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好きなものを好きと言うこと

お立ち寄り頂きありがとうございます。
さて、この記事に辿り着いて下さったあなたにも、好きなものやことが沢山おありかと思います。その好きなものやことを、「〇〇が好き」とアピールすることって、勇気が要りませんか? と慣れない問い掛けから始めてみます。ちなみに私は好きなものを好きと言うことが、実はあまり得意ではありませんでした。

好きなものやことは、本当に沢山あります。文章を綴ること、音楽を聴くこと、イラストを描くこと、おやつの時間、文具、愛犬、花、空、などなど。そして恐らく、好きなものを好きとアピールしておくことは、基本的にメリットの方が大きそうです。
それが何故上手くできないのかというと、「好き」の度合いが深まるほどに、それを否定されたときのショックが大きいからです。

私は幼いころから、自分の「好き」を母に否定され続けて育ちました。
その呪いは未だに解けず、基本的には趣味はこっそりと楽しんでいます。

強く印象に残っているのは、小学校高学年くらいの頃のことです。
ミスチルの『終わりなき旅』がとても好きになり、アルバムでそれだけを繰り返し聴いていました。メロディーも好みで、歌詞に励まされました。
とても力を貰ったその歌のことを、私はうっかり母に話してしまいました。「私ね、この歌が好き」。
母は一応、『終わりなき旅』の歌詞を読んでくれました。読み終わって、一言ぴしゃりと言いました。

「何だか、流行りの言葉をただ並べただけの、何の意味もない歌ね」。

今だから反論します。ミスチルに謝れ。一億回謝れ。
でも、当時は母の言うことをただ真に受けて傷付くしかできなかった私は、ルーティーンのごとくその言葉を真に受け、深く傷付きました。

普段から母はそういう人なので、思春期を迎えたこともあり、私は好きなことやものを隠すようになりました。
夜中にこっそり小説を書き、夜中にこっそりお菓子を焼き、夜中にこっそりイヤフォンから流れる音楽に癒やされました。あまり寝なくても平気でした。少年少女の体力は、どこからやってくるのでしょうね。
……ともあれ、それが私にとっての「普通」と化してしまったので、他の人にも、あまり好きなもののことは話さなくなりました。友達もほとんどいませんでしたし。

そうやって独りで趣味の世界に入り浸っている間に、好きなものを否定されたときのことを更に怖がるようになりました。私は弱くて臆病で、できるだけ傷付きたくないのです。

でも、好きなものを誰かに話しておくことは、何より自分のためになることを知りました。
例えば誰かから、「佐竹さん〇〇が好きだったよね。今度新しいの出るよ」とか、「××好きだよね、これどうぞ」とか、そういう情報を教えて頂けるようになったりします。情弱の私にはとてもありがたいです。
以前「好き!」をTwitterで発信していたお陰で、ご本人からコメントを頂けたこともありました。色々あって今はそのアカウントは無いのですけど。

「好き」から広がる波紋は、本来はポジティブなものなのだと、最近になって学んでいる途中です。
ポジティブの連鎖が日々を彩っていくのは、とても素敵なことですね。これからはもっと、自分の「好き」を大切にしていきたいものです。

好きなことを好きと言うことのお話でした。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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