ただの愚痴です

戸籍上、あたしには夫がいる。でももう何十年も目を合わせてないし、用事がない限り口も聞かない。それでも離婚しないのは、多分お互い都合がいいからだけなんだと思う
旦那は家事や食事、事務的なこと(税金の処理など様々…)あたしに任せっぱなし
あたしは食べさせてもらって多少自由になるお金がある代わりに、家政婦のような事をしている。
でも、このまま人生が終わってもいいのかな…と随分前から考えている。
そもそも結婚した理由がお互い不実だったのかも…
付き合っている時、農家の長男である旦那は、なかなか相手が見つからなかった。あたしは仕事を辞めたくて、結婚相手を探してた…だから、どちらともなく結婚をする方向へ向かっていった。旦那のことが好きで結婚したわけではなかった…まぁ、今思えばそれがいけなかったのかなとも思うけど…

女は〇〇であれ!みたいな事をいう旦那だった。あたしもそれが当たり前なんだ…と思い3歩下がってついていった。笑っちゃうね。言葉遣いや仕草にも、口うるさい旦那だった
義祖母、義父、義母と同居していた。義父はとても優しい人だった。それだけが救いだった。携帯の使い方がわからないと「教えてくれっか?」と部屋にくる義父だった。義母は年中人の悪口を言ってる人だった。そして義祖母にも厳しく当たり、義父を立てない人だった。この家での暮らしは結構キツかった
やがて義父は肺を患い、入退院を繰り返すようになる。

そして旦那が脳梗塞で倒れた。娘が高1、息子が小6の時だった。パートを長期で休ませてもらい、毎日、2人が学校から帰ってきた後、車で往復2時間かけて病院へ行った。最初の治療と、リハビリのおかげで左半身に後遺症はあるものの1ヶ月で退院した。
でも翌日、再発…今度は場所が悪く言語や記憶障害が出て高次脳機能障害になった。2ヶ月入院し、退院後も病院、リハビリセンターへの週3の送り迎え…1人で頑張ったけど…割と限界だった。娘と息子の存在だけが頼りだった
それでも、社会復帰ができるまで看病をした

その後パパ(実父)が下咽頭がんになった。声を失う事を嫌がったパパは手術を拒んだ。本人の意思を尊重し、化学療法と放射線治療をした
治療の甲斐もあり、パパも退院することが出来た

数年経った頃、パパのがんが再発した
毎日お母さんとお見舞いに行った。入院した頃はもう末期に近く、出来る治療はなかった…が主治医がとても良い方で「最期まで看ます」と言ってくださった
再入院から約2ヶ月くらいかな…パパは亡くなった

その約8ヶ月後、義父が急逝した。入院はしていたが、そんな状態ではなかったはず…
義母も義姉も何も出来ず、葬儀のほとんどをあたしに丸投げした。「お父さんの葬儀をしたから知ってるでしょ?」と…
旦那は判断力があまり良くなく、面倒臭い事を嫌がるようになっていて、ここでも娘と息子の助けがなによりもありがたかった。
お通夜や、葬儀で不手際があっても、義母達は知らん顔…わからないと言うばかりであたしに投げる…お義父さんのため…と思いながら、全てをこなした。謝ったりお礼を言ったり、本当によくやった…と自分でも思う
遺産相続のことまでもあたし主導…おかしいね
やらなければいけない事を一通り終え、近々の法事なども終えた時、この家にもうあたしは要らないな…と思った。この家でのあたしの役割は終わった…と感じた。

ところが義母が数年経ち、相続の件でなぜだか文句を言い始めたのだ。そして自分の息子、孫(娘と息子)あたしに文句を言い始めた
あたしは病んできて仕事に行けなくなった…家から出られなくなった…起きられなくなった。
そして死にたくなった
こんなあたしを見ても旦那は何も言わなかった。娘と息子は、家を出よう!と。このままじゃママが死んじゃう。みんな殺されちゃう…と
それから家を探し、ほんの数ヶ月で4人で実家を出た…義母だけ残して…

実家を出て今年で4年になる。実家の土地家屋の税金を払い、今の借家の家賃を払う…そろそろ今後のことをきちんと考えなければ…と思っている。娘と息子にも話している。どうする?と…2人ともあたしがいないと生きていけないという
今1番の悩み…どうしたらいいものか…