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#333 静岡県で茶の生産がさかんな理由

茶の生産量日本一で知られる静岡県。
県内の産地の1つである島田市は、小学校に「緑茶の出る蛇口」があることでも知られている。

静岡県で茶の栽培が始まったのは鎌倉時代と言われている。
後に京都の東福寺をひらいた僧、聖一国師(しょういちこくし)が、中国(宋)から故郷静岡に持ち帰り、栽培がはじまった。
聖一国師が生まれた11月1日は静岡市で「お茶の日」とされている。

茶の栽培は温暖で水はけのよい土地で行われる。
静岡県は太平洋を流れる暖流の黒潮の影響で比較的温暖で、水はけのよい台地が多く、茶の生産にはうってつけの場所だった。

静岡県で茶の生産が飛躍的に増えたのは明治時代。
開国の影響で、茶が日本の主要な輸出品の1つになると、東海道を通して開港した横浜に品物を運べる静岡県で、茶の生産が増えていった。

さらに、職を失った藩士たちが職を求めて牧之原台地の開墾を行った。
当時は荒廃地だった牧之原を、農業の素人である元武士たちが数々の失敗と苦労の末、茶の栽培を定着させていったという。

元武士の他にも、牧之原の開墾に携わった人々がいた。
牧之原のすぐ東側を流れる大井川の川越人足たちである。
急流の大井川に橋をかけることが難しかったため、人力で川を渡らせる「川越人足」とよばれる仕事に就く人たちがいた。

しかし、明治時代に大井川に橋がかけられるようになると、川越人足は廃止されてしまう。
職を失った人々の一部は、牧之原台地の茶畑で働いた。

大井川の東側の人々が牧之原台地を開墾するためにかけられた全長897mの蓬莱橋(ほうらいばし)は、「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに認定されている。

静岡県は、地理的・歴史的なさまざまな条件が重なり、茶の一大産地となったのである。

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【参考】


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