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第10回 いつまでも決断できない社長に足りていなかったものは?


講義を始めましょう。
今回のヤメ大は、みなさんの内面にフォーカスしてまいります。
もう学びに飽きてしまっていませんか?
あと少しですし、ここからが踏ん張りどころですよ。

理屈だけじゃ前に進めない


私のコンサルタントとしてのキャリアは、司法書士という法律系の資格からスタートしました。
だから初期のころは、法律の技を使った提案をたくさんしました。

もちろん、検討に検討を重ね、自分ではベストだと思った提案をします。なかには、状況からして「これ以外の道なんてありえない」と感じながら、提案した策もあります。

ところが予想に反して、受け入れられないケースがありました。
クライアントからは賛同されつつも、実際には動いてもらえないケースも多くありました。

なぜなんだ? 
理屈は間違っていないのです。

場数を踏み、そんな不可解な経験をいくつも重ねるうちに、その原因が見えてきました。
クライアントである社長の心理的な問題が、障害になっているときがあると気がついたのです。

私は、法律や数字をよりどころとして提案を組み立てていたので、その内容は間違いなく正しいものでした。しかし、社長がそれを受け入れられるか、やりたいと思うかは、別の話だったわけです。

社長の心のエネルギーが不足してしまっていたら、どんなに良い提案を受けても、ものごとを動かすことはできません。
口では「問題を解決したい」と言いつつ、本音は「このまま放っておいて欲しい」と社長が思っていることもあります。
心を閉ざし、現実から目を背けてしまっていることもあります。こうなると、何を言っても社長には届きません。

こうした経験を踏まえて、社長の心理状況や思考パターンといった内面のサポートまでしなければならないと、私は考えるようになりました。
そこでコーチング等のコミュニケーションスキルを学んだこともあります。もちろんより価値を提供できる仕事をしたかったからです。

しかし、そこまで踏み込んだところで、お金につながらなかったりするのがビジネスの憎たらしいところ。形式的で、表面的な仕事だけをしているほうが、はるかに効率よく稼げたりします。

本質に切り込むというのは大変です。まったくもって腹立たしい。
あ、愚痴はよくないですね・・・


「大口顧客に取引を切られてから赤字が続いています・・」


ある社長との歩みをご紹介しましょう。ひとまずここでは佐々木社長という仮の名で呼ばせていただきます。
事例を通じて、社長が会社を手放す判断にいたるプロセスを知り、どうやったらこの重大な決断ができるようになるのかを一緒に見ましょう。

佐々木社長は、奥様にお尻を叩かれて私のところに相談にきました。
「会社をどうしたらいいか?」と悩み、何年もウジウジしていたそうです。話を聞いていた奥さんも、同じ話の繰り返しと、悶々とした空気に嫌気がさしていたようです。
自分たちだけで考えていてもらちが明かないと考えた奥様は、適任と思われる相談相手たる専門家を探しました。そこで私のことを見つけてくれたのでありました。

「良さげな相談相手見つけたから、行くわよ」という感じで、佐々木社長は私のところに連れてこられました。


★過去の栄光で食べている


佐々木社長の会社は、ニッチな分野での貿易と卸業をしていました。
昔はたいそう儲かっていたそうです。

でも今は市場が縮小し、消費スタイルも変わったために右肩下がりが続いていました。
さらにそこに、大口顧客のオーナー変更による大打撃が加わりました。大口の顧客が破綻し、他のスポーンサー企業が新たなオーナーになったのです。

オーナーが変わった大口顧客は、仕入れ先を見直しました。結果、佐々木社長の会社も取引を打ち切られることになってしまいました。
収支は一気に赤字へと転落です。

佐々木社長の会社には、過去に稼いだ分の内部留保がかなりありました。不動産などの高額資産もあります。そのため今すぐつぶれるということはありません。
でも、足元では資金が流出しています。ここ数年の収支は、結構な額の赤字です。

会社のこの状態は、何を意味しているのでしょうか。それこそ、事業では何の価値も生み出せていないのに、スタッフは、お給料だけはしかりもらっているといえます。
これではビジネスではなく、慈善事業です。まったくもって健全ではありません。

「赤字をどうにかしなければ」と佐々木社長が考えなかったわけではありません。
しかし、これまでに新しく取り組んだことは軒並み失敗。すでに、事業の立て直しになりそうなアイデアを、もう社長は持ち合わせていません。

あるときナンバーツーのスタッフに「うちの会社はどうしようか?」と聞いたら、「それを考えるのが社長の仕事です」と冷たく返されて、ヘコだこともあったそうです。


★廃業の決断と頭をよぎるスタッフの顔


こんなプロセスがあり、「会社はたたむべきだ」と考えたことは、1度や2度ではありません。
でも、その度に周囲の人の顔が浮かんでしまいます。

特にスタッフです。
7人くらいの小さなチームでずっと仕事をしてきました。若い人材が多く、みんなこの業界と会社が大好きです。アットホームな雰囲気で、夜は毎晩一緒にご飯を食べてから帰ります。
内心では会社をたたむことを考えているのに、ニコニコしてみんなと過ごさないといけないこの時間が、社長にとって苦しかったそうです。

スタッフのことを考え出すと、廃業に傾いた気持ちの天秤は戻されます。みんなを辞めさせて、俺だけ逃げ切るみたいなことはできない、と。
しかし、また時間が経てば、うまくいかない経営を目の当たりにし、廃業の2文字が頭によぎるのでした。

なまじお金があるから、悩む時間が作れます。社長の頭の中では、やめるか続けるかの堂々巡りがずっと繰り返されてきたわけです。

「もう悩み続けて、疲れ果てました」佐々木社長は力なく笑いました。


★おじさん2人のカフェデートを提案?


さて、相談を受けた私は、どうしたものか。
月に1度か、2度、定期的にカフェでお茶をしながら話をすることを提案しました。

私の意図はどこにあったのでしょうか。
(おじさん同士でカフェデートをしたかったのか?)


私は、佐々木社長がこれまでの延長線上でものを考え続けたところで結論は出せないと感じていました。
会社をたたむか、継続するか、どちらも間違っていないし、どちらが正しいということもありません。どっちを選んだって、大きな障害と避けたい痛みがあるわけです。
同じ次元でものを考えていては、この堂々巡りはいつまでも終わることはないでしょう。

そこで私は、決定者である「佐々木社長を変える」という発想をしてみたのです。

佐々木社長の中に、決断をするための“ものさし”を作ってもらうことであったり、決断ができる胆力を育むようなイメージです。選択肢をいくら比較しても答えが出せないのだから、答えを出せる人になってもらいましょう、ということです。

結局、会社をたたむのも続けるのも、決断する人の個人としての価値観次第だったりします。また、一度決断したならば、それを実行しきるだけの覚悟も求められます。
それらが佐々木社長には欠けていました。その状態で、いくら選択肢を検討しても堂々巡りになってしまって当然です。

このように、悩みが終わらない原因が、実は、自分自身にあるというケースが案外あります。

たとえば家を建てるための土地探しをしている人が、たくさんの土地を検討したのに、長く決定に至らないケースをイメージしてみてください。
本人は「どの土地も決め手に欠けるな」と、決断できない原因を土地の責任にしているかもしれません。しかし本当の問題の所在は、本人が、自分で自分の希望を理解していなかったり、条件を整理していないことだったりするのです。


★本音を語れない社長


価値観や覚悟といった軸がしっかりしていないと、重大な決断はできません。佐々木社長の問題は外ではなく、社長の中にあったというわけです。きわめて個人的なことなのです。

意外かもしれませんが、社長には自分というものがあまりありません。
わがままにやっているように見えるかもしれませんが、自分が望んでそのようにふるまっているのでもなかったりします。
あくまで社長という立場が前提となっています。いわば、自分=社長になってしまっているのです。

だから、肩書や立場を取り去って、「一人の人間としてどうしたいのか?」を問われる場面になると、判断に必要な軸がしっかりしていないことが多々あります。
いつまでも社長としての建前トークが展開され、本音がなかなか出てこなかったりすることも。

社長としての立場を貫こうとするのは、それはそれで偉いところです。
でも最後の最後は「社長ではなく、一人の人間としてどうなのか?」ではなないでしょうか。

「社長としてどうあるべきか」「世の中的な常識はどうか」なんてものは、よりどころにはなりません。そんなもので人生のかかった重大な決断なんてできません。仮にしてしまったら、後悔という名のお土産が手渡されるだけでしょう。


★社長が変わった!?


カフェデートをすることも、佐々木社長に、「一人の人間として、本当は、自分はどうしたいの?」を語ってもらう思惑でした。
そして、対話をしながら、佐々木社長という人間の本質が、どんなものなのかを一緒に潜って見つけようとしました。

一緒に潜るというのは、自分で書いていながらうまい表現だと思いました。たしかにそんな感じでした。「今日はこのあたり潜ってみましょうか?」という感じで、カフェでは会話をしていたのです。

たとえば「社長って、小さいころ何に夢中になりました?」と私から社長にボールを投げてみました。すると、こんなことを佐々木社長が語りはじめたり・・

「親は経営者だから仕事ばかりで、ほとんど子供の自分にはかまってくれなかった。だから自分で暇つぶしをしないといけなくて。
僕は、家にある材料で何か組み立てることが好きだったなぁ。材料は会社の資材だから、勝手に使ったことがバレたら怒られるんだけど。(笑)

夢中になっていたことを言えば、親父の目を盗んで工作することですね。

そういえば、自分はエンジニアになりたかったんです。もともと親のあとを継いで社長をやりたかったわけではありません」

とってもいい感じです。
社長の建前ではない、素の自分が出てきています。


子供の頃の話を聞いたことにも狙いがあります。
子どものときにやっていたことにこそ、純粋な自分の本質というものがよく表れていると私は考えます。だって、金のためにやる必要なんてないですからね。そして、人間的な本質って、大人になっても変わりません。

こんな感じでいろんな質問をしながら、「自分にはこんな一面や傾向がある」と確認してもらう機会を作りました。
こんなセッションが半年くらい続いた頃でしょうか。あるとき、佐々木社長がこんなことを語り始めました。

「先生、僕ね、毎年仲のいい奴らと集まってるんですよ。小さな同窓会みたいな感じで。で、その時旧友から言われたんです。『お前、なんかふてぶてしくなったな』て。
どうにも、奴が言うには、僕は周囲ばかり気にキョロキョロしてるようなところがあったそうです。ところが今回会ったら、それが無くなって雰囲気が変わったと。
良いことなのかわかりませんが、僕にも変化が起きているのかもしれませんね」

(たしかに!)
このエピソードを聞いて、私にもうなずくものがありました。

佐々木社長は、人がよく、一方でいつもそわそわしているような感じがありました。その性格は目線にも現れていて、瞳がキョロキョロするという初期の印象を思い出しました。

ところが言われてみると、たしかに落ち着きが出て、ふてぶてしさが増していました。いつまに、という感じです。

毎年会っていた友人が気づくほどの変化って、すごくないですか。人間は60歳を過ぎてもまだまだ変われるし、成長できるのです。
もちろん変わった理由は、自分を再確認して、自分の軸というものが固まったからでしょう。

「会社をたたむことに決めました」
時を同じくして佐々木さんは、私にキッパリと宣言をしました。


前に進むための自分の軸を見つける


やめることにする理由を聞けば、佐々木社長は、会社の状況や経営環境などを素材にして、いくらでも、もっともらしい説明をすることができたでしょう。

でも、真に大切なことは、自分が決断できる人間になったということです。

みなさんそうです。ヒントや答えが落ちていないかと、外ばかりを探します。会社の着地でもそうです。うまくやった成功事例を探します。得をさせてくれそうなテクニックや制度を探します。

でも、ヒントも、答えも、自分の中にしかありません。
ここまで言い切ってしまうことに不安がないわけでもないのですが、やっぱり私の経験上、これは確信しています。
よりどころになるもの、前に進むエネルギーになるものは、自分の軸なのです。

軸がなければ、重大な決断はできません。問題点ばかりに目が行き、あーでもない、こーでもない、と悩みます。一方で自分の軸があれば、佐々木社長のように自然と決断ができるようになります。

「むしろ人生がどう期待しているかだ」 

私が好きな『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル)の一節です。ナチスの強制収容所に容れられた著者である心理学者は、人間が2パターンに分かれることを観察します。人が人と扱われない超劣悪な環境で、退廃して終わっていく大多数の人。一方、この最悪な環境でも、己の人間性を磨き、より高尚な生き方をまっとうする人。
この差はどこにあったのかを考えたとき、著者はこう結論づけたのでしょう。

一般的に私たちは、こんな人生であったらいいのに、と人生に期待をします。(「金儲けができる人生がいいな」とか)

でも、フランクルは言います。逆だぜ、と。
人生という舞台があり、そこに立つ役者である私たちは、舞台が私たちに期待することに応えるべきだということでしょう。

人生という舞台は常に「お前はこう生きろ!」と信号を発しています。その信号を受け取り、誠実に応えようと生きる時、人は本当の力を出せるのだと私は解釈しました。
使命であったり、存在意義といった言葉と近いところなのでしょう。(ただこういう言葉にしてしまうとちょっと軽すぎる気もします)

これまで長らく経営をやってこられたみなさんならば、腑に落ちるものがありませんか。

自己都合や打算ではじめた新事業や新サービスはことごとく失敗する。
一方で、やる必然性のあるもの、やらざるを得ないと感じるもの。この流れに素直に乗ってみると、振り返ったときうまくいっていた、と。あたかも大きな存在に操られているようなときです。

大げさな言い方になりますが、私が佐々木社長と取り組んだ狙いはこれなのです。佐々木社長の人生が佐々木社長に期待していることを見つけようとしたのです。
ある意味で受け身な感じもありますが、この受け身は大好きです。落ち着きます。右往左往しないでよくなります。「なるようにしかならない。やるべきことだけだ」と、淡々とやればいいのだ、と。


書くことのパワー


どうやって人生が期待しているものを知ればいいのか。基本的には過去を振り返る取り組みとなるのでしょう。
誰かと話をしてみるのもいいですし、なんだったら自分の過去を知る人にエピソードを聞いてみるのもいいかもしれません。

もっともおすすめしたいのは「書き出すこと」です。
書くことは、おそらく皆さんが思っているよりも、もっとすごい効果があるのだと思います。

以前お話した、祖父の家業の事件も、このような意図のもとに書きはじめました。

あらためて書き出してみたことで、やっぱりな、と実感しました。
書くことで、当時は見えなかったことが見えてきたり、自分というものを再発見したり。さらには、人から受けた恩をすっかり忘れている自分に驚き、そして反省もしました。

書き終わったときには、あの出来事をようやく清算できたと感じました。昔の話であり、とっくに消化できているものだと思っていたのですが、そうではなかったようです。まだどこかに未消化な状態で残っていたのです。

これらは書き出してみてはじめてわかりました。事件としてはひどく、散々なものでしたが、書き出したことで浄化され、それどころか今後の糧にすらできた感覚です。
書く効果は偉大です。

会社の着地、ひいては社長というキャリアの終わりに臨むにあたり、みなさんにもこの“書く”という行為に臨んでみてはいかがでしょうか。

たしかに書くのは大変です。面倒といえば、面倒です。でも、この行為に取り組むか否かは、その後の大きな差となるでしょう。

真剣に取り組めば、大きなプレゼントがもらえます。今日の講義では、自分のことを書き出す宿題を出すことにしましょう。
ただ宿題をこなすというのではなく、自分を深く見つめ、没頭していただきたいところです。いっそ、自分史を書きあげることにチャレンジするのもいいと思います。



★形式にばかりこだわる癖をやめる


今日の宿題であれ、自分史に挑戦するのであれ、書くための「形式」が気になる人がいらっしゃるかもしれません。
でも、中身の問題であって、形式なんてなんでもいいと思います。
かたちにこだわって、中身がスカスカになってしまうようなことだけは避けましょう。意味がないどころか、逆効果になってしまうかもしれません。

私は過去に何度も取材を受けたことがあります。インタビューを受けて、ライターが書いた原稿を読ませてもらうのですが、ひどい原稿があがってくることがちょこちょこありました。
面白いことに、経験豊富なライターほどそうだったりするのです。むしろ、さっきまで学生だったような若者のほうが良いものを書いてきたりしたこともあります。

もちろんそうなった原因として、私の話がマズかった可能性は否定できません。
私が語る会社の着地の世界はなかなかに複雑です。そのうえで、私の話が下手だったケースはゼロではないことでしょう。

でも、それ以上に原稿をひどくした原因は、ライターの姿勢にあったと感じます。問題にしたいのもその点です。

ひどい原稿を書いてくるライターに共通するのは、ある種の決めつけの姿勢がありました。

私が少しも話してもいない内容を、原稿に書かれたことがあります。
私の話を聞く前から、ライターの頭の中には「このテーマの話は、こんな内容に違いない」という思い込みができあがったに間違いありません。
内容面での決めつけです。

また、話の辻褄が無茶苦茶だったこともあります。
こうなるのは、私の話を聞く前から、書こうとする記事の展開を頭の中で作っていたためでしょう。頭の中の原稿に、私が語った言葉を適当に当てはめようとします。結果、全体を通してみると話の辻褄が通らないものになっていました。
話の展開の決めつけです。

私の話をフラット聞いて、それを自分なりに消化してから原稿を書けば、そこまでひどい原稿があがってくるはずはありません。
原稿を書いて長年飯を食べてきたプロが、こんなものを平気で書くのです。


★定型文に逃げる人の人生は中身も無くなる


そして、こんなダメなライターほど、定型文を多用します。いわば、ひな型です。

たとえば、「○○をやるときは必ず専門家に相談して下さい」という話のまとめ方がそれだったりします。私がインタビューで言っていないのに、勝手に書き加えられることがしばしばありました。
こんな表現からは「こう書いて適当にリスク回避しておけばいいや」というライターの安易な逃げの姿勢が透けて見えます。

その人が書く文章は、その人間性まで伝えてしまうと私は思います。
ダメなライターの文章は、やはり、体裁だけ整えればいい、なんでも無難に取り繕えばいい、という人間性を感じさせました。

定型文を多用すれば、文章のかたちは整っているように見えるし、無難な文章になるかもしれません。

でも同時に、中身が無くて、何を主張したいのか伝わらない文章にもなってしまいます。
定型文って他人の言葉であって、自分の言葉ではありません。使う人は、それについて深く考えることも無く、適当に言葉を使ってしまっています。
定型文で取り繕われた文章には、自分というものが存在していないのです。

ダメなライターたちは、それでよしとしてきたのでしょう。
しかし私にすれば、毒にも薬にもならぬ文章を書いてしまうほうが、よっぽどリスクな気がしてなりません。

中身のない文章を書いていたら、中身のない人間になってしまうからです。

「なんで学長は、急に書くということについて熱弁しはじめたんだ?」
こんな違和感を抱いた方もいらっしゃるかもしれません。
自分は書くことを仕事にしているわけでもないし・・と。

でも私に言わせれば、これほど大切なことはありません。

多くの大人が書く文章が、形式だけのハリボテです。みな、中身よりも、形式ばかりに気にかけます。
そんな姿勢は、書く世界だけにはとどまりません。商売の内容であったり、生き方にまで通じてしまうのです。

私はあなたに、書くことで、人生を拓いて欲しいと願います。書くことにはその力があります。真摯に書けば、思わぬ価値が手に入ります。

文面からあなたがにじみ出てしまう文章を書いてください。抑えようとしたって、あなたがにじみ出てしまう文章です。
そのための形式なんてどうでもいい話です。



全人格をかけて会社の着地に挑め!


今日の講義はここまでです。
一般的な「会社をどうするか」という視座からではなく、決断をする側である社長の内面にメスを入れてみました。新鮮にお聞きいただけたのではないでしょうか。

今日の講義をふまえ、ぜひあなたの姿勢を点検し、人生を振り返ってみてください。

会社の着地というものは、社長人生の幕引きと同義であり、人生の超大イベントです。ちょこっと勉強して手に入れた知識くらいじゃ武器にはなりません。

あなたの全人格、全人生かけて挑むべきテーマです。
自身の生き様をかえりみて、そこから決断するための軸を見出なければいけないくらいの、大きな、大きな話です。


事務局からの連絡

①本日の宿題

「私は、自分が○○だったことを思い出した」という一文から、文章を書きだしてください。

たとえば、学長の私でしたら「私は、自分が一人で図鑑を読んでいるような子だったことを思い出した」という一文で書きはじめます。
なんで当時はそんな子だったのかわからないのですが、掘り下げていくと、忘れていた新しい自分を発見できそうな気がしています。

提出していただける方は、奥村のホームページの問い合わせフォームからお願いします。

 → 奥村のホームページ

②次回の講義

次回の講義は4月5日(金)の予定です。

③入学金の納付手続きについて

払っても、払わなくてもいい入学金(税込8万8000円)は随時受付中!!
ご納付は、リンク先のシステムで決済してください。

  → 入学金決済システムへ

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