏡とにらめっこして、自分を愛すためにお金と時間をかける。これはきっと、女の子全員の自分を愛すための最低限の行為。

その日は本当に幸せな日で、それと同時に最悪な日だった。

濡れている目元からカラーコンタクトを外す、涙で指が滑ってなかなかうまくいかなかった。
泣きながらカラコンを外すなんて経験もう一生したくない。
暗い部屋、電気を付けなければ自分の顔が見えなくてコンタクトなんて外しにくいのに今の自分の顔がどうせ最悪だから見たくなくて、暗い部屋で眼球を擦った。
次の日は目が充血した。
でも、その日の1日は最高に楽しくて、写真の中の私は本当に楽しそうに笑っていたから、今の私は笑えばいいのか泣けばいいのかよくわからなくなった。

両親の怒鳴り声、泣き声、溜め息。
引き戸を叩きつける音、テレビから流れる音量20の笑い声。
何も気にしていないふりでスマホに文章を殴り書きして、そのまま。
20年間で数えきれないほど聞いてきたけれど、いつまで経っても慣れることはないし、慣れたくもない。
あの雰囲気を不愉快に思える感受性を未だに保てている自分に安心するけれど、こんなに苦しいのならもういっそ慣れてしまいたい、とも思う。

私の人生の中で命が直接的に脅かされる状況なんて数えられるほどしかなかったし、比較的穏やかな家庭だったような気もするけれど、誰でもいいから助けてほしかった。ただただ穏やかに陰鬱で、ぎこちない家庭。
いっその事、もっと分かりやすく最悪な状況になれば誰かが助けてくれるんじゃないかなとか、もう早く捨ててくれないかなとずっと願っていた。
小学1年生の頃、「明日ママがいない。」というドラマにものすごくハマっていて見るたびにあの子たちに憧れて、私も早く助けられたいなと思っていた。
最低だとは思うけれど、そのころの私にとって家庭からの解放=救いだったのだ。

ずっと死にたかったけど、家庭はそれを許してくれなかった。
なぜなら私は家族の中で一番愛を受け生きてきたから。
お前が一番明るくて、普通の人間だから、お前だけが頼みの綱だから。
これじゃあおかしくなってしまった私は「おかしくなりました」なんていえなくなったし、そんなことを口にしたもんなら、もう母親を筆頭として不幸自慢大会が開催される。それで私は口をつぐむしかないし、何もつらいなんて言ってはいけないし、医者にかかることも許されなかった。
その結果、体に傷をつけて薬に救いを求めて、部屋をめちゃくちゃにして、家にある全てのかわいいフィギュアたちは全てなぎ倒して、エッチな本が詰まった本棚もたくさん重なって床に散らばった。
中学生の頃からずっと上手く眠れていなかった、家が安心できる場所じゃなかったから。
高校生になってからは塾や学校とかで眠るようにした。先生には迷惑をかけたと思うけれど、寝かせてくれて、理由もまぁよくあるよねと軽く流してくれた。
正直、その真っただ中にいた私は「なんでこの人はこんなに冷たいんだ」とか思ってしまったけれど、先生だってただの人間で、あれは先生が許される限界の優しさだった。
まだ何も伝えていないから、先生はどう思っているかはわからないけれど、そろそろ謝りに行かなきゃいけない気がする。
学校と家庭は繋がっているようで、とんでもなく遠い。
それでいて学生の行動範囲なんてこの二つしかないのだから、もう、雁字搦めだろうなと思う。
私はまだ学生だけれど、実家を脱出しただけで生きやすさは増した、気がする。
睡眠薬も飲めるし、病院に自分で行くことが出来る。
お酒だって飲もうと思えば飲める。
不健康かもしれないけれど、これは圧倒的な幸せに違いない。

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