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#357「慶安の御触書」は存在しなかった?

江戸時代、幕府が農民を統制するために出したと言われる「慶安の御触書」。

慶安の御触書の主な内容については↓のHPを参照。

かつては「1649年に江戸幕府が発布した法令」として教科書に載っていたが、現在の教科書にはその記述はない。
ないどころか、「慶安の御触書」という言葉すら消えつつある。

近年の研究では、「慶安の御触書」と呼ばれていた文章は、幕府が発布したものではないという説が定説になっているからだ。

幕府が発令していないとする根拠には以下のようなものがある。

・そもそも実物が残っていない。
・幕府が編纂した幕府の法令集に記述がない。
・百姓を統制するための文書に引用がない。

教科書に『慶安の触書』が載っていないのはなぜですか。

研究では慶安の御触書の原型とみられる文書がみつかっている。
それが、1697(元禄10)年に甲府徳川藩が発令した「百姓身持之覚書」という法令である。
このことから、慶安の御触書は幕府でなく甲府徳川藩が発布したというのが、現在の定説になっている。

勘違いが生まれた原因は、昌平坂学問所を整備した林述斎(じゅっさい)という学者が、美濃国岩村藩の藩政改革において「百姓身持之覚書」の内容を「慶安の御触書」として紹介したことだと言われている。

さらに、明治時代に江戸幕府時代の法令をまとめた「徳川禁令考」に記載され、誤解が拡大していったと考えられている。

【目次】

【参考】


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