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メンタルヘルスと社会構造とポップカルチャーの話

精神科医として1年間働き、何人もの患者さんを診てきて強く思うのが、この社会を健康なままで生きることはかなり困難なことであるということ。優しく繊細で、様々なことに気を回し、耐え忍ぼうとする人ほど心が疲れきってしまうということ。そして、図太く独善的で、誰かに気を遣わせ、他人を意識できない人が、無自覚に人を傷つけ、知らぬ間に病因となっていること。

精神科の問診はまず早い段階でこれまで患者が歩んできた人生について詳細に尋ねる。今の症状が生じるのが突然な病気もあれば、明確なきっかけがあるものも多い。誰かのふとした言葉、取った行動、ちょっとした誤解、明確な悪意、突発的な暴力、、、多くの人々がひしめき合う社会において、自分の外部から及ぼされる影響の計り知れなさを知る。中には「そんなことで?」と思うものもあるし、「こんな酷いことが、、」と思うものもある。

他者から見ても明らかに怒りや悲しみに満ちる出来事も、他者からすればどうでもいいと思われるようなことも、当人にとっては重大なことである。我々はその問題に向き合い、治療にあたる。それは薬であったり、面接を用いた療法であったりするのだが、そもそもこの社会そのものに病因が溢れすぎていると思うことも多い。根本はそこを変えなければならないのでは?という思いにもなるし、そこさえ変われば解決する問題も多いように思える。


「本気のしるし」という作品がある。「淵に立つ」「よこがお」の深田晃司が監督を務めたテレビドラマで原作は星里もちるのマンガ作品。なりゆきまかせの日常を送る辻一路(森崎ウィン)の前に現れた葉山浮世(土村芳)。浮世は頼みごとを断れない性格から金銭に関する問題や男性関係の問題を常に抱えている。辻も最初は関わりを持たないようにするのだが、なぜか次第に浮世に惹かれ始める。深田監督らしい緊張感溢れるタッチで進む人間ドラマ。

浮世の言動は常軌を逸しているように見えるが、作品が進むにつれてその生き方の背景に彼女の性格や“隙”に付け込もうとする男たちの存在や彼女の瞬間的な優しさを貪ろうとする男たちの存在が見えてくる。浮世がこうなった経緯は詳細に語られないが、幼少期から学生時代にかけて掘り下げることで更にその本質が浮き彫りになるように思う。浮世に苛立ち、浮世に戸惑い、浮世に怯えるのが鑑賞者としての正常反応かもしれない。しかし一方で、その狼狽は我々が彼女や彼女になりうる人物にしてきた振る舞いの結果だ。彼女を生み出したのはこの社会と、この社会で許されてきた我々がいるのだ。


今年の話題作の1つ、「あのこは貴族」。上流階級を生き、何1つ不自由ないように思える主人公・華子(門脇麦)もまた、社会構造に締め付けられている人物である。幼少期から上流階級との結婚が人生の答えであると教えられたまま疑うことなく生き、結婚した後もその生き方は夫が常に中心にある窮屈なもので、まだ予定すらもない子どもにすらもその宿命が回っていく。自分自身がどう生きたいかを知ることなく、社会の中で役割にはめ込まれていく。

「本気のしるし」と「あのこは貴族」が描くものは一見すると大きく異なるように見えるが、どちらもこれまで当たり前に享受してきた社会構造を揺さぶる点では共通している。ここ数年で格段に増えた、"変容する価値観"を内包したポップカルチャー作品は、付け焼刃のようなものも多いが、このように現実世界の延長上で、加害者としての我々や傍観者としての我々を突き刺す良作も多い。その都度、これまでの振る舞いを顧みて、言葉を失ってしまう。後悔は遅く、これからを変えていくほかない。この世界を生きるポップカルチャー愛好家として(そうでなくても、だが)、それは最重要事項だ。


社会構造に蝕まれた結果として精神科疾患を発症するケースが多いことも、自分にとって価値観変化の重要性を意識させる。患者さんを苦しめる生き辛さの正体が今まで観てこようとしてこなかった社会構造だったりすると手の打ちようがない、と思ってしまう。縛られてきたルールや凝り固まった価値観の中で疲弊しきった心に対する根本的な解決は"世界を変える大革命"なわけで、それは一端の精神科医が入院期間で成し遂げられるものではない。

しかしつい最近、印象的なことがあった。詳細は割愛するが夫がこれまでしてきた好き勝手な振る舞いに疲れ果て、我慢の限界として精神疾患を発症した女性。退院間近であり状態は回復しつつあったが、これまで耐え忍び続けてきた結果、夫へ伝えたい思いを考える上でも夫を気遣ったことしか思いつかない。そんな彼女に対し、「今はご自身が主体的になって伝えたい思いを考えてみては?主体性を知るきっかけになれば良いと思います」と伝えた。

この“主体性を知る”という言葉。自分で無意識に用いてつつどこか見知った記憶があった。後々になって思い出したがこれは「ホットギミック」に山戸結希監督が込めた主題だ。“主体性を奪われるでなく主体性を知るための恋”という、主題。10代の女子に向けて発せられたメッセージが、僕を通して50代の主婦へと届けられた。その結果として、彼女は自らの言葉で夫への本心を込めた手紙を書き始めた。これ以上ない一歩を踏み出したように思う。

ポップカルチャーを摂取し、その感想を熱弁することを生き甲斐としつつも、息抜きとしての役割が大きかったし、精神科医としての自分には特に影響を与えていないはずだったが、治療上に使った言葉が紛れもなくポップカルチャー由来だったことは発見であった。精神科医として基礎を固めた先で自分が進むべき道筋を示しているようにも思えた。そのカルチャーが届かない場所にいる人に、必要なメッセージをデリバリーする。精神科医2年目の春、自分にしかできないアプローチのヒントを得つつあるのかもしれない。


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