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第8回 突然やってきた会社と社長のおわり

学生のみなさん、おはようございます。
これまでの講義を思い返してみましょう。「社長のおわり」というものの全体像を見て、そのおわりには「強制終了」と「任意のおわり」があることを学びました。任意のおわりの各論として、廃業、社内承継、M&Aも見てきました。社長が自分で決着をつける場合の選択肢ですね。
一方の強制的なおわりについては、これから学びます。迷子にならないように、いつも全体に立ち返り、今私たちはどこにいるのかを確認しながら進みましょう。


今日はいつもと趣向を変えて、あるストーリーをお話しましょう。知識としてではなく、「社長おわり」というものを感覚的にとらえていただけることを目的とします。
ご紹介するストーリーは、私の祖父の会社の最期です。私が、社長のヤメ活の普及を使命とすることになった原体験の一つです。
あなたは、この話から、何を感じ取れるでしょうか。
私を前からフォローしてくださっている方の中には、この話を聞いたことがある方もいるかもしれません。それでももう一度、私の祖父の立場になって、この終末を味わってみてください。

とある会社の終末ストーリー


★金があったのに倒産!?


私は、20年前、祖父の会社の倒産事件の処理の現場にいました。
ジイちゃんの会社の倒産は、普通の倒産とは違いました。
普通は資金が枯渇して潰れますね。
でもジイちゃんの会社には、大量のお金がありました。
いや正しくは、あるはずだったのです。

会社はかなり儲けていたようで、金庫の中には最大10億円以上の札束が積まれていたこともあったそうです。
じいちゃんは、銀行と国を信じていなかったのでしょうか。金を口座に預けるより、現金で生じしていたようです。

戦争にも行った寡黙なジイちゃんは、とにかく寝る間も惜しんで一生懸命働きました。
私が「独立して司法書士事務所を作ります」と報告に行ったときには「とにかくがんばれ。努力すればどうにかなる」と言われました。
いかにもジイちゃんらしいです。
そんなジイちゃん、お金の使い方は知りません。
一切贅沢をしなければ、ほぼ投資的なこともしていないようでした。


★ジイちゃんの金に手を付けた母

時は約20年前のある日です。

何かの会合があって軽く酔っていた夜、今は亡き母から「急いで500万円を貸してほしい」と電話がありました。
なんじゃそりゃ?!と、私は彼女に理由を尋ねました。
しかし、動揺しているようで、母の言葉は支離滅裂です。
「たいへんなことになっちゃった」
「500万貸してくれないと、おジイちゃんの会社をつぶしてしまう」
「もう私は死ぬしかない」
大泣きしながら発する言葉は、何を言っているんだかまったく理解ができません。
ただ、大変なことになっていることだけわかりました。


どうにも、母は弟の長男(私からすると叔父さん)と一緒になって、ジイちゃんとジイちゃんの会社の金に手をつけてしまったようです。
そして、「明日までに2500万円を持ってこないと不渡りになって会社が倒産してしまう。でも、その金を持ってきたら2週間後には3000万となって戻ってくる」と、債権者から提案されているそうです。
なんのこっちゃ?という感じですが、これ以上たしかな情報が出てきません。

高齢になったジイちゃんは、肩書は社長であるものの、すべてを長女の母に任せっきりにしていました。
会社の実印も祖父の個人の実印も、母が管理していました。
ゆえに、母がその気になれば何でもできる状態です。

母がそこまで祖父からすべてを任されるようになった理由は、叔父さんが起こした過去の不祥事に起因するのでしょう。
きっとジイちゃんも当初は、長男でもあった叔父さんを「いずれは自分のあとつぎに」と考えていたはずです。
叔父さんはジイちゃんと一緒の家で暮らしてもいました。
ところがあるとき長男は、ヤクザがらみの不祥事を起こしました。
そのときの不祥事では、祖父が全面に出ていって、問題を金の力でねじ伏せたそうです。
ヤクザに強いと評判で、自分がヤクザみたいな弁護士を雇い、示談金を払ってことを終わらせました。
弁護士にも相当な額を払ったそうで、火消しのためにトータル何億円も使ったようです。

この事件で居場所を失った長男は祖父の会社を去り、家にもめったに戻らないようになりました。
この時のヤクザとの接点が、また後の事件を引き起こしたのかもしれません。
ジイちゃんはこんなこともあって、長女である母をより頼りにするようになったと思われます。


★私はお金を出してあげるべきか?


場面を、母から「金を貸してくれ」と泣きせがまれている私に話を戻しましょう。
500万円という金額は、当時の私には貸そう思えば貸せない額ではありませんでした。
なんといっても濡れ手に粟の過払い金バブルを謳歌していた頃です。
こういう言い方をするのは申し訳ないのですが、本当に狂った仕事でした。
武〇士とかア〇ムなどのサラ金への返済履歴を、利息制限法に従って計算しなおすと、返済の超過が判明します。
その分を「返せ!」と請求し、戻ってきた金の2割を事務所の報酬としていただきます。
サラ金に電話一本かけたら50万円の過払い金が返ってきて、即10万円の事務所の売り上げが発生。
この間5分です!
効率が良すぎます。
おかしな世界でした。

稼ぐことはできても、私はこの仕事を好きにはなれませんでした。
文字通り金のためだけにやっていた仕事です。
顧客への印象もよくありませんでした。
多額の借金を背負う人たちがお客さんで、もちろん中には本当に同情すべき人もいました。

しかし多くのケースは、自業自得と思わずにはいられません。
きっと借りるときは、サラ金にペコペコしながらお金を貸してもらっていたはずです。
利息や法律のことなんてちっとも考えていません。
なのに、たまたまお金が返ってくることを知ったら、態度を豹変させ「被害者のために、サラ金は一刻も早くお金を返すべきだ」と正義面しちゃったり。


そんな債務整理の仕事でしたが、学べたことがいくつかありました。
なんといっても金を返さない側の人間を山のように見てきましたからね。


その一つが「今の母みたいな人間に金を貸しても無駄だ」ということです。

仮に金を貸して援助してあげても、ほかの借金の返済に使われるだけです。
本人のためにもなりません。
母は視野が狭くなって、物事を客観視できていません。
苦し紛れにその場しのぎで動こうとしているだけなのです。
どんなに頼まれても、どんなに相手が苦しそうでも、まだ落ちていく途中にいる人間に金を貸してはダメです。
この時点では、犯した罪を受け入れ、反省もしていません。
問題をどうにか無かったことにしようと、逃げているだけです。
当然、再起もできないし、援助で渡した金はムダ金になります。
どんなに困っていようが、底まで落ち切り、本人が失敗を認め、再起のために這い上がろうとするまでは見守るしかないのです。



★あっという間に7億円が溶けてなくなった?



私は母に金は貸かさず、状況の把握を試みるため聞きとりをしました。問題がどうなっていて、解決するにはどうしたらいいかを探るためです。

 私:「ジイちゃんの金に手を付けたのはわかったけど、いくら使ったの?」
 母;「・・・・・・、全部」
 私:「全部って!? だって、7億円くらいはあったんでしょ?」
 母:「・・・・・・」
 私:「じゃあ、本当に全部使ったとして、何に使ったの?」
 母:「よくわからない。弟が・・・」
 私:「叔父さんはどこにいるの?」
 母:「いなくなった。連絡取れない」
7億円って簡単にパッっと消えてなくなる金額なのか。
にわかには信じられません。

さらに、まだ返してもらっていない借用書がたくさんあるそうです。
そこには債務者や連帯保証人として、母や叔父さんの名が書かれているだけでなく、勝手にジイちゃんの名も書いたとのこと。
祖父の印鑑証明書も渡していました。

この事実は、単に金が無くなったことにとどまりません。
まだ、支払わなければいけない借金が大量にあって、最いくら払えば問題が終わるのかすら見えないことを意味しているのです。

母は借金を保証するためジイちゃんの会社の手形も振り出していました。
不渡りになったら、その時点で会社は死んでしまいます。


私はどうにも嫌な予感がしたので、法務局に行ってジイちゃんの自宅と工場の登記簿も閲覧してみました。

ビンゴです。
なんと、知らない個人名の抵当権が7つほど付けられているではありませんか。
街金とか闇金が絡んだ債務整理の案件では、こうした個人名の抵当権を付けられているケースをよく目にしました。
すぐさま母親に問いただしても「知らない」「そんなわけがない」ということです。
まったく埒があきません。
とりあえずここまでが、わかったことです。
えらいことになりました。
7億円はあったはずのジイちゃんの金はすべてなくなっていて、自宅も工場も人手に渡る寸前です。
それをやらかしたのが母親と叔父さん。

これはさらにその後で発覚したことですが、母親は父と共有の夫婦の金まで使い果たしていました。自宅だって、名義はすでにヤクザのものに変わっていました。

自分のものだと思って何も疑わずに住んでいた家が、実は、いつの間にかヤクザの物になっていたということです。
あらら、我が家は裕福な家だと思っていましたが、いつのまにか一文無しです。


★すべては最初から仕組まれていた罠



どうしてこんなことになったのでしょうか?
母や叔父さんは、どうしてこんなことをしたのでしょうか?

常識で考えたら、ここまでの事件は起こせません。
この問いを、私は、数カ月にわたる事件の処理をしながらずっと考えていました。しかし、最後まで解けない謎でした。
なにせ本人たちからいくら話を聞いても、まったく要領を得ないのですから。
逆に、本人たちが状況を整理できていたら、こんなことにはならなかったのでしょう。

そんなわけでこれからお話しする事の経緯には、私の憶測がかなり含まれています。
母や、後で捕まえた叔父さんからの話に、私が理屈を加えたものです。


「姉ちゃんいい投資話があるんだけど」

ある日、ジイちゃんから干されていた叔父さんが久々に姿を現し、母にあるもうけ話をもってきました。
話を聞いた母は、協力することにしました。

協力するといっても、それはジイちゃんの会社の金を無断で出すことです。
子供たちはジイちゃんを恐れていたので、とても金の相談なんてできません。
一緒にいるけど、コミュニケーションはない。
常にじいちゃんから指令が来て、子供たちはそれを有無も言わずに実施する、そういう親子関係でした。

先に死んだバアちゃんは、家から干され、落ちぶれたままの長男のことがずっと気がかりだったようです。
死ぬ間際にも母に「長男のことを頼む」と言って死んでいったそうです。
母には、叔父さんをどうにかしてやらねば、という気持ちがあったのでしょう。
叔父さんが持ち込んできた投資話、最初はうまくいきました。
話の出所はヤクザです。
成功して気分が良くなっているところに、すかさず次の投資話が持ち込まれます。

またもや成功します。
「すごいですね!」「さすがですね!」と、叔父さんは熱烈に接待されるようにもなって有頂天です
一時は、歌舞伎町で羽振り良く遊ぶ叔父さんの姿がよく目撃されていたそうです。

このまま成功が続くわけはありません。
すべて最初から仕組まれている罠なのですから。

調子に乗って大きな金額を投じだしたあるタイミングで、損をさせます。
本人らは焦ります。
損を取り戻したいと思うのが人間だし、今回は自分の金じゃないのでなおさらです。
そこに偽の救いの手が差し伸べられます。


「あら、1億円の損が出ちゃいましたね。でも大丈夫。○月○日までに1億5000万円を用意していただけたら、次は2億円になって返ってきますから」みたいな感じです。
損を出した本人は取り戻そうと躍起になって金を集めてきます。
この地獄の無限ループに落とし込めば、あとは本人が金を集められなくなるまで同じ作業が繰り返されます。
私がこの事件を知ったときには、その末期でした。
なお、反撃をさせないように、ヤクザは、本人たちにとって都合の悪い証拠などは事前に押さえてあります。


★失敗を無かったことにしようとするともっと大きな失敗になる



以上が、この事件が起きた経緯です。
どうでしたか? 
正直なところ、こんな大きな事件になった原因として、到底納得できるものではないでしょう。


だって書いている私ですら信じられていないのですから。

「なんでそんな胡散臭い話を信じたの?」
「こんなんで親の金を7億以上使い込める?」と。

きっと第三者には実感できない、巧妙な心理的テクニックも仕込まれていたのでしょう。
この事件が発覚した後ですら、母はヤクザの話を信じ、まだ金をかき集めて持っていこうとしていたわけです。
歴史にタラ・レバはありません。
それでも私は、初期の段階で「ごめんなさい」と言えていたら、こんなことにはならなかった、と悔やむわけです。
失敗を隠したいという負い目が、ヤクザから見れば絶好の付け入る隙になったのは間違いありません。
もちろん、隠したかった失敗とは、ジイちゃんに黙って彼の金に手を付けたことです。
それを帳消しにしようとしたから、ヤクザに付け込まれたのです。
結果、問題は誰の手にも負えないレベルまで膨れてしまいました。
私、とても重要なことを話していますよ。
みなさんにも起こりえることです。
何かをやらかしてしまった。
そのとき、そこでちゃんと立ち止まって、悔い改め、問題を清算できればいいのです。

しかし、そこで受ける痛みから逃げて、失敗をなかったことにしようとする・・・
こうして傷口を大きくしてしまうケースって本当に多いのです。
私らは人の失敗で学ばせてもらいましょう。


★戦場に一人取り残された私


事件が発覚し、すぐ緊急一族会議が開かれました。
状況を聞いたジイちゃんは、一言「なんとかしろ」とだけ言っておわり。
会議では「会社を守らば。金を取り戻さねば」と次男の叔父さんが熱弁を吐いていました。

おそらく数日以内には、市中に出回っている手形が落ちずに不渡りとなります。
すると、(自称)債権者が押し寄せてくるでしょう。
とりあえず、ジイちゃんと母を田舎のほうに引っ込ませて身の安全を図ることになりました。

予想通り手形が不渡りになりました。
債権者を名乗る輩10数名が一斉に会社に押し寄せてきました。
「俺が話をつける」と出て行った次男は、輩に取り囲まれ、激しく突き上げをくらいました。
債権者の塊から戻ってきた時には「こりゃだめだ・・」とつぶやき、そのまま力なく立ち去っていきました。

会社は一瞬にしてはじけ飛び、雇用も、仕事も一瞬にしてなくなりました。
自宅を併設する、ジイちゃんの会社からみんないなくなりました。
そして私だけが現場に残されました。

まず私は、この事件の落としどころを考えました。

(もう金は返ってこないだろう)
(しかし、不動産の所有権はまだ祖父名義だ。これだけは守れるかもしれない)
(そのためにまず、占有を続けなければ)
こう考えました。

みんなが逃げ去った家と工場は、もぬけの殻となってしまいます。
ここにヤクザが入ってきて占有されたら、後に所有権を主張して排除しようとしても、相当困難になるはずです。
かつて私は、賃料を1年以上滞納しているアパートの賃借人を追い出す仕事を受けたことがあります。
裁判は簡単に勝ちましたが、開き直っている賃借人はアパートから出ていきません。
そうなると強制執行しかないのですが、それにもとても長い時間がかかり、苦労もしました。
金のない賃借人からは、滞納家賃を回収できないうえ、裁判や強制執行の費用までも大家が負担しなければなりません。


占有している人間を強制的に排除するのは大変なのです。
不法に不動産を占有して金をせびり取ろうとする占有屋という人間も存在しているそうです。
私は、ヤクザに占有だけはさせてはいけないと考えました。


では、いかに自分で占有をし続けるか?
誰もいなくなっちゃったので、とりあえず私がジイちゃんの家に住むことにしました。
念のため、近くの交番にも事情を伝え、警戒しておいてもらえるようにお願いもしました。


やたら広いジイちゃんの家で、私はぽつんと一人です。
家の様子を伺おうとする明らかに怪しい人間を、目撃したことは何度もあります。
門に猫の死骸がつるされていたこともありました。
ヤクザからの嫌がらせです。
夜寝ようとしても、何かもの音がすると「誰か侵入したか!?」とハッと目が覚めます。
こんな日々を続けていては、とても神経が持ちません。

当時の私は、駆け出しの司法書士事務所の所長。
仕事がたくさん来るようになって、事務所が大きくなりはじめたころです。
事務所の仕事をスタッフに任せきりにするなんて、まだできません。
日々の仕事をこなすだけでもいっぱいいっぱいなのに、OFFでは、まったく心身を休めることができない。
これでは、すぐに力尽きてしまいます。


誰か、私の代わりに占有を続けてくれる人を見つけなければと、私は考えました。
そこに人材派遣業をしていた知人の社長から助け舟がやってきます。

「うちに住むところ探しているブラジル人の家族がいるんだけど、ここに住ませたらちょうどよくない?」

早速紹介してもらいました。

 私:広い家に住みませんか? 賃料はタダでいいですよ!!
 ブラジル人:(ニコニコ)
 私:誰か来ても、日本語わからないと言っておけばOKですから。
 ブラジル人:(ニコニコ)


こうしてジイちゃんの家の占有を守れる目途がつきました。
思えばこの騒動で、私のことを一番助けてくれた一人が、このブラジル人を紹介してくれた社長でした。
いつも気にかけてくれて、知り合いの探偵も紹介してくれました。
後にヤクザと話をするときは私の立場を配慮して、窓口にもなってくれました。
「奥村先生にはたくさん恩があるからさぁ」と飄々と言いつつ、ずっと助けてくれました。
いつも風俗とエッチの話しかしないけど、最高な人でした。
この事件を通じて認識したのは、身内より、他人のほうが私を助けてくれるということです。

親類なんて自分は何もしていないくせに、好き放題言いたいことを言います。
「どうなってる? 早く解決しろ」
「もっとこうしたらどうだ?」
こちらも「だったらお前が私の代わりをやれ!」と何度もブチ切れていました。

その一方で、私を助ける義理なんてないのに、とことん尽力してくれる他人の存在……。
なんでしょね、本当に。


★いざ反撃開始!



家の占有を代わってもらって、動けるようになった私は反撃に転じました。

ジイちゃんの自宅には、あほほど謎の抵当権が付けられていましたが、法務局で当時の申請書を調査したら、登記の際の印鑑証明書はすべて偽装されたものでした。
よくできているけど、本物とよく比べると印影は微妙にずれています。

ジイちゃんが自分で自宅等を担保に差し出したわけではないと証明できそうなので、裁判を起こせば、抵当権は無効なものとして消すことができると予想しました。
それにしても、敵はサクッと偽装の印鑑証明書を作成し、登記まですることができる組織なわけです。
(怖いなぁ、怖いなぁ)


私は弁護士を立て、抵当権抹消の訴訟を起こしてもらうことにしました。
しかし、知り合いの弁護士数名に相談に行きましたが、皆から断られてしまいます。
「申し訳ないけど、ヤクザ相手では・・・」ということだ。

それでもどうにかK先生に引き受けていただけた。
この件があるまでは、ほとんど関係性が無かった先生でしたが……本当にありがたい。
ただK先生には釘をさされました。
「私は裁判手続きにのっとって粛々とやるだけだから、ヤクザと取引はしませんよ」とのこと。


でも私は、それだけでは事件を終わらせることはできないと考えていました。
仮に抵当権が抹消されたからといって、ジイちゃんたちの身の安全が確保されるとは思えなかったためです。
市中には手形や借用書が出回り、ジイちゃんや母親の名が債務者や保証人として出ています。
このあたりをすべて整理できなければ、いつまでも安心できません。

敵も多少は金を出しているのでしょうから、手ぶらで帰るわけにはいかないところでしょう。

ゆえに訴訟で抵抗しつつ、どこかで全体的な落としどころを見つけたいと考えていました。
こういう状況になると、法律というのはもどかしく、使い勝手はよくないものだとあらためて感じます。


★敵が接触してきた


事態を収束させるためには、市中に出回っているすべての手形や借用書を回収しなければいけません。
一枚でも回収し損ねると、また将来、証書を使って脅されたりすることが起きかねません。

ところが、数が多すぎて、全体では一体何枚存在しているのか把握ができません。
事の発端を作った母たちですら、わからないのです。
母が押印した本物の手形や借用書もあれば、偽装で作られた手形なども市中に出回っているようです。


状況を正確に把握できないと、最適な手が打てません。
しかしこうなると、一つ一つを個別に対応して処理をしていくこともできません。


しかし、無限に思えた数々の借金も、元をたどるとどうやら出所は一か所の様子でした。

私はもともと、誰か一人がこの計画を描いていることを想像できていました。
入手した情報から、それを裏付けるものがありました。
その根っこにいる人間と話をつけられれば、個々の手形や借用書を、まとめて消すことができるのではないでしょうか。
そしてついに、そのときがきました。
抵当権抹消の訴訟を起こしたことで、事件の背後にいた人間から接触があったのです。
その筋に詳しい人から聞いたところ、すごい大物でした。


ここから交渉と、攻防がはじまったのですが、ここで詳しく書くことは控えさせてもらいましょう。
表に出すべきではない世界のお話です。
みなさんも、ここまでで十分おなか一杯になったのではありませんか。

とにかくこの後も様々なことがありました。
手のひら返し、オウム返し、ちゃぶ台返し……と、もうフルコースです。

紆余曲折ありしたが、何はともあれようやく話がつきました。
こちらはジイちゃんの自宅と工場の所有権を放棄するかわりに、金をもらって終わりにするという線です。
市中に出回った手形と借用書は、すべて先方が回収することも約束済みです。
金と書類の受け渡し場は、裁判所を指定しました。

双方で所有権を移転させるための登記書類を確認し、押印。
同時にヤクザより札束の山を受け取りました。
すかさず、別室で控えてもらっていた仲間や事務所のスタッフに、札束の数と偽物じゃないことを確認してもらいます。

金の確認ができたところで、訴訟の取下書を、裁判所の窓口に提出。
取り下げをヤクザが確認して、決済は終了です。

こんなに重たい緊張を迫られたときはありません。
でも、地に足はついていました。
緊張もある一定レベルを超えると、開き直る方向に作用するのでしょうか。
裁判所を後にしましたが、まだこれで終わりではありません。
現金を安全な場所に輸送するまでは油断できないのです。
額に汗をかきながら車を運転し、追跡されていないか、何度も、何度もバックミラーを確認しました。
友人にも車を出してもらい、何かあった時はすぐに通報ができるようにもしておきました。

最後はカバンいっぱいに詰まった現金を銀行に持ち込み、ジイちゃんの口座に預け入れて、ようやくこれで一安心!



★諦念・・・


ジイちゃんの会社の倒産事件はひと段落しました。
とにかくとんでもないストレスの日々でした。
人生においてこれ以上、恐怖、緊張、嫌な気分を感じ続けたことはありません。

最も不快だったのは、身内から人間の愚かさ、いやらしさを痛感させられたことでしょう。
「こんな奴らに関わりたくないから、もうやめよう」と思えばそれもできたはずです。
ほかの親族のように逃げて、無関係を装うこともできたでしょう。
でも、私は去らなかった。
最後まで仕上げた。
ではなぜ、降りなかったのでしょうか。
この問いは自分でも興味深いものがあります。
あなたは「祖父や自分の母親のためにがんばろうとしたんでしょ?」と思うかもしれません。
でも私には、このあたりの道徳観や常識的感覚が欠けているようです。
祖父であれ親であれ、自分とは別の人という感覚を持っています。
血縁なんて言われてもピンときません。
この事件の最中に、ジイちゃんから「お前の母親がやったことだから、子供のお前がどうにかしろ」と言われたことがありました。
これにはカチンときました。
即座に私は、「ふざけんな! お前の子供がやったことなんだから、育てた親の責任だろ。あんたが自分でどうにかしろ」と怒鳴り返しました。
あの一族でジイちゃんに面と向かってものを言った人間は、私がはじめてかもしれません。
みんなジイちゃんを恐れ、ただ盲目的に言うことを聞いていた。
このあたりも闇が深く、この事件を生んだ一因となっている気がしてなりません。


ともかく私は、母親がやったことだから自分が責任を取らねば、と思って行動していたわけではありません。
祖父の財産を取り戻そうという使命感に燃えていたのでもありません。

では?
ただ、なんとなく、でしかないのです。
なんとなく自分がやるしかない気がしました。
たまたまその場に居合わせしまい、たまたま状況をどうにかできそうな知識や技術もある。
やらないとずっと胸糞悪くなるだろうし・・・
仕方ないから、あきらめて受け入れるか、という感じです。
この境地は仏教用語の『諦念』という言葉にきわめて近かったんじゃないでしょうか。
そう、諦念。
あきらめて状況を受け入れるか、否か。
どちらにしても、選択の結果は自分に返ってきてしまいます。
受け入れるも地獄。
現実を拒絶するのも地獄。
ただ、自ら受け入れることにした地獄は、案外長くは続かない気がします。


社長のおわりを感じ取る


いかがでしたか。
語りはじめると、どうしても長くなってしまいますね。

さて、この事件を、社長だった私の祖父の立場になってもう一度感じ取っていただけますか。
頭で考えるでもなく、解釈するでもなく。ただ、味わって、感じ取っていただきたいところです。今日の講義の目的は、社長のおわりというものを感じることです。


祖父は、事件が沈静化した後も田舎に引っ込んだまま、ひっそりと息をひそめるように生き、そのまま亡くなりました。体一つで事業を立ち上げ、一代でかなりの財を築いた人間の最期にしては、寂しいものです。

「バアさんは先に死んでうらやましい」
晩年は、夜に酒を飲んで、こう嘆いていました。先に死去した妻を想い出し、こんな経験をしないで死ねてうらやましいというのです。
私には衝撃的な姿でした。祖父はとくに寡黙な人間でした。戦争にも行った祖父は弱音なんて吐く人ではありませんでした。それが・・・

彼は、人生の終了間際ですべての財産を失いました。
育てた会社は木っ端微塵に砕け散り、社長という地位も失いました。
子育てや後継者育成の失敗を、子供たちからの裏切りという形で責任を取らされました。
そんな祖父を見ながら、私は痛感しました。


終わりの場面で失敗すると、もう挽回はできない、と。

そして、社長は自分でゴールを創らないと、納得できるおわりを迎えられないということも。
この悲惨な終わり方は、自身の社長人生に対して、中途半端なことをした報いともいえます。けじめをつけず、成り行きに任せた姿勢が招いた結末でもあるのです。




《事務局からの連絡》

①宿題・感想の提出


今回の宿題は『社長のおわり』について感じること。
もし感想を書き出してみた方は、ぜひ読ませてください。
提出は、奥村のホームページの問い合わせフォームからお願いします。
 → 奥村のホームページ

②次回の講義

次回の講義は3月22日(金)の予定です。

③入学金の納付手続きについて

払っても、払わなくてもいい入学金(税込8万8000円)は随時受付中!!
ご納付は、リンク先のシステムで決済してください。
  → 入学金決済システムへ

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