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#335 伊藤博文の意外すぎるエピソード6選

伊藤博文と言えば、誰もが知る初代内閣総理大臣だ。

中学校の教科書に登場するだけでも以下の通り。

「岩倉使節団として欧米を視察する」
「大日本帝国憲法の作成に携わる」
「立憲政友会を組織する」
「韓国統監府の初代統監となる」
「ハルビンで安重根に暗殺される」

このように、教科書の登場頻度がトップクラスの人物である。

しかし、ここで紹介するのはそんな教科書で紹介されるエピソードではなく、博文のプライベートな側面がわかる意外なエピソードである。

①農民出身だが学問で成り上がる

博文の生まれは武士ではなく貧しい百姓であった。
父とともに長州藩の足軽だった伊藤家に奉公人として入り、そのまま養子となって武士身分となった。

吉田松陰が教える松下村塾は、身分を問わず生徒として受け入れるという理念を掲げていた。
博文は、低い身分ながら松下村塾で必死に学び、その才能を見いだされていった。

農民から総理大臣になった伊藤博文。
もしかすると豊臣秀吉以上の成り上がりかもしれない。

②イギリス領事館に火をつける

安政の大獄で、恩師の吉田松陰を失った博文は、高杉晋作ら松下村塾の仲間とともに、品川御殿山に建設中のイギリス領事館に火をつけた。
博文たちは御殿山の見える旅館に戻り、燃えさかる御殿山を見ながらどんちゃん騒ぎをしていたそうだ。
現代ならサイコパスと呼ばれそうなエピソードである。

③国学者を暗殺する

1862年、幕府お抱えの国学者だった塙忠宝(はなわ ただとみ)を、天皇の廃位をもくろんでいるとして暗殺。
このことは、渋沢栄一が晩年に「伊藤博文本人から聞いた」として語っていることである。
若い頃の博文は、典型的な尊王攘夷の考え方を持っていたようだ。
現代で言えば自分の思想を暴力によって成し遂げようとするテロ行為だが、博文が罪に問われることはなかった。

④芸者と恋に落ちる

女好きとして知られる伊藤博文。
松下村塾の門弟の妹を妻にしていたのだが、芸者の梅子と恋に落ちる。
妻を直接説得できなかった伊藤博文は、上司の桂小五郎に頼んで離婚の交渉をしてもらい、離婚が成立。
梅子と結婚する。

しかし、16歳の売れっ子芸者に恋をするなど、梅子と結婚後も博文は浮名を流しつづけた。

⑤天皇直々に叱られる

ついには明治天皇に「いいかげんつつしめ」と叱られるも、博文の女好きは続いたという。
チコちゃんどころではない。

⑥献身的な妻に支えられる

そんな中でも、梅子は博文が他の女性との間にもうけた女児を引き取って育てたり、博文と関係のある芸者が屋敷にやってくれば歓待したりするなど、博文を献身的に支え続けた。

世間は、そんな梅子を「賢夫人」「婦徳の鑑」として称えたという。

博文も、梅子に対して感謝の気持ちを忘れず、尊敬する人は「一に天子様(明治天皇)、二にかか様(梅子)」と話していたそうだ。

伊藤博文は生い立ちやプライベートも凄い人物だった。

【目次】

【参考】


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