小説 介護士・柴田涼の日常 157 元警察官の成田さん、自分でほとんどぜんぶ食べてしまうキサラギさん、熱発するヨシダさん

 翌日は遅番。出勤すると「大丈夫? みんな心配してたけど」と早番の真田さんに言われた。「昨日はなんだかパワーダウンしてたって聞いたけど」と顔をまじまじと見られながら言われた。そりゃ疲れますよ、間宮さんに振り回されっぱなしだったし、とは口が裂けても言えない。

 ヨシダさんは調子が悪く、朝食は離床して食べたが、その後はベッドで臥床していた。声かけしても応答はなく、覚醒状態も良くないので、延食してあとでベッド上で介助することにした。

 真田さんはキサラギさんの食事介助をしてから休憩に入ってくれた。「もういい」と言うキサラギさんの声が聞こえた。だいたい五割くらい食べただろうか。

 みんなの食事と排泄が終わってからヨシダさんの食事介助に入る。ぐったりしているヨシダさんの食事介助をしているときに思ったが、元気のない人の食事介助をしているとこちらの精気を吸われている気がして、余計に疲れる。どんな介助よりも疲れると言ってもいい。ヨシダさんもだいぶパーキンソン病が進んできているのだろうか。この分だと夕食も起きて食べられそうになく、夕食時は一人しかいないので、今のうちにナースに応援を頼んでおこう。

 休憩時、僕と同期の成田さんと一緒になった。成田さんは五十代の男性介護士だ。成田さんとは入職時期が同じだったが、ご家族の方が新型コロナウイルスに感染してしまい濃厚接触者となってしまったため、一緒に入職時の研修を受けることができなかった。結局研修を受けることなく、そのままJユニットに配属されたそうだ。成田さんは元警察官で、介護の仕事はこの施設がはじめてだと言っていた。その前に半年くらい専門学校で研修を受けていたが、その学校というのが角田さんが通っていたところと同じ学校だった。どうやらハローワークが紹介している学校というのがそこらしい。成田さんは失業保険の手当てをもらいながら無料でその学校に通い、初任者研修と実務者研修の資格を取得したそうだ。しかし、タダほど高いものはなく、その学校は設備も悪く、十人の受講生に対して一つのベッドしかなくて、実習にも行かせてもらえず、三人いた講師もお互いの悪口を授業中に言っていて、べつの講師が教えたやり方で介助していると「それは間違っている」と言って怒られたそうだ。「仕方なく、この先生のときはこのやり方で、って覚えていきましたよ」と成田さんは言った。この施設に決めたのは、学校にいたときにリモートでこの施設を見学させてくれて、設備がキレイだなと思って、自分で応募書類を出したみたいだ。成田さんの口ぶりだと、Jユニットはそんなに大変そうではない。夜勤も楽だと言っていた。交番の夜勤に比べれば大したことはないのだろう。隣の芝生は青く見えるのだろうか。僕は自分のユニットがとても大変だと思ってしまう。それはやはりヨシダさんの存在が大きいだろう。

 夕食は、ナースの佐々木さんがヨシダさんの介助をしてくれた。全量食べられたという。この介助にはとても助けられた。キサラギさんは車椅子には移乗せずベッド上で食べると言ったのでオーバーテーブルをベッドの真ん中に差し込んで食べてもらう(オーバーテーブルはナシタさんが使っていたものならベッドに差し込めるので、それを使うことになった。低い車椅子に乗っているナシタさんには頑張ってもらい、少し高いテーブルで食べてもらうことにした)。キサラギさんは「もういい」と言いつつも「おいしい、おいしい」と言って自分でほとんどぜんぶ食べてしまっていた。これにも助けられた。キサラギさんはつきっきりで介助するよりも少し離れた距離から見守るくらいのほうが自分で食べてくれるのではないかと思った。キサラギさんは両方の目がぱっちりと開くようになってきた。歌を流すとずっと歌っていてとても元気だ。ナシタさんはあまり食が進まず溜め込みも見られていたが、センリさんはペースよく食べていた。

 二十時にヨシダさんの排泄介助に入ると、身体が熱い。熱を測ると三十八度四分だった。痰絡みや呼吸苦や悪寒は見られていない。すぐにナースオンコールし、解熱剤の処方の指示が出る。頭と鼠蹊部の三点をクーリングし、夜勤の田代さんにあとをお願いする。記録がまだ終わってなかったので、退勤時間を過ぎていたが、ご利用者の状況とナースの指示をしっかり打ち込んでから退勤する。

 家に帰りお風呂に入ると、疲れていたのですぐに眠ってしまった、とはならず、散歩をし、夜中までゲームをしてストレスを発散してから寝た。

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