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診察という推理に身を置くこと

(ヘッダー画像はなまずのおばけさんに書いていただきました)

何度となく観ようと思いながらずっと着手できていなかった「ツインピークス」を見終わった。そういえば昔はミステリ作品や、捜査モノの作品を多く見ていたが最近はめっきりだったので「ツインピークス」は久しぶりの“謎解き”で、むしろ新鮮に観ることができた。

「ツインピークス」は1つの町を舞台に、ローラ・パーマーという女性の殺人事件を追うFBI捜査官デイル・クーパーを中心とする群像劇として描かれる。クーパーは冷静沈着にその謎の解明に尽くす一方、それ以外の登場人物も秘密を抱えており、それらが交錯し合う内容はかなり複雑。クーパーが動線を整理してはくれるが、視聴者もちゃんと整理しながら観ていないとどんどん状況が分からなくなって混乱していく。かなりの集中を要するドラマだ。

必死に関係性の整理をして観ているうちに、この頭の使い方は自分が診察の時に使う思考にとても近いと思った。ローラ・パーマーの死の原因を突き止めようとするクーパー捜査官は、周囲の人物の関係性をゆっくりと紐解いていく。この周囲との関係性を重視することが肝要に思うのだ。


関係の整理、状況の推理

もちろん疾患にもよるのだが、病名を突き止めることに加えて患者の周囲との関わりを推理をしていくことこそ、診察の意義であると個人的には思う。その人の姿を見て病名はわかるかもしれないが、その疾患に至るまでにあった“関係性”を紐解かなければ根本的な解決には至らないように思うのだ。

仕事場でのストレスや家族関係にまつわる疲労など本人が言語化できるものもあるが、本人の性質ゆえにストレスだと自覚することができていないもの、思おうとしていないものも沢山ある。長い期間見過ごされてきた歪な親子関係や友人のフリをした加害的な存在など、潜在的な問題が本人を苦しめている。それらが複雑に絡み合って影響をもたらしていることもある。

家族に病気を治してほしいと言われて病院に来たのに、その家族こそがその原因だということもあるし、そうなっている自覚があるからこそひた隠しにしようとする周囲もある。と思いきや当人の妄想や"被害的な捉え方"である可能性だって当然ある。極めて客観的に診察という推理に努めるのだ。

私はストレス因になっているのが家族であれば可能な限り、診療の場に呼んでその事実を共有している。ここまでするともはや医療という範疇を越えた介入のようにも思える。目の前で繰り広げられる家族会議が混乱するうちに時折これは医者の役目なのか?と思ってしまうこともある。しかし誰も自力でその場所から動けないのであれば、この関係性を把握し尽くしている自分が動かなければならないのだろう。推理し、解決し、関係を再構築することこそ、医者の役割なのかもしれない。最近は本当にそう思うようになってきた。


心の混沌へ

多くの人がイメージしている(ドラマや映画で描写されがちな?)精神科診療は長い時間をかけて内面を掘り下げるカウンセリングや、患者が横になって目を瞑って行う精神分析のようなものだろうが、実際のところは前項であげたような現実的な事柄を進めていく粛々とした対話になることが多い。

しかしどうしたって、関係性を整理したり、ストレスを減らしても、なかなか解決の糸口が見つからないこともある。どんなに昔の話を遡っていっても、どんなに詳しく人間関係を調べても辿り着けない、心の奥底にある無意識に追いやられた何かが今の疾患に影響していることもあるのだと思う。

今、私が患者の無意識を引き出す精神分析の知識を得たいと思っているのは、ここ最近特に言葉による診察だけでは改善に至らない患者を何人か診てきたからだ。言葉によって整理できる問題は間違いなくある。しかし、言葉だけでは辿り着けない心の領域があるという圧倒的な事実に直面している。


「ツインピークス」の事件は最終的に“町そのもののダークサイド“へと収束していく。町が無意識に追いやった闇がローラ・パーマーに向かっていたのだ。それと同様に人が心に溜め込んだ混沌はその人自身へと向かっていく。そして周囲どころか当人までも理解できない状況へと導いていく。今はまだ、それを完全に把握する術を自分は持っていない。

出来ることなら、目の前で苦しむ患者が抱える問題を瞬時に解決してしまいたいと思うのだが、それは出来たとして即時的な安らぎになりかねない。精神分析もとても長い時間をかけて行うものだ。急ぎ過ぎると、クーパー捜査官のように段々と巻き込まれてしまうはず。今できることは粛々とした対話と関係性の整理のみなのかもしれないが、その積み重ねでしか次へ向かえないだろう。


#仕事の心がけ #ツインピークス #メンタルヘルス #精神科医

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