仙道の行法は法天そのものである

 皆さんは華佗という人物を知っていますか。三国志に出てくる名医で、曹操に召し抱えられたけれども武将と違い待遇が悪かったので妻の不調を理由に逃げて、それが明らかになって殺されてしまった不遇の名医です。三国志演義では妖術を使う仙人、左慈と並び不思議な技を使う人物として現れますが、気功法を行っている人の間では五禽戯という気功法運動(元々は仙道の導引法)で知られています。これは虎、鹿、熊、猿、鶏の動作を真似た体操で、優れた健康法です。
 もっと有名なのは太極拳でしょうか。太極拳の淵源は様々な説がありますが、張三豊という仙人が作ったとか、陳家溝に伝わる武術を陳王廷という武将がまとめたなど、様々な説があります。太極拳はその名の通り、陰陽五行説に従って戦う武術であり、武術としての側面、体操としての側面、思想としての側面を持ち、そのいずれでも道(太極)の原理に従って行えるように練習します。

 その他にも服気法や房中術、練丹術など、仙道から生まれた数多い行法はどれも宇宙の原理、自然の法則をもとに作られています。よって、これらの行法を毎日の生活に取り入れることは宇宙の原理を実行するという意味で、法天の実践と言えます。

 とはいえ、法天の目的は何と言っても真生実現にあるので、毎日の隙間時間で行法を行っても必要十分な効果を上げることはできません。だんだんと慣れてきたら、歩いている時も、食事している時も、睡眠中も、24時間の生活全て、生きている間を全て行にしてしまわなければ道と一体化することは困難です。
 そもそも、仙道の行法はほとんどが日常に即したものですから、それを取り入れられるところから少しずつ取り入れて行けば良いのです。仙道を単なる健康法や武術、精神修練として用いるのは非常にもったいないです。それらは仙道の一側面に過ぎません。
 朝目が覚めた時にどうするか。歯磨き、洗面、排便、食事、座り方、立ち方、歩き方、寝方まで。日常生活全てにおいて行を行えます。これは仙道だけではなく、神仙道やヨガでも共通することで、これらは仙道が未知との一体化を目指すのと同じく、宗教や健康体操、武術とは最終目標が違うからです。なので、行法として構えて行う、というよりも日常生活の中に取り入れていくという考え方が自然です。道場では正しい立ち方をして訓練を行うが、日常生活ではだらしない姿勢をしているというのでは、法天にはなりません。
 私たちの生活の中では、私たちが思っている以上に自然に反した生活習慣が多いのです。その為、自然との調和を欠いて問題が生じたり、人との調和を欠いて争いを招いたりするのはむしろ当然のことなのです。医療技術が発達したのに病人が一向に減らない。国家が発展していくのに国民に貧困層が増える。そのような矛盾に満ちた社会現象はみんな、道に反した生活を行っている結果です。

 法天、つまり古来より受け継がれてきた智慧である道と一体化する生き方をすれば、そうしたことは起こりません。

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