みんなでガードレールを築こう【『民主主義の死に方』を読んで】

はじめに

 アメリカ、ハーバード大学の教授である、スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット両氏の『民主主義の死に方』(濱野大道訳、新潮社、2018年)の感想を述べる。

 2016年にドナルド・トランプがアメリカ大統領に当選したことを踏まえて、民主主義が崩壊する過程について論じている。本書は、まずアメリカを中心に、今までどのように民主主義が護られてきたかを歴史的に分析する。次に、それが崩れるときはどのようなことが起きるかを明らかにする。そしてそれが現実のものとなりつつあることが説明される。


「独裁者」はどのような人?

 民主主義の崩壊を語るには、「独裁者」が重要なアクターとなる。それは、「カリスマ的なアウトサイダー」であったり「大衆扇動家」であったり「ポピュリスト」であったり「過激主義者」であったりする。

 このような急に表れたアウトサイダーが「独裁者」として、どのようなことをして民主主義を壊していくのか。それは、「リトマス試験紙」といわれる以下の4つである。

私たち著者はリンスのこの著書[引用部分前に紹介された『民主体制の崩壊 危機・崩壊・均衡回復』]を参考に、独裁者を見きわめるための四つの危険な行動パターンの例を導き出した。①ゲームの民主主義的ルールを言葉や行動で拒否しようとする。②対立相手の正当性を否定する。③暴力を許容・促進する。④対立相手(メディアを含む)の市民的自由を率先して奪おうとする。(p.41)

たとえば、①選挙の正当性を否定する、②政治的に対立する相手を「違法行為をしている!」と執拗に糾弾する、③自分の支持者の暴力行為を非難しない、④市民の投票の自由や言論の自由を制限する、といった感じである。

 このように、大衆を扇動して急速に上がってきたポピュリストが上記のような行動をすることが民主主義の崩壊に寄与すると指摘される。ちなみに、ドナルド・トランプは、この「リトマス試験紙」に引っかかってしまっていると指摘される。


政党が「門番」を務める

 アメリカには過去にも多く、上記のような「独裁者」の卵はいた。しかし、こうした「独裁者」の卵を表に出さないようにする「門番」を、政党が務めていたことで民主主義が護られてきたのである。

 有権者の声を軽視するのは一見民主主義的ではないが、「人々の意見」を過度に信頼すると民主主義そのものを脅かす指導者が誕生するという緊張状態において、どこかに妥協点を探す役割を「門番」たる政党が担ってきたのである。詳しくは本書第2章を読んでほしい。

 余談であるが、本章を読んだ私の個人的な感想として、この問題は、人民に支持された者—選挙で選ばれた者が民主主義的であるとみなされるのか、それとももともと「民主主義」に適う理念があってそれを実行する者が民主主義的なのか、という難しい問いとしても捉えられる思われる。何にせよ、まさにその難しいバランス感覚を政党が維持することで民主主義が護られてきたのである。


破壊される過程

 反対に言えば、現状の有力者である党のインサイダーが受容してしまったとき、独裁者が出てきてしまう。たとえば、ドナルド・トランプが当選した2016年については、以下のように述べられる。

二〇一六年の大統領選挙の運動を進めるにあたって、共和党に求められていることははっきりとしていた。トランプが基本的な民主主義の原則を脅かそうとしたなら、共和党はそれを止めなければいけなかった。それ以外の方針をとれば、民主主義は危険にされされる。そして民主主義を放棄することは、選挙での敗北よりもはるかに多くを失うことを意味する。(p.93)

 こうして、有力政党が過激な扇動家を抱き込んでしまったら、民主主義はなし崩し的に破壊されてしまう。具体的な崩壊の過程は、本書第3章に書いてある。

 これらの崩壊の過程は、まさにナチ・ドイツのヒトラーを思い出させる。また、ドナルド・トランプも、実際はどの程度やっているかはわからないが、今年初めの暴動を特に責めておらず、二期目にもし当選していたら、本格的にこういった崩壊の過程における行動を始めていたかもしてない。


相互的寛容と組織的自制心という規範

 このような状況に陥らないために、憲法などには書かれていない規範が重要であるとする。

上院や選挙人団の運営から大統領記者会見の形式まで、アメリカ政治の至るところに不文律が存在する。しかしなかでもふたつの規範が、民主主義を機能させるために必要不可欠なものとして君臨している—相互的寛容と組織的自制心だ。(p.132-133)

相互に結び付いたこの「ガードレール」ともいえる不文律が、門番である政党や大統領が民主主義を崩壊させないようにするのに役立っていた

 このようにみていくと、どうも民主主義の崩壊を護ることができるのは政治家だけである感じがしてしまう。この本では国民の投票行動自体にはあまり触れられていない。では、国民は何もできないのであろうか。私はそうは思わない。たとえ政党が血迷って過激なアウトサイダーを候補にしてしまっても、最後に投票を行うのは国民であるからである。仮に国民全員が扇動に惑わされず「リトマス試験紙」を確認し、候補者に民主主義の崩壊に関する危険を感じることができれば、そうでない候補者に投票して危機を回避できる。理想論に聞こえるかもしれないが、今回の大統領選挙でジョー・バイデンが勝利したのは、もしかしたらこうした現象の一部なのかもしれない。


日本の場合はどうか

 本書に書かれていた内容は主にアメリカの民主主義についてであった。では、日本の政治に関してはどうか。

 日本では、内閣総理大臣になるには、国会議員の投票で票を得なければならない。そのためか、長いキャリアをもった者がなるから、アウトサイダーが大衆を扇動して急に政界を上り詰めることは考えづらい。

 それよりも、長年政党に関わってきた「ベテラン」であるインサイダーが、権力を握った瞬間、急に反民主主義的な政策をやりだすことの方が怖い。これはアメリカなどでも共通してあり得るが、選挙では国民に特になることを言って、当選すると好き勝手するという場合はかなり厄介である。その場合も同様に政党の「門番」としての役割を期待することに加えて、公約など当選前の情報に「試験紙陽性」の要素が少しでもないかきっちり探すこと、さらに早めに次の選挙で落とし、何回も当選させないことが重要であろう。


おわりに

 民主主義は立憲主義による憲法だけでなく、規範的な不文律にも支えられていて、それが破られると民主主義が崩壊する、というところが興味深かった。また、政党の役割にスポットを当て、(当ブログには割愛したが)様々な段階で政党が門番として民主主義を護ってきたというのは面白い。

 それでも、私はやはり有権者が独裁者を止めることが不可能であると思うべきではないと考える。政党がしくじったら、いよいよ国民による選挙でしか止める方法がないのである。独裁者の卵の兆候をできるだけ細かくそして事前に知っておくために、この本をより多くの人に読んでほしい次第である。

[引用内での[]は意味を分かりやすくするために付け加えたもの。]

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