三法は相互に影響して幸福になる

 真の生き方が出来るようになれば、それだけで満たされている状態と言えますから幸福であると言えます。
 人間は祖先が犯した罪を償うために生きているという考え方もありますが、道に沿って考えれば当然ながらそんな必要はないことが分かります。そもそも親が犯した罪を子が背負うならば、罪の無い人間は誰もいないことになりますし、その罪の償いは誰に対して行うものとなるのでしょう。
 人間は誰しもが幸せになる権利を持っています。そしてその為に子供の頃から努力し、幸福になろうとしています。しかし誰しもが幸福感を感じていないのは何故でしょうか。それは幸福を求める方法が間違っているからです。

 あなたが人生に求めるものは何でしょうか。①財産 ②地位 ③名誉 ④健康 ⑤知識 ⑥快楽 ⑦信仰 ⑧人との繋がり(家族・友人) 大体の人がこれらのどれか、もしくは幾つかを求めます。最近のアンケート結果では20代は財産や地位を求め、70代、80代は健康と友人を求める傾向にあるそうです。しかし、財産を求めれば真の友は離れ、知識を求めれば健康を損ない、快楽を求めれば財産を失います。つまり、全てを求めようとすると必ず何かを喪うようになっているのです。だからこそ幸福を求めようとすればこうしたものを求めてしまい、混乱が生じるのです。
 これまで述べてきた修真三法というとなんだか高尚な思想と技術を行う、密教の修行のように感じられるかもしれませんが、実際には普段の日常生活を道に親しいものに変えていくだけのものです。
 卑近な例が、挨拶です。うつ病の治療法にも挙げられたりしますが、近所で通勤通学で出会う人に挨拶をするだけで、人の気持ちは上向きになります。特に自分が相手と親しくなろうという気持ちを込めて挨拶をすると、たいていの場合その気持ちが相手に伝わるので、親近感が湧き相手も自分も良い気持ちになります。
 レストランで食事をした時、コンビニで買い物をした時にありがとうと言うのも同様です。流れ作業で膨大な仕事をしている店員は気持ちがいっぱいいっぱいです。しかし、そこに「丁寧に仕事をしてくれてありがとう」という気持ちを込めて一言「ありがとう」と言うだけで、その店員さんも気持ちが癒されますし、それによって言ったあなたも幸福になります。
 始めはそのような些細なことで良いのです。それが識天・信天・法天の循環が進むにつれ、より大きな日常生活の変化と行動になり、やがてそれは宇宙全体を包むほどの幸福になります。識天・信天・法天の循環が何より大切ですが、逆にその中に道に外れること、天に反すること、ネガティブなことが入ってしまうと、前述したノセボ効果が生じてしまい、最悪の場合命を落とします。

 宇宙の原理は人間の善悪を超越した概念ですが、道に従うことを善と捉えて生きていくのが人間の正しい智慧です。

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