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「国民の目線」をどう実現?【『政治家の覚悟』を読んで】

はじめに

 昨年内閣総理大臣に就任した菅義偉氏が、2012年に出版したものを文庫化した『政治家の覚悟』(文藝春秋、2020年)の感想を述べる。

 本書は、はじめに出版された書籍に加え、『文藝春秋』のインタビューを載せたものである。本書の大半は総務大臣時代を中心とした著者の具体的な業務内容や実績で構成されている。その中に、彼が政治家として志している理念を感じ取ることができる。


リアルな政官関係

 著者は、政治家のなすべきことは、政策の方向性を示し、官僚をうまく「使う」ことであると考えているようである。

おそろしく保守的で融通のきかない官僚ですが、優秀で勉強家であり、海外の状況も含めて組織に蓄積された膨大な情報に精通しています。官僚と十分な意思疎通をはかり、やる気を引き出し、組織の力を最大化して、国民の声を実現していくことが政治家に求められるのです。(p.25)

 著者は官僚に対して、どうもいわゆる「頭が固い」的な印象を抱いているようである。具体的なシーンとしても、著者が地方分権や税制度の見直し、公務員やマスコミの改革など、既存のシステムを改変するような指針を示した際、役所の官僚が前例や法律上の問題点を出して渋る、ということが何度もあった。私は「政官関係って本当にこんな感じなんだ」と興味深く思った。

 一方で、著者は官僚の「有能さ」も評価している。

官僚というのは前例がない事柄を、初めはなんとかして思い留まらせようとしますが、面白いもので、それでもやらざるを得ないとなると、今度は一転して推進のための強力な味方になります。そこまでが勝負でした。法案の審議では大臣が答弁します。その際、大臣が立ち往生しないよう、法的な問題もクリアして、がっちりサポートしなければ、という使命感が官僚にはあるのです。(p.34)

「官僚」と呼ばれる人の多くは、東京大学などの超難関大学出身で、相当な勉強を重ねたエリートの人間である。「有能」なのは当たり前なのかもしれない。このように、著者が官僚のことを「融通のきかない」と称しながらも、やはり根本では能力を信頼することで、政官関係が成り立っているのである。

 官僚への「頭が固いけどガチで優秀」という一般的な印象が結構当たっていること(もちろん、これは一人の人間が書いた文章であるので、印象にバイアスがあったり、著者の観測に漏れる官僚がいたりすることも考慮したいが)、そして、官僚が政治家とときに衝突しながら様々な障壁を乗り越えてなんとか政策を実現していくことが、具体的な事例とともにリアルにわかるのが、本書の面白いところである。


一貫した政治理念はあるか

 では、著者はどのような方針に従って政策を立てるべきと考えているのか。それは、「国民の目線」に立って考えることである。

この法改正[2007年に成立した被災者生活再建支援制度の改正]によって、中越沖地震で被災された方々の意向に沿う形で支援金の支給がなされ、今回の東日本大震災で被災された方々の生活再建、住宅再建にも一定の役割を果たせたものではないかと考えています。このように、法律が運用される段になって、本来の意図と違う結果が生じることもあります。政治家が、常に国民目線で現在の仕組みを見つめ、必要なところは修正し、足らざるところはスピード感をもって新たな制度を創設することにより対処することが必要だと、痛切に感じた事例でした。(p.122)

国民の目線に立って2007年の震災に対処した結果、2011年の震災でも役立ったということである。

 国民の目線に立って生まれた政策を実行するために、著者は様々なことを利用する。たとえば、人事権である。

人事によって、大臣の考えや目指す方針が組織の内外にメッセージとして伝わります。効果的に使えば、組織を引き締めて一体感を高めることができます。とりわけ官僚は「人事」に敏感で、そこから大臣の意志を鋭く察知します。(p.144)

あるいは、政務官を登用する様子も描かれる(第一部第七章参照)。このように、著者の「なにがなんでも」という、改革のために手段を選ばない様子がわかる。

 国民の目線に立って考えることで、国民のためになる政策が発案され、それを官僚とうまくコミュニケーションをとりながら、あるいは大臣としての人事権をうまく使いながら、なんとしてでも実現していく、というのが著者の政治理念であろう。

 もっとも、以上のような理念は私が本書を読んで、つなぎ合わせることで記述したもので、まったく同内容が書いてあるわけではない。というのも、本書はよくいえば詳細な様子が記されたもの、悪くいえば業績をレポートしたような少々退屈なものなのである。そこから「なんとなくこういったことを政治信条としてやっているのであろうな」とは推測できるが、目指す国家のあり方や政治家像について規範的に、価値的に語る部分をもっと増やして、有機的につなげて論じてほしかったところである。


李下に冠を正さず

 ここからは、本書で描かれた政治理念をもとに、現在の菅政権の運営について考えたい。

 日本学術会議の会員の推薦を、菅氏が任命拒否したということが話題となった。この処分の是非については措くが、政権について疑念を生んだのは確かである。行政の長がその他の組織にどこまで介入できるのかというのはバランスが非常に難しいところではあるが、少なくとも任命拒否した個別の理由は述べる政治的責任があったのではないであろうか。何か信念に基づいての行為であったとしても、それを国民に説明しながら改革していかなければ、「国民の目線」による政治であるとはいえない。

 安倍政権時代の森友学園の問題以降、「忖度」という現象が一般的に認知された。総理大臣くらいになると、行政官庁に対する影響力が大きくなり、指示せずとも官僚が意向を推し量るのであろう。

 そういったことが実際にあることは仕方ないとしても、権力者はその発現に自覚的であるべきではなかろうか。なぜなら、そもそも「忖度」的な現象に国民はネガティヴな印象を持ちやすく、命令していないとしても「裏の力」のようなものが働いたと考え、政権の信頼が落ちるからである。政権が「国民の目線」に立って政策を実行することを目指す以上、国民に信頼されないというのは政策が打ちづらくなるのではないであろうか。菅氏は「好みで人事をすることはない」と本書や国会で述べているが、先述の引用箇所では「とりわけ官僚は「人事」に敏感で、そこから大臣の意志を鋭く察知します。」とも述べている。大臣の好みで人事をする、というのと大臣が行いたい政策で人事をするというのは紙一重にも思える。総理大臣のような座に就く者には、自らの官僚への影響力を自覚したうえで、その自覚をアピールを国民にしてほしいのである。

 余談であるが、社会保障に関してはどうか。「自助・共助・公助」というスローガンを掲げているわけであるが、国民はもっと国家に対して積極的な保障を望んではいないであろうか(少なくとも私は、素朴な疑問として、もっとマネーストックの増加によるデフレ脱却や再分配を目指してはいけないのであろうかと思っている)。「公助」が実際には実行することが難しいとしても、理念を伝える目的であるスローガンの頭に「自助」といわれてしまうと、失望する国民がいる。それはやはり、政権が国民の信頼を得るうえではマイナスになると考えられる。

 (特に国家をめぐる政治に関心のある)国民は、人権や政治的な公平性が政権に尊重されているかということに敏感である。それらをこっそり侵害しているようにもみえる動きをしたとき、もし為政者にその気がないとしても、そうなのではないかと疑ってしまう。また、野党などの政治的に対立する勢力に批判の隙を与えてしまい、議論が停滞してしまう。であるから、「国民の目線」に立つ政治家を自称するならば、自由・平等を過度に制限する政策をしないだけでなく、そうとられてしまう行為も控えるべきではないであろうか。コロナ禍での会食についてや、子息と東北新社の問題だって、そこに通じるところがある。


おわりに

 現在政権を担っている政治家がどのような理念のもと政権運営をしているのかが知りたくなり、本書を手に取ったわけであるが、「国民のためになること」をかなり重視していたことに驚いた(皮肉ではない)。もちろん、本として出版する以上、読者の耳障りのよい理念を匂わすということはあるのかもしれないが、それでも一定の信頼はしてよいと考える。

 しかし、実際の政権の動向に関しては、本書に書いてあるような姿勢がそこまで感じ取れないとも思う。何かしらの制約があるのかもしれないが、国民の信頼を集めた上で、まさに「国民の目線」に立った政策を当然ながら期待したい

 私はこれまで行政の領域に強いアンテナを張ってはいなかったが(とはいうものの少しは関心があった)、本書でリアルな「職業としての政治家」の動きを見てみて、行政学を学んでみたり、さらに現政権の動向に注目してみたくなってきた。菅氏の理念がどうであるなどは抜きにしても、実際にどのような動きが「政治」にあるのかが知りたい人は、読んでみてはどうか。

[引用内での[]は意味を分かりやすくするために付け加えたもの。]

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