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コロナ禍は世界をどう変えた?【『新しい世界』を読んで】

はじめに

 世界中のメディアの記事を日本語に翻訳して配信する月額会員制のウェブメディアクーリエジャポンが編集した『新しい世界 世界の賢人16人が語る未来』(講談社、2021年)の感想を述べる。

 本書は、世界で有名な政治学者、経済学者、哲学者、生理学者、ジャーナリストなど、16名のインタビューによって構成されている。それぞれの分野から考える、新型コロナウイルスが蔓延した後の世界について語っている。


メリトクラシーに警鐘を鳴らすサンデル

 私が最も関心を持ったのは、政治哲学が専門のハーバード大学教授であるマイケル・サンデル氏である。彼は『これからの「正義」の話をしよう』などのベストセラーがある[過去の感想ブログはこちら]

サンデル氏は、本書では「能力主義の闇」を指摘している。一般的に社会では、高学歴・高収入であるエリートと、低学歴・低収入である労働者階級、といったような社会階層が存在し、それは各人の能力によって決まっていることになっていいる。しかし、サンデル氏はそうした分断がパンデミックへの対応にも影響したと考える。

市場を重視する新自由主義的なグローバル化が40年続き、格差はとんでもなく大きくなっていました。成功と失敗に関する社会の見方のせいで、勝ち組と負け組の間に深刻な分断もできていました。パンデミックでは、私たちがお互いを必要としており、高いレベルで社会的連帯が必要だということを再認識させられました。しかし、社会に深い分断があったので、連帯心を発揮してパンデミックに効果的に対処することはできませんでした。(p.192-193)

 そしてサンデル氏は、この分断を埋めるために、「成功」の意味を再考するべきであると主張する。

人生において好運がいかに重要なのかがわかれば、謙虚な心を持てるかもしれません。今の問題の一部は、能力主義の仕組みでエリートになった人たちに謙虚な心が欠けているところです。私はそれを「能力主義の傲慢」と言っていますが、その傲慢さに挑むのが重要な第一歩です。(p.197)

ある人が成功したとしても、それは完全にその人の努力、実力でその結果となったわけではなく、少なからず幸運が関係しているというわけである。たとえば、生まれた家族の収入や地域、環境なのであろうか。こうした要因を無視する「能力主義の傲慢」は、社会の分断を深めてゆく…。

 この能力主義的考えは自己責任の観念と表裏一体ではないであろうか。所得があって安定した暮らしができるという結果について、能力があったからこうなったと考えることは、貧困に喘ぐ人は能力がないからであり仕方ない、という思考と簡単に結びつく。さらに、格差があって、その格差の下の方で苦しむ人を「その人間の責任である」と突き放すことは、分断をさらに深める。その傲慢さを、サンデル氏は問い直したいのであると感じた。

 そしてサンデル氏は、こうした分断を民主主義的なプロセスによって埋めていく方法を提示した。

民主主義国の市民が分かち合う公共空間を作り直さなけらばなりません。民主主義に相応しい暮らしに必要な市民のインフラを作り直し、階級が異なる人や生活条件が異なる人と出会えるようにするのです。市民社会を刷新して、活性化させていくのです。自分たちだけの狭い世界を壊して、ともに民主主義を実践していくのです。(p.197)

民主主義をともに実践する共通空間、というのが具体的に何を指すのかはよくわからなかったが、階層の分断がそのまま地域などの物理的な分断に繋がっていて、お互いの対等な交流がないということはやはり問題である。


多くに共通していたのは「弱者」救済

 サンデル氏は、能力主義による分断に警鐘を鳴らしたが、他にも多くの賢者が「貧困」や「格差」などに言及していた。

 ノーベル経済学賞を受賞したこともあるコロンビア大学の教授であるジョセフ・スティグリッツ氏は、人命よりも企業を救おうとするアメリカ政府を批判した。

問題なのは、一番弱い立場にある人たちに支援を届ける能力が足りていないことなのです。[アメリカよりも]フランスやデンマークのほうが賃金労働者の生活を上手に支えている印象があります。(p.75)

 パリ高等師範学校経済学部長であるダニエル・コーエン氏は、経済政策の目標を「成長」に置く姿勢に疑問を投げかけた。

目指すべきは「成長」でもなければ、「脱成長」でもありません。人間としての生活に最低限必要なものが何なのかを見据えるべきです。自国の若者に何を与えられるのか。どんな知的能力、身体的能力を持てるようにすべきか。若者が社会と調和を保ちながら生きられるようにするには何ができるのか。若者が興味を持てる職業に就けるようにするにはどうすればいいのか。こういったことがいまの重要課題です。(p.123)

 そのコーエン氏に指導された、『21世紀の資本』で知られるトマ・ピケティ氏は、行き過ぎた私有財産制によって経済的格差が拡大していると述べた。

私有財産制は、それが度を越さないかぎり、正当なものです。しかし、政治や経済の権力が一部の人に過剰に集中したり、その権力の集中が長期化したりすることは、避けなければなりません。(p.152)

 史上最年少でノーベル経済学賞を受賞したマサチューセッツ工科大学教授のエステル・デュフロ氏は、同性カップルにウエディングケーキを売るのを拒否した事件を例に、市場経済にすべての問題を任せてはいけないと主張した。

つまりすべての問題の解決を市場に任せることはできないのです。誰かを差別したいと思っている消費者がいれば、それを利用する企業は必ず存在し、差別が助長されることになります。(p,175)

 マルクス主義の刷新を図る哲学者スラヴォイ・ジジュク氏は、感染症や自然災害の対策として、資本主義で物事を考えることからの脱却を目指すべきであるとした。

今後、新たな感染症や自然災害が起きると大勢の専門家が予想するいま、私たちは資本主義のプリズムを通して考えることをやめる必要があります。今は政治をやっている場合じゃないとか、この危機を生き抜くために人を動員すべきだと主張する人には、断じて同感できません。(p.210-211)

 以上のように、市場経済の原理や行き過ぎた資本主義を見直して、社会の中で不利な立場に立たされている人々を救うべきであるという考えが何人かの根底にあるようである。パンデミックによって格差が拡大する、あるいは分断によってあらたな問題が生じるとしたら、だれもが暮らしやすい社会を作るのが急務といえよう。


「賢人」の見解の違い

 先ほどのジジュク氏は、「資本主義のプリズムをやめる」ということに関連して、次のようにも述べていた。

政府はまず、誰ひとり飢えさせないことを保障すべきです。そのためにはおそらく、グローバルな取り組みが必要でしょう。(p.214)

 同じく、グローバルな取り組みが重要であるとした人がいた。『サピエンス全史』で知られる歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏である。

民主主義の国においては、有権者には、いま起こっていることを忘れずにいてほしいです。そして、いま我々がこれほど必要としているグローバル化な協力関係を作ることのできない、外国人嫌悪の指導者を選ぶことの危険性に気がついてほしいと思います。...(中略)...必要なのは、しっかりとした公共衛生システムと有能な科学機関、正しく情報を得た市民とグローバルな連帯です。これらが、今回やこれから起こる感染症に打ち勝つために重要な要素です。(p.23-24)

 一方で、グローバリゼーションに懐疑的な発言をしている者もいた。フランスの歴史人口学者であるエマニュエル・トッドは、グローバル化の悪い面を強調した。

グローバル化というゲームに全面的に参加してしまったおめでたい国々があった一方、自国の産業を維持し、いまも必要な物資(検査キット、マスク、人工呼吸器)を製造できる国々があるのです。...(中略)...感染症が一目置くのは人工呼吸器やマスクなのです。コロナウイルスでグローバル化に対して最後の審判が下されました。フランスは中国に工場を移動させ、中国はフランスにウイルスを移動させ、マスクや医薬品の生産は中国に残り続けるのです。私たちフランス人は笑ってしまうくらいに愚かです。(p.35-36)

 たしかに、グローバル化によってパンデミックが悪化していると考えられる。それに対して、「だからグローバル化はダメなのである」とするのか、「むしろグローバルな連帯を強めて、協力して対処していく」とするのかの違いである。私個人は、グローバリゼーションを後退させることはもはや難しいことも考慮して、グローバルな連帯を強めることで貧困やパンデミックに対処しようとすることの方が現実的に意味があると考える。


たくさんの人が載っているがゆえに…

 本書は244ページと普通の文庫本サイズであるが、そこに16人ものインタビューが載っている。一人あたりのページ数はだいたい15,6くらいであるからか、文章が短くてよくわからないという感想を抱く部分もあった。

 ジャーナリスト、作家であるナオミ・クライン氏は、以下のように述べた。

コロナ禍の今、私たちは相互につながっているという現実を意識せざるを得ないようになり、他者に対する優しさや共感力が以前よりも増しているのではないでしょうか。(p.108)

たしかに、そんな気もしないでもない。とはいえ、こうなった理由や詳細な具体例が語られないので、少し説得力に欠ける感じがした。さらに長い文章であったら、ひとつひとつ論証できたであろう主張が、パンとそれだけ出てきてすぐ次の話に行ってしまう、ということは何度かあった印象である。

 また、反対に脱線した感じでよく分からなくなった箇所もあった。コーエン氏の節では、一貫して経済的な豊かさが「幸福」に直結するかという議論であったのに、急に「中国の経済成長が今後どうなるか」に議論が移ってしまって、そこから少し経ってから戻ってくる、というところもあった。

 同様に、デュフロ氏の節でも、コロナ禍での経済復興はどうあるべきかという議論をしていたのに、デュフロ氏が歴史学から経済学に転向した理由がそこまで関連がなく唐突に出てきて、何事もなかったかのように経済支援の話に戻った。これらは、1つの文章が短いうえ、1人が書いているわけではないから生じるブレなのかもしれない。

 そして、本を読み終わった直後の感想としては、「結局、タイトルの『新しい世界』って何なんだろう」となってしまう。分野が違う賢人が集められているからか、全体としてどういう「新しい世界」がみえるのかといわれると難しい。もっとも、「格差を是正するべき」みたいな共通点は多少見つけられたが、1つの問いに向かって議論が展開していく面白さは薄かった。

 特定の分野に強い関心はないが、コロナ禍に対する学問の様相が知りたい人が、分野や人物の研究に興味を持つための入門書、導入のガイドとして読むのに適している。一日一個ずつ短編集を読みたい、みたいな人は向いているかもしれない。


おわりに

 たくさんの議論がめまぐるしく登場する本書に対して、私はあまり慣れていなくて苦手意識を感じてしまった。しかし、新型コロナウイルスという人類の敵に対しては、従来の分科された学問では太刀打ちできないという示唆がされているようである。幅広い主張を考慮し、比較検討しながら問題を対処していく姿勢が求められているのかもしれない。

 最後に、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル氏の言葉を引用する。

パンデミック後の新しい社会のあり方を見出すには、学際的な研究が必要です。それがより持続可能な未来に繋がるはずです。…(中略)...社会学者、フェミニスト、ダイバーシティの専門家、経済学者、ジャーナリスト、哲学者、歴史家、文学者などが、この災禍の受け止め方を分析する必要があります。(p.187)

[引用内での[]は意味を分かりやすくするために付け加えたもの。]

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