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#50 『蒙古襲来絵詞』の秘密

誰もが歴史の授業で見たことがある『蒙古襲来絵詞』。

蒙古襲来は防衛戦のため、幕府側が新しく手に入れた土地はなく、必死に戦った御家人に褒美として土地を与えることができなかった。
そこで、竹崎季長は絵巻物を作成することで御家人たちの奮闘を幕府に伝え、何とか恩賞を貰おうとしたのである。

よく教科書に載っているのは次の場面。竹崎季長が血を流しながら単騎で集団のモンゴル兵に突入しているシーンである。

「蒙古襲来絵詞(模本)」(九州大学附属図書館所蔵)部分

「モンゴル兵は『てつはう』という火薬を使った武器を使用している」「モンゴル兵の集団戦法に御家人が苦しんだ」といった解説がつくことが多い。
たしかにその通りなのだが、この場面をじっくり見てみるとさまざまな発見がある。

まず、飛んでいる矢の方向である。鋭い生徒はじっくり絵を見ることで気付くのだが、モンゴル側(左)から飛んでいる矢よりも、日本側(右)から飛んでいる矢の方が圧倒的に多いのだ。竹崎季長は血を流して弓を構えられる状況にないのだから不思議である。

この謎は、絵巻物の右側の場面を見ると解決する。

「蒙古襲来絵詞(模本)」(九州大学附属図書館所蔵)部分

このように、竹崎季長の背後から御家人の一団が一斉に矢を放っているのである。モンゴル軍の集団戦法に対して幕府軍は名乗りをあげて単騎で突っ込んで行ったという解説をする人がいるらしいが、負ければ日本を侵略される防衛戦においてそんな無謀なことはしないだろう。
少なくとも先頭の一騎は突っ込んだのかもしれないが、本当に一騎のみで戦ったということはないはずである。

次に注目したいのはモンゴル軍の顔だ。顔つきや顔の色が異なることから、モンゴル軍はさまざまな民族の混成軍であることがわかる。
ユーラシア大陸の大部分を侵略した当時のモンゴル軍は日本へ攻め込むのに支配した地域の人々が狩りだした。そのことでモンゴル軍は士気があがらず、日本が蒙古襲来を防ぐ一因になったと言われている。

また、模本なので厳密には分からないが、教科書のシーンを見てみると真ん中のモンゴル軍の兵士3人の絵のタッチが違うことが分かる。
衣服の線が明らかに太く、兜(かぶと)や刀などの装備も他の兵士とは大きく異なっているのだ。この3人は後世に書き加えられたものではないかと言われている。

この3人を消してみると、教科書に載っているシーンがまったく別物になるのだ。

「蒙古襲来絵詞(模本)」(九州大学附属図書館所蔵)を改変

素人編集だが、無理やり真ん中の3人を消してみた。
こうして見ると、一気に日本側が優勢に見える。
先ほどの後ろから一斉に矢を放っている絵と合わせると、日本の騎馬隊がモンゴル兵を追いやっている場面ということが分かる。

絵が加筆された理由は定かではないが、本来はこのように御家人が奮闘してモンゴル兵を退けている絵だったという説もあるのである。

「蒙古襲来絵詞」は細部まで読み取りたい資料の1つである。

【目次】

【参考】


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