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自走や自立って1人で完結しなくって良いよねって話

こんにちは!きつね@人材育成担当です。

最近思ったことを残すために、noteをポチポチ打っています。やっぱり頭で考えるだけだと振り返りができません。ぴえん。

ということで、今回も恥を忍んで書いていきます。これは自分のためにも必要なんだ。必要なんだ(暗示)。

つい最近、「フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか」という本を読んでいました。

特に疑問にも思わずにすいすい読み終えたのですが、ふと、「なんで自律ができているんだ」と疑問がふつふつと。
確かに、日本とは法律も制度も違いますが、自分への意識の向け方がかなり違うのではないかと思いました。人生にもがきながらも、自分のキャリアを考えるゆとりがあるのはどうしてだろう。

思えば、研修界隈で長らくワードとして挙がっている「自律学習」が私の周りであまり浸透できていない理由にもつながっているのではないかと思います。物事を進めるときに人に頼らない、1人でやる。自己完結するイメージが強いイメージがありました。

「自」という感じがある言葉には、孤独や冷たさを感じます。意味を見ると、「みずから。じぶん。」という意味。1人称の言葉です。この言葉自体が、実は健全ではないんじゃないかと思っています。すべて自分起点ではじめ、継続して、終わらせるよう伝わるからです。

計画的偶発性という言葉があるように、あらゆる物事は、すべて自分が納得して決めて行動しなくてもいいと思います。きっかけも継続へのモチベーションも、他人に頼っていいはず。例えば、コミュニティに入ってみて、やることを宣言して達成しないといけない環境に身を置くとか、知人に旅行先をすべて委ねるとか。人って自分が思った以上に偏見や視野が固定化されているので、選択肢を自分1人で決めると幅が狭くなるかも...と思っています。

最後の決定権は自分ですし、弱い自分とのバトルロワイヤルは人生が続く限りずっと続きます。もう既に自分との対話に時間をたくさん費やしていると思うんです。だからこそ、少しでも自分でなくてもできる部分は相手に任せる、プロセスは相手に依存していこうよ!!と伝えていきたいです。
人生は個人戦ではなく、組織戦に変えることだってできるはず(敵は現状維持の誘惑)。組織戦に持ち込むために、自分にしかできないことに焦点を当てていきましょう。

以上が今の私の考えです。よし、きつねさんは頑張りました。
(作成時間:20分弱)

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