2021年の決意

皆様、あけましておめでとうございます。

世界中が「こんなはずじゃなかった」と思ったであろう2020年がようやく終わり、2021年が始まりました。

私は、コロナのコの字も出ていない頃にたまたま公務員試験に受かり、たまたま高校で事務をしている社会人1年目の者です。

私はここぞというときに運が良いので、大学時代はしっかりと謳歌し、仕事はコロナの影響をほぼ受けていないというラッキーガールです。

しかし、昨年末、本当に本当に辛いことがありました。

ここでは伏せますが、辛すぎて夜と早朝に目が覚め、食欲もないほどでした。

常に緊張したような、心臓がずんと重く重力に耐えられないような、そんな感覚がありました。

「心にぽっかり穴が」なんて表現をよく目にしますが、まさにそんな感じでした。

それまでは、まあ呑気に簿記の勉強をしたりぼーっと日々を過ごして3日に一度鍋を作るような地味な生活を送っていました。

それが私なりに幸せではあったのです。

でも、辛いことというのは突然やってきます。

青天の霹靂でした。

その日からというもの、それまで私の心を躍らせていたもの全てが何の意味も持たなくなりました。

ドキドキもワクワクもしません。

大好きだった食事だって、お腹は空いているはずなのに、3口食べたら吐き気を催してしまいます。

勉強も仕事も目標も夢も、全て意味のない、味のない、ただの無色な物質になってしまったようでした。

私の職場は都市部から電車で3時間、実家からは2時間という、言ってしまえば私の希望とは程遠い田舎にあるわけですが、そのことに起因する孤独感が津波のように押し寄せました。

同期もいない、友達もいない、親も親戚もいなければ出会いもない。

そんな孤島に一人置いてけぼりになったような感覚に飲まれました。

私自身、一人でいるのは割と好きで、得意でもありました。

カラオケも映画も旅行も一人で行けるほどでしたから。

でもやっぱり人間は社会的動物なのですね。

精神的支柱を失った瞬間、強烈な孤独感に襲われたわけです。

私はすぐに大学時代の友人に連絡しました。

普段は用もなく誰かに連絡するなんてことはほぼありません。

でもその時は不安で不安で息も止まりそうだったのです。

LINEを送ると友人は「電話していい?」と言ってくれました。

その時のありがたさと言ったら…。

難破船からヘリが見えたような気持ちでした。

その日私と友人は2時間ほど通話しました。

私の気持ち、状況、全て話しました。

時折友人が話してくれる大学での出来事が私を懐かしい場所へ誘ってくれるようで、妙に落ち着いたのを覚えています。

そのときに友人が言ってくれた言葉の中で強く印象に残っているのが、

「何て言ったら良いのかわからないけど、そんなに自分を卑下する必要はないと思う」

です。

その時私は、自分を責める発言を無意識にたくさんしていました。

こんなことになったのは自分の責任だ、と心から思っていたのです。

「自分が悪いからこうなった」と思うことで世界は公正に回っていると理解したかったのです。

でもその言葉を聞いて、後ろだけでなく前もあると、過去だけじゃなくて未来もあると、何となくそう思えました。

彼女は人の気持ちを慮らずに適当に発言するようなことはないし、いつも当意即妙で頭のいい人なので尊敬していました。

だから、そんな彼女にそんなふうに言ってもらえて、私にとっては救いでした。

そのおよそ1週間後、彼女からとても素敵なお菓子が送られて来ました。

洗練されたシンプルな箱に入った海外製のバターサンドは、本当に甘く優しく、彼女の粋な計らいが嬉しく、私は泣きながらそれを食べました。

私がヨットだとするならば、友人の存在は強く吹き付ける風だと思いました。

これから何があっても、友人を一番に考えよう。

友人を何よりも大切にしようと決めた日でした。

あまりに大きな存在を失った代わりに、人生において大切なものに気づくことができたのです。

そこから私は、自分の人生をもっと精一杯生きることに決めました。

興味はあったけどやって来なかったこと、後回しにしていたことに片っぱしから手を出しました。

料理教室とバイオリン教室の体験レッスンに行き、その場で入会しました。

他にも、大学の友人や先輩に会ったり、幼馴染と会う約束を取り付けたりしました。

雑誌で見て素敵だなと思っていた1着17,000円もする服を2着買いました。

他にも、美容院や眉毛サロンに行ったり、本を買ったり、インテリアを買ったり、SNSを活用してみたりし始めました。

極め付けは、これまで迷っていた転職活動を始めました。

ここまでで少なくとも60万円ほどは自分にお金をかけたのではないでしょうか。

これまで将来のために貯めていたお金をまさかこんな風に使うとは思っても見ませんでした。

こうして自分のために投資し続けて1ヶ月。

今、私は元気です。

正直まだ夜になると怖くなったり孤独感に襲われたりしますが、自分の人生を楽しむことに集中し始めると、何だか回復が早いみたいです。

料理教室もバイオリン教室もまだ1、2回程度しか行っていませんし、転職活動もエージェントさんと数回電話しただけでまだまだこれからなのですが、自分の人生がちょっとずつ変わり始めている気配は感じます。

正直、今この時が、私にとっての正念場なのだと思います。

よく売れ始めた芸人さんなんかが言われる「今が大事な時期」です。

正直、大事じゃない時期なんてないし、いつも大事な時期だよ!とは思います。

でも、今、しっかり自分の人生を見つめ直せるか、インプットだけでなく行動できるかが問われているのだと思います。

私は今まで、何でも後回しにして、川の流れに流されるまま生きて来たのかもしれません。

だから、神様が、「今のままでは人生後悔するよ。一度自分の人生どうしたいか考えてごらん」と言ってくれているのだと思います。

この1ヶ月、思う存分足掻きました。

ジタバタして、たくさんのものに投資をしました。

それはこれからも変わりませんが、もっと、静かにこれからの人生どうしたいか考える時間を設けようと思います。

ここでやっと、タイトルの話に移ります。

2021年の決意とは「毎週末に3000字以上のnoteを更新する」です。

私自身、発信力、言葉での表現力に乏しい節があります。

考えていることを言葉にしたり、頭の中をまとめて発信したり、「私はこんなことを考えて生きているよ」と人に伝えるのが苦手なのです。

幼少期はお喋りが止まらない子供だったように記憶しているのですが、いつからか、自己表現に強い苦手意識を持つようになり、段々と殻に閉じこもるようになり、今では殻からどう出ればいいのか分からなくなりました。

だからこれは、私にとってのリハビリでもあるのです。

自分の考えを言葉にする。

そうすることで自分でも気づかなかった自分の気持ちに気づくことができるかもしれません。

そして、こうして自分の心のうちを世間様に吐露することで、羞恥心を拭い去ろうという狙いもあります。

3000字という条件をつけたのは、そのような長文を書く習慣が社会人になってなくなってしまったので感覚を取り戻したいためと、自分の頭や心の奥底から言葉を見つけてくる作業をしたかったからです。

ほんの数百字であれば浅瀬に浮かぶ言葉を拾い集めて書けるでしょう。

しかし、3000字となると、記憶を手繰り寄せ、深海に潜って、探さなければいけません。

そうやって模索する過程が私という人間や私の人生に深みを出すために必要だと思ったのです。

つらつらと書いているうちに3000字に達していました。

時間はかかりますが案外書けるものですね。

今回は物語調の部分が多かったからでしょうか。

兎に角、今年はあと51回ほどでしょうか、こんなふうに長めのnoteを更新していこうと思いますので、どうか覗いてみていただけますと私の人生に少し張り合いが出ます。

ここまでご覧いただいた皆様に感謝を込めて。

それではまた次回。


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