私たちの恥じらい

岐阜亮司/短歌について

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最近の記事

瀬戸夏子『現実のクリストファー・ロビン』備忘録――あるいは、瀬戸夏子の分裂

はじめに初めに断っておくと、わたしはおそらく『現実のクリストファー・ロビン』のあまりよい読者ではない。そのためこの記事は半分が備忘録で、もう半分が現時点でわたしの理解した限りの記述とならざるをえない。 本書は「Ⅰエッセイ」、「Ⅱ評論」、「Ⅲインタビュー、ブックガイド、日記」、「Ⅳ歌壇時評」、「Ⅴ作品」の五部に加えて、「すべてが可能なわたしの家で――まえがきのかわりに」、「あとがき」から構成されている。瀬戸夏子の文章にそれほど触れたことのないあなた/わたしは、まず「あとがき」

    • 近況報告

      前回の更新から一年近く経過した。その間にわたしは卒論を書き、進学をし、神学をし(これは半分嘘で、本当は宗教学だ)、短歌連作について勉強をし、いくつかの仮説を立て、短歌はあまり詠まなかった。 Twitter社に自らがロボットでないことを証明できずアカウントが凍結されてしまった、残念。 短歌における連作形式のおもしろさ(と最近のわたしが考えるもの)は神話のそれに似ていると思う。神話は口承によって伝達され、同じ一つの神話にもヴァリエーションがあるが、それらはある一定の構造を持つ

      • 「短歌は青松輝を飽きさせてはならない」の補足

        (以下の文章はtwitter上にて「『短歌は青松輝を飽きさせてはならない』の補足」①②として画像ツイートしたものと同じ文章です。引用をするためにnoteへ上げてほしいという声をいただいたので記事にしました。) ・実績とそれに対する評価・報酬の話を自分ではしていたつもりだったけれど才能と歌の別れみたいな文脈での解釈をされているっぽくて手続きを完全にミスしてしまったと思う。 ・整理すると、個人としては「(短歌をやめたいと青松輝が思っていない限りは)短歌をやめないでほしいという個

        • 短歌は青松輝を飽きさせてはならない

           言いたいことは大体タイトルに尽きる。このことについて最近は漠然と考えていた。 短歌、これくらいでいいですか?こっちも忙しいんで…… おりゃおりゃおりゃおりゃおりゃおりゃって生きてたらはちゃめちゃに光ってる夏の海 青松輝「フィクサー」『第三滑走路』7号  そもそも青松輝が短歌をやっていること自体不思議な感じがする。アルファツイッタラーで東大理三でクイズやっててしかも短歌? どんなエネルギー配分の仕方をしているんだと傍から見てて思っていたのだけれど、短歌に対してもブログで歌

        瀬戸夏子『現実のクリストファー・ロビン』備忘録――あるいは、瀬戸夏子の分裂